vol.50 技術継承のパラダイムシフト
はじめに
昨今様々なところで技術の属人化リスクについて警鐘が鳴らされています。
例えば以下は製造業の事例ですが、業界に関わらず日本全体の共通の課題ではないでしょうか?
しかし、このような問題に対処するためにマニュアル化を進めようすると、「それは中々難しい」という反応が返ってくることも多いです。
そこで、今回は「技術継承のパラダイムシフト」ということで、技術継承の方法について整理し、どの方法に重きをおくべきかの判断基準を考えてみました。また、日本の文化的背景やテクノロジー等の環境変化が技術継承に与える影響についても考察していこうと思います。
技術継承の方法
技術継承の方法について、少し乱暴ですが、 以下「 (1) 師匠から学ぶ方法」と 「(2) マニュアルを通じて学ぶ方法」の大きく2つに分けて整理してみました。
(1) 師匠から学ぶ
技術を極めた方 (師匠や職場の上司) にお願いし、いつも側で見ながら学ぶことで技術を習得していく方法です。師匠から学ぶ方法には以下のような特徴が見られます。
暗黙知の伝承: 師匠から直接技術を学ぶ方法は、暗黙知を伝えるのに最適です。暗黙知とは、言葉や文字では伝えにくいノウハウやコツのことです。職人の手の動きや感覚を直接見て学ぶことで、微細な技術を習得することができます。
実践的なスキル習得: 実際の作業を通じて技術を身につけるため、即戦力としてのスキルの習得が容易になります。現場での経験を積むことで、理論だけでは得られない実践的な知識が身につきます。
個別指導: 個々の習熟度や特性に合わせた指導が可能です。師匠は弟子の進捗を見ながら、適切なタイミングでフィードバックを提供し、個別に対応することができます。
(2) マニュアルを通じて学ぶ
技術を言語や記号等を通じて共有可能な情報にまとめあげ (例: マニュアル) 、これを現場や現場以外の場所で学習していく方法です。テクノロジーの発展と共に場所を選ばずマニュアルを参照したり、関連する動画や音声を視聴することも可能になりました。マニュアルを通じて学ぶ方法には以下のような特徴が見られます。
標準化: 技術を体系的に整理し、誰でも同じ内容を学ぶことができます。これにより、技術のばらつきを減らし、品質の均一化が図られます。
効率的な学習: マニュアルを使った学習は、自主学習が可能で、教育時間の短縮に繋がります。学習者は自分のペースで学ぶことができ、効率的に技術を習得できます。
再現性: 作業手順が明確になるため、作業のばらつきが少なくなります。マニュアルに従うことで、誰でも同じ結果を出すことができ、再現性が高まります。
次のセクションではどちらを選ぶべきか、その判断基準を整理してみます。
どちらを選ぶべきかの判断基準
実務ではどちらかではなく、両者の組み合わせになるケースがほとんどかと思いますが、置かれた環境や状況によってウエイトが変わってきます。そのようなウエイトに影響を与えうると思われる判断基準について、以下5項目を挙げ、あわせて日本にあてはめてみます。
(1) 技術の性質
技術が言葉や文字で伝えやすく、再現性が高い場合は、マニュアル化が適しています。一方、細かな感覚や動きを伴う技術は、師匠から直接学ぶ方が効果的です。
日本語は他の言語に比べ曖昧さを残す特徴があります。また、日本人は集団行動や調和を重視する傾向が強いと言えます。これらにより、技術の言語化が後回しとなりがちで、どうしても直接の指導や実地訓練が重要視されやすくなります。
(2) 組織の規模
大規模な組織では、マニュアル化が効果的です。多くの人に同じ技術を伝える必要があるため、標準化されたマニュアルが役立ちます。小規模な組織では、個別指導が可能なため、師匠から学ぶ方法が適しています。
日本は他国と比べると中小企業の数が圧倒的に多く、努力によってカバーできるのであれば、個別指導が好まれやすくなります。
(3) 人材の流動性
人材の流動性が高い場合は、マニュアル化が有効です。新しい人材が頻繁に入れ替わる場合、マニュアルを使って効率的に技術を伝えることができます。
日本の企業文化では、終身雇用制度が長く続いており、人材の流動性は相対的に低く推移してきたため、マニュアル化が進展していきません。
(4) 時間
短期間で多くの人に技術を伝える必要がある場合は、マニュアル化が効果的です。長期的な視点で技術を継承する時間が確保できる場合は、師匠から学ぶ方法が適しています。
日本は地政学的にも島国であることから他国から攻め込まれることが少なく、徒弟制度の下、じっくりとノウハウを伝達することが可能でした。終身雇用制度の影響もあり、時間を確保して上司の背中を見ながら学ぶ文化であると言えます。
(5) 学習者の特性
学習者が実践的な学習を好む場合は、師匠から学ぶ方法が適しています。一方、自主学習が得意な学習者には、マニュアルを使った学習が向いています。
日本では、一旦社会に出ると、その後学校に戻って学ぶということは稀であり、学習者である社員は実践的な学習を好む傾向があるかと思います。
これら5つの判断基準と日本の文化的背景を考えると、「師匠から学ぶ」方法にウェイトが寄りがちとなりやすい傾向が分かるかと思います。
ただ、属人化リスクに関する度重なる報道を見る限り、我が国では技術継承のあり方に関し、大きな変動 (パラダイムシフト) が起こっているものと思われます。
次のセクションではこのようなパラダイムシフトを起こしている諸要因を考えてみます。
環境変化による技術継承のパラダイムシフト
技術継承を「マニュアルを通じて学ぶ」方法へと動かす力学の背景として、以下3項目にまとめてみます。
(1) テクノロジーによる技術の情報化と共有
テクノロジーの進展により、従来暗黙知であった技術の情報化が飛躍的に容易になりました。
言語のみならず、画像や動画による技術の情報化が容易となりました。
画像や動画等の情報をベクトル化しこれをアルゴリズムと組み合わせることにより、従来職人しかできなかった判断のデジタル化が進展しつつあります (例: 工場における機械の異常検知など)。
マニュアルをデジタル化し、アクセスしやすくすることが可能です。社内のポータルサイトやモバイルアプリを通じてマニュアルを提供し、いつでもどこでも参照できるようにすることで、学習の効率が向上します。
動画マニュアルやオンライン学習プラットフォームの普及により、視覚的に理解しやすい形で技術を学ぶことができるようになっています。
これらにより、技術は言語以外の手段によって情報化され、共有されつつあり、学習者もこれを自主的に学びやすい環境が整いつつあります。
(2) グローバル化によるビジネス環境の変化スピード
上記テクノロジーと共にグローバル化も進み、ビジネス環境が凄まじいスピードで変わっていきます。ある個人のノウハウが陳腐化するサイクルもどんどん短くなっており、じっくり時間をかけて師匠が弟子に技術を伝えていく余裕がなくなりつつあります。
(3) 高齢化や労働市場の流動化
今後日本では生産人口が急激に減少し、技術の持った職人の方々が一気に退職していくものと思われます。一方で技術を継承する若者については、企業側も終身雇用制度の維持が難しくなりつつある中、よりキャリアアップや給与アップを求め、労働市場の流動性は高くなっていくでしょう。
上記のような環境変化をふまえると、日本のいろいろなところで属人化による弊害やマニュアル化の声が出るのは当然の帰結と言えるかと思います。
また、マニュアル化によって効率的に技術継承を進めたとしても、従来以上にその陳腐化リスクにさらされており、形式知にした後はまた新しい暗黙知を探し出し、両者を組織的に往復できるよう意識していく企業文化の醸成がとても重要なのではないかと考えます。
まとめ
日本の多くの会社でリスクとして認識されつつある属人化の問題を「技術継承のパラダイムシフト」としてまとめてみましたがいかがでしたでしょうか?
私が初めて監査法人の門戸を叩いた頃においては、まさに監査技術は「師匠から学ぶ」感がありました。当時はまず現場に行き、去年の監査調書を見たり、先輩と被監査会社の方々とのやりとりを見ながら、ノウハウが引き継がれていました。しかしながら、いわゆるBig4といわれるようなグローバルファームにおいては、その後急速に監査のグローバル化が進み、膨大なマニュアルや監査ツールと共に全世界どこでも同じ監査メソドロジーという実務が広まったと思います。
振り返れば、昔ながらの士業の先生方の勘を懐かしむ議論もたまにはありましたが、前セクションにまとめた環境変化をふまえると、「マニュアルを通じて学ぶ」方法も一定の合理性はあるものと思います。
もちろんマニュアルや座学だけに伴う弊害もあるでしょう。しかしながら日本が直面している状況を鑑みると、我々日本人はもっと暗黙知を形式知に変えることにもっと意識を向けても良いのではと感じています。
今後日本の多くの会社が「技術継承のパラダイムシフト」を意識し、暗黙知と形式知のバランスを取りながら、最適な技術継承方法を見つけ、持続的な成長を遂げることができることの祈り、この記事を閉じたいと思います。
おわりに
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この記事に記載されている内容は、私の個人的な経験と見解に基づくものであり、過去に所属していた組織とは関係ございません。
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