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【短編小説】人妻催眠操作

「久し振りだなよう

「お父様、これは一体どう言うことですか」

「どうもこうもない。お前はあそこに居てはいけない。あの男のところには」

「あの人は私の主人です。私を家に帰して下さい」

◇◇◇

 話は三年前に遡る。

 私の実家は名家と呼ばれる家系で、父は会社を経営している。私は幼い頃から人の上に立つ者としての教育を施され、大学在学中には社会勉強と称して子会社の社長をさせられていた。

 その会社にはと言う男が出入りしていた。佐久田は取引先の従業員で、何度か顔を合わせるうちに、私は佐久田に惹かれていった。

 私が佐久田と交際していることを知った父は激怒し、方々に手を回して佐久田の会社への仕事を止めさせたので、会社はあっと言う間に倒産してしまった。抗議する私に父は「落ちぶれた者に掛ける情けなど無用」と言い放った。

 私は父のやり方に反発して佐久田と駆け落ちした。父の手の届かない地方の街へ小さなアパートを借りて移り住んだ。佐久田は仕事を転々とし、私もパートに出て生活を支えた。ものの例えではなく本当に、その日食べるものが無いこともしばしばあったが、不安を感じることは無かった。むしろ佐久田と二人で暮らせることの充実感のほうが遙かに上回っていた。

 そんな、貧しいが幸せな日々も、突然部屋に踏み込んできた男達によって奪われることとなった。父の手の者が私達の居場所を突き止め、私は人さらい同然に父の元へ連れ戻されたのだ。

◇◇◇

「お嬢さん、あなたはその佐久田と言う男に操られておるのです」

 父の隣に立つ白髪の男が、突拍子も無いことを言い出した。

「あなたは誰なんです」

「心理学者のおおつき教授だ。催眠術の権威だよ」

 私の問いには父が答えた。大月と言う教授は、父の「権威」と言う言葉に満足げな表情を浮かべて頷いた。

「催眠術で操るなんて馬鹿馬鹿しい。漫画じゃあるまいし」

「お嬢さん、催眠術とは何も手足をいちいち操る訳じゃありません。あなたの思考をちょっと変えるだけで思いのままに操れるのです。常識改変と言う手法です」

「常識改変?」

「そうです。どんなデタラメな内容でも、あなたにそれが事実だと信じ込ませることが出来れば、あとは思いのままに操れるのです。ほら、最近よく聞くでしょう。ワクチンを打つと磁石人間になるとか、マイクロチップで管理されるとか。どんなにデタラメで馬鹿げたことでも、信じ込ませることが出来れば簡単に人を操れるのは、ニュースなどでご存じの通りです。例えば、あなたが佐久田を愛していると思わせるとか」

「ふざけないで!」

 私は激怒した。私の夫への想いは紛れもなく本物だ。それを操られているなどと、到底信じられるはずが無かった。

「社長、お嬢さんはかなり強力な暗示を受けておりますぞ。佐久田と言う男、かなりの術者と見えますな」

「やはりそうか」

 父は深く頷いて教授に同意した。

「何を証拠にそんなことを」

「証拠だと。お前は先程、あの男のことを主人と呼んだ。幼い頃から人の上に立つことを教えられたお前が、あのように家柄も地位も無い男を主人と呼んで敬うはずが無いからな」

「人の価値は地位や家柄だけではありません。私は主人を、佐久田さんを心から敬愛しています」

 夫は私の為に全てを失いながらも私と暮らすことを選んでくれたのだ。第一、夫がそんな簡単に人を操れると言うなら、地位も財産も簡単に手に入れることが出来るはずではないか。三年も貧乏暮らしをする必要が無い。

「社長、今から私がお嬢さんに掛けられた催眠術を解いて差し上げます」

「そうか。宜しく頼む」

 大月教授はポケットから小さな分銅の付いた鎖を取り出すと私の目の前にぶら下げ、その分銅を左右に揺らしながら語りかける。

「お嬢さん、この分銅をよくご覧なさい。私が三十数える間、決して目を逸らしてはなりませんぞ」

 大月教授の施術は、よくテレビでインチキ超能力者がおこなうようなものだった。当然ながら心境の変化は何も起こらない。だが、教授も父も真剣な顔で私を見つめている。

「社長、大変です!」

「どうした。今、取込中だ」

 施術の最中、部屋に飛び込んできたのは社長秘書の女だった。何やら血相を変えている。

「海外の投資ファンドが、相次いで我が社の株を売却しました。市場も追従する動きを見せており、株価が暴落しています」

「狼狽えるな。投資ファンドなど気にするまでも無い。株価が一時的に下がっても直ぐに元通りになる」

「社長!」

 今度は役員の男が飛び込んできた。

「今度は何だ」

主力メイン銀行バンクが我が社の新規事業への資金融資を凍結すると。既に融資を受けた分についても返済期限の前倒しを要求してきています」

「何だと。我が社には不動産などの資産も潤沢にあると言うのに何故だ」

「社長、いかが致しましょう。遊休不動産を現金化するにも間に合いません。このままでは資金がショートします」

 父や役員達に重苦しい空気が流れる。

「話が旨すぎますな」

 口を挟んだのは大月教授だ。

「どう言うことかね」

「お嬢さんを連れ戻した直後に、株価が暴落、銀行が資金を引き揚げ。タイミングが良すぎるとは思いませんか」

「何。では佐久田が」

「あれほどの術者です。ファンドや銀行を操るなど造作も無いことでしょう」

「むむむ、儂が佐久田の会社を潰したから、この期に及んで復讐しようと言うのか」

 父がこれほど慌てふためく様子は初めて見たが、自業自得だ。同情する気は湧かない。

「どうでしょう。一旦お嬢さんを家に帰しては」

 大月教授が思いも寄らぬことを言い出した。

「佐久田の目的はお嬢さんです。お嬢さんを帰せば会社への攻撃をやめるでしょう」

「馬鹿な。せっかく連れ戻した娘を奴に渡せと言うのか」

「お嬢さんに掛けられた催眠術は、先程解いてあります。もう佐久田に操られる心配はありません。思い通りにならないと分かれば、佐久田も諦めるでしょう」

 後ろで聞いていた役員も父に進言する。

「社長、この場はご決断下さい。従業員や取引先の命運が掛かっています」

「ぐぬぬ……やむを得んか」

 苦渋の表情を浮かべる父とは対照的に、私は滲み出る笑みを必死に堪えていた。

◇◇◇

 こうして私は無事にアパートへ帰された。実家の豪華さとは程遠い、六畳一間のぼろアパートがとても輝いて見えた。部屋の扉を開けると、そこにはいつもと変わらない夫が居た。

「おかえり」

「ただいま」

 夫は何も訊かず、私の顔を見て微笑んだ。

 程なくして、父は社長を解任され、会社は人手に渡った。株価の暴落を催眠術のせいだと言うような社長はクビになって当然だ。同情などしない。「落ちぶれた者に掛ける情けなど無用」と私に教えたのは、他ならぬ父なのだから。催眠術で株価が操れるのなら誰も苦労はしない。

「ねえ、あなたは私を操ったりしてないわよね」

 私は冗談めかして夫に尋ねた。

「僕がきみを? そんなことしないよ」

 夫は微笑んだ。

「僕が操ったのはあの教授だよ。人は自分に都合の良いことだけを信じようとするからね」

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