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膝笑!?魅力的で厳しい石段「和歌浦天満宮」社殿は重文!日本三菅廟?【和歌山市】【和歌山市周辺シリーズ】

901年、菅原道真が九州・大宰府に赴く途中、潮待ち風待ちで和歌浦に船を停泊。その時に和歌浦を望み、2首の歌を詠んだところに鎮座する古社で、日本三菅廟と言われている。
背景としては、藤原公任卿「和歌の浦の天満宮や日の本の三の名ただる一つとぞきく」という詠歌からのよう。また、朱子学者・林羅山が「全国に天満宮と称する神社はいくつもあるが、和歌浦天満宮は、大宰府天満宮、北野天満宮とともに由緒ある神社」と述べたそうな。まあ~徳川家に繋がりの強い林羅山なので、注意が必要?

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日本三大天満宮、三菅廟、
諸説あるようだ。(WIKIより
福岡・大宰府天満宮、京都・北野天満宮とあと1つはどこか?という感じですね。

変更履歴
2022/05/09 初版

▼HP

▼アクセス

和歌山市和歌浦西2-1-24

▼祭神

菅原道真

「老いを積む身は浮き船に誘われて遠ざかり行く和歌の浦波」
「見ざりつるいにしえまでも悔しきは和歌吹上の浦の曙」


▼見どころ

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 宿にてここ周辺の神社は行ったよなと妻に話したところ、ここは行っていないと言われた・・・。来た記憶はあるが、お隣の「紀州東照宮」と似てるし、階段がきついので中止したらしい。

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 確かにこの階段凄いです。。妻は下で待つことになり、私一人で階段をのぼります。いざ出陣!?

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 神倉神社ほどではないですが、なかなかの急な坂です。社務所は写真右側になります。階段を登り、本殿にお参り後に社務所に御朱印を頂きました。汗だくだったためか、祭りで用意したうちわを2枚いただきました。上から私たちを見ていたようです。

 階段を登ると綺麗な本殿@重文がありました。

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社殿は、1585年に豊臣秀吉の兵火の後、桑山重晴・浅野幸長により、本殿、唐門、拝殿、楼門、東西廻廊などを再建。
 本殿の右側には境内末社がある。左から多賀神社@重文、天照皇太神宮、豊受太神宮@重文、白山比咩神社となっている。

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 振り向くと街が一望できる絶景が見られます。

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▼旅行記


▼セットで行くところ


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