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本尊は3月の4日間のみ「見性寺」室君が建てた5カ精舎の一つ【播州シリーズ】【播磨シリーズ】【たつのシリーズ】

室津賀茂神社参拝後に狭い道を戻ると進入禁止・・。左を見ると帰りは海側を通るようだ。指示された通り左折すると、観光客用駐車場があった。2台しかないが、そこにおいてブラリした!そう初期型毘沙門天!!

 江戸に向かう西国大名は瀬戸内の海路を選びつつ、兵庫や難波津まで行かずに室津に上陸して陸路に切り替えた。室津まではリアス式海岸が多く接岸に不向きで、ここから難波津までは砂浜の海岸が続いて強風にさらされる危険があった。「播磨国風土記」に「此の泊 風を防ぐこと 室の如し 故に因りて名を為す」とあるように、三方を山で囲まれた室津は天然の良港であった。さらに室津は風光が明媚で、万葉時代から歌人が訪れた歌枕である。

変更履歴
2022/12/13 初版

▼HP なし

▼アクセス

兵庫県たつの市御津町室津311

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照

▼見どころ

 室津の長の娘・室君が建立したといわれる「五ケ精舎」のうち、現存する唯一の寺。古来より文人墨客が室津に寄港すると必ず訪れたといわれている。

 見性寺の創建は諸説ある。書写山・円教寺の開基となった性空上人によって開かれたのが始まりとか、遊女である室君が建立した精舎の1つとも。
 当初は正法寺だったが、1283年に玄海和尚が再興し、その後、在中和尚が寺号を見性寺に改称した。
 鎌倉時代末期には足利尊氏が見性寺を訪れ赤松則村と倒幕の計画を練ったともいわれている。確かに賀茂神社にも参拝したことが記されているので、信ぴょう性はある。

 右手正面の旧家・室津民俗館は 海産物問屋で富をなした豪商「魚屋」の建物だそうです。

 「木造毘沙門天立像@重文」は宝塔を持たずに右手を腰部にあてている、平安時代後期の製作と考えられ、自身を宝塔とみなしているので宝塔がないようだ。
 ちなみに、この仏像は1000年前に室津の海中より夜に光輝を発し現れたそうな(伝承)。公開は原則3月17日から21日の毘沙門祭と室之津祭当日のみ。

▼旅行記

▼セットで行くところ

▼仏像展


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