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【短編小説】変身するより鍛えたほうが早い

 小学校からの帰り、ヒトシは同級生のハシモトとマスダによって通学路から外れた公園に連れ込まれた。ヒトシは二人から殴る蹴るの暴行を受け、財布は奪われ教科書やノートは近くの川に捨てられた。

 ヒトシにとってそれは初めてのことではなかった。ハシモトとマスダはクラスのいじめっ子で、何か気に入らない事がある度に弱い者いじめをして憂さを晴らしていたのだ。今日はその標的がヒトシだった。ヒトシはそれを察して通学路とは違う道から帰ろうとしたが、偶偶マスダに見つかったことで公園に連れ込まれたのだった。

 ハシモトは小学三年生で身長が一五〇センチもある巨漢で、相撲の親方が挨拶に来る程だ。一年生から柔道をやっていてケンカも強かった。一方のマスダは小学一年生程度の体格しか無かったがハシモトと仲が良く、ハシモトの威光を笠に着て一緒に弱い者いじめをして悦に入っていた。

 ヒトシは空になったランドセルを持って、力なく起き上がった。家に帰ったら親に何と言おうか。前回も親から学校に抗議したが、担任や校長は「子供同士でふざけていただけ」などと、まるで他人事であった。お金も盗られたのではなくヒトシが自分から渡した事とされた。このような大人達の事なかれ主義的な対応はハシモトとマスダをますます増長させ、何をしても怒られないからと横暴に拍車を掛けることとなった。

「どうしたんだ。大丈夫か少年」

 ボロボロになったヒトシの姿を見た通りがかりの青年が声を掛けた。青年はジョギングでもしていたのか、タンクトップ姿だった。鍛え上げられた胸板や上腕が見て取れる。自分の事を気に掛けてくれた初めての大人に会って、思わずヒトシは泣き崩れた。

◇◇◇

「そうか。それは辛かったな」

 一通り話を聞いた青年は近くの自販機で買ったコーラをヒトシに渡し、自分は缶コーヒーを開けた。

「ありがとう、おじさん」

 ヒトシの切れた唇にコーラが少し滲みた。

「それにしても酷い大人だな」

 ヒトシには、青年が意外な事を言ったように思えた。

「大人? ハシモト達じゃなくて?」

「そうだよ。子供達を正しい方向に導くのが大人の役目だからね。酷いのは大人のほうだ」

「大人が何もしてくれないなら、僕はどうすれば良いの?」

「そうだな」

 青年は少し考えて、

「僕だったら学校に行くのやめちゃうな」

 青年の予想外の答えにヒトシは面食らった。

「そんなの無理だよ。パパやママに叱られちゃう」

「いじめられて酷い目に遭う事が分かっているのに、学校へ行くのは辛いだろう。先生達も、本当に君を学校に来させたいなら、いじめっ子達を何とかしないといけないのは分かってるだろうし。ならそれまで学校には行かない事を選ぶよ。叱られるのは君じゃなくて大人達だよ、きっと」

「でも僕、学校には行きたいよ。アイツ等は嫌いだけど、他の友達には会いたいし」

◇◇◇

 二人は公園を出て、ヒトシの自宅のほうに向かっていた。青年が途中まで送ってくれることになったのだ。ヒトシも青年と話して少しだけ気持ちが軽くなった。

 二人が駅の近くを通りかかった時、怒鳴り声が聞こえてきた。

「お前がぶつかってきたんだろうが!」

「ワシは止まっていたのに……」

 金髪のチャラ男が何やら老人に詰め寄っている。

「お前のせいで約束に間に合わねえじゃねえか。どうしてくれんだよ!」

「それは謝っただろう」

「ごめんで済んだら警察は要らねえわ。それに謝るって事はお前が悪いって認めてるんだろうが!」

「そんな無茶苦茶な……」

「何が無茶だ。こっちは約束に間に合わなかったせいで儲け話が吹き飛んで大損だぞ」

 チャラ男は老人に掴み掛かっている。遂に見かねた青年が二人に割って入った。

「その辺でやめておくんだ」

「何だテメエは」

 チャラ男は突如割り込んできた筋骨隆々の青年にたじろいでいたが、青年が警察官などではないと分かると途端に横柄な態度を取り始めた。

「俺はこのジジイのせいで電車に乗り遅れたんだぞ」

「電車に乗り遅れたなら、先方に事情を話して待って貰えば良いだろう。それに、どうしてすぐにタクシーを使わなかったんだ?」

「遅れたせいで大損したんだ」

「そんな大事な待ち合わせなら、もっと早く来れば良いじゃないか」

「それは……」

 青年の正論にチャラ男はたじろいでいたが、

「うるせえ、お前に関係ないだろ!」

 チャラ男はそう叫ぶと青年を殴りつけた。青年は反撃しなかったので、チャラ男の攻撃はエスカレートしていく。

「オラオラ、何か言えやコラ!」

 青年は無表情でチャラ男の攻撃を受け続けた。一通り殴る蹴るしたチャラ男は遂に疲れたようで、捨て台詞を残して去って行った。

 すぐさまヒトシは青年に駆け寄る。

「おじさん、大丈夫?」

「ああ、あんなの何ともないよ。鍛えてるからね」

 青年は笑顔で返した。肌が少し赤くなっているが、本当に大丈夫なようだった。

「さっきのお爺さんは」

「途中で逃げちゃったよ」

「そうか。良かった」

 青年は満足そうな顔をしたが、ヒトシは疑問に思った。

「何であの男をやっつけなかったの?」

「少年、目的を間違っちゃいけないよ」

 青年は真っ直ぐな目で、ヒトシに言い含めるように話す。

「僕はお爺さんを助けたくて止めに入った。あの男をやっつける為じゃないんだ」

「でも、あの男はまた同じ事をするよ」

「そうかも知れない。だけど、それを懲らしめるのは僕のやりたい事じゃないからね」

◇◇◇

 二人は再び歩き出していた。

「僕もおじさんみたいに強かったら、いじめられないのになあ」

「そんなの、鍛えればすぐなれるよ」

「無理だよ。アイツ等に勝てるようになるまで何年もかかるもん。テレビのヒーローみたいに変身できれば良いのにな」

「それこそ無理だよ。変身する道具が無いからね。あ、おもちゃ屋さんで売られてるやつを買ってもダメだぞ。『変身は出来ません』って説明書に書いてあるからね」

 青年は笑うと、続けた。

「それに、もし少年が猛勉強して、偉い科学者になって、変身する道具を発明したとする。でも、その時にはいじめっ子達もとっくに大人になって、それぞれの人生を歩んでいるはずだ。そんな彼らに子供の頃の復讐をするのかい? 何十年も掛けて、その為に大事な君の人生を使うのかい? それって凄い勿体ないと思うんだ。それなら今から身体を鍛えるほうがよっぽど早く、確実に強くなれる」

 青年は腕に力こぶを作って笑った。

「おじさん、ありがとう。僕も今日から鍛えてみるよ。どこまで強くなれるか分からないけど」

 ヒトシにも笑顔が戻っていた。

「おう、ヒトシ。何笑ってんだよ」

 その声を聞いたヒトシの顔がこわばった。視線の先にはマスダとハシモトが立っていた。待ち伏せしていたのだ。マスダは持っていたこぶし大の石をヒトシに向かって投げつけた。青年がヒトシの手を引いて石を躱し、石は駐車している車に当たってボディを凹ませた。

「少年達、やめるんだ」

「ああ? 何だよオッサン」

 マスダが不機嫌そうな顔で青年を睨みつけ、今度は青年に向かって石を投げた。青年は身を逸らして軽々と石を躱した。

「俺達知ってるんだ。大人は子供に手出し出来ない。手を出すと犯罪なんだって。でも子供は何をしても罪にならないんだ」

 ハシモトがそう言って薄笑いを浮かべた。

 青年はヒトシを車の陰に隠し、二人の様子を窺う。

「アイツ等、やっぱりおかしいよ」

「そうだな、どうかしているな」

 ヒトシと青年はひそひそと話し合ったが、どうやらマスダには聞こえたようで、ますます不機嫌そうな顔になった。

「おいハシモト、アイツ等殺そうぜ」

「えー、また? もう殺すのは嫌だよ」

「大丈夫だ。前のも自殺って事になったじゃないか。また学校や教育委員会が上手くもみ消してくれるよ」

「嫌だ。俺はやらないよ」

 ハシモトは少し後ずさった。

「ちぇっ、つまんねー奴だな。じゃあお前もこれで用済みだ」

 そう言うとマスダはハシモトの尻を思い切り蹴飛ばした。その瞬間、巨漢のハシモトがぼろ切れのように吹き飛ぶとヒトシ達が身を隠している車の窓ガラスを突き破って頭から車内に飛び込んだ。ハシモトはピクピクと二、三度動くと、それっきり動かなくなった。

「けっ。怖じ気づきやがって。図体はデカくても所詮は子供だな」

 そう言ったマスダの顔色が見る間にどす黒く変わり、身体のあちこちからトゲのようなものが服を突き破って生えてきた。皮膚のあちこちが裂けると、鮮血と共に下から鱗を纏ったトカゲのような皮膚が露出した。

「何だ、人間じゃなかったのか。道理で子供にしてはやる事が大人びてると思ったよ」

「ああ。このガキはとっくの昔に俺が食っちまったよ。皮だけ使わせて貰ったが、それも終わりだ。この姿を見た以上、お前等も生きては帰れないぜ」

 ヒトシは目の前の突然の出来事に驚愕して声も出なかったが、青年は顔色ひとつ変えなかった。

「おじさん、どうしよう。あんなの絶対無理だよ」

 ヒトシが震え声で青年に尋ねた。

「相手が化け物なら手加減は要らないな」

 青年はどこからともなく大きなバックルを取り出すと腰に装着し、叫んだ。

「変身!」


【2021/10/23 初稿】
【2021/12/15 改稿】

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