ヤマトタケル対決「能褒野神社」vs「加佐登神社」【三重北シリーズ】
日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は「古事記」「日本書紀」に伝えられる英雄伝説の主人公。第12代景行天皇の皇子で、各地を平定し故郷の大和へ帰る途中、伊吹山で山の神に阻まれて病に倒れた。不自由な身体を引きずり、伊勢国能褒野(ノボノ)にたどり着くも、力尽きる。故郷を想う日本武尊の魂は白鳥となり、大和に舞い降りると、さらに天高く飛び立っていったそう。
変更履歴
2022/09/20 初版
▼HP、アクセス、祭神
※後述「▼見どころ」参照
▼見どころ
▽能褒野神社(三重県亀山市田村町女ヶ坂1409)
写真の通り「のぼの公園」にある。この公園は無料駐車場も多く行きやすい。明治12年に当時の内務省が亀山市の能褒野王塚古墳を日本武尊墓と指定し、能褒野神社が創立された。この古墳は前方後円墳であり、全長90mと大きい。
能褒野墓は延喜式にも記載されるヤマトタケルの墓。本居宣長や平田篤胤はここから東北4kmにある白鳥塚古墳を有力視していたが、明治12年には宮内庁が当古墳を日本武尊の墓と治定して現在に至る。祭神は「ヤマトタケル」と妃「弟橘姫命」。ヤマトタケル終焉の場所で、死ぬ間際に故郷を偲んだ歌『大和は国のまほろば たたなづく青垣山隠れる 大和しうるはし』は有名。
▽加佐登神社(三重県鈴鹿市加佐登町2012)
ヤマトタケルのために造られた白鳥塚古墳を守護してきた神社。
ヤマトタケルが死の間際まで持っていたといわれる笠と杖をご神体として祀り、延喜式神名帳にある「伊勢国鈴鹿郡の倭文神社(しとりじんじゃ)」を合祀したと伝えられる。本殿右奥に小祠、石碑、石像などが多数見られ拝殿右に朱の鳥居の稲荷神社がある。神社の近くまで車で来れます!
拝殿内の右にはヤマトタケルと思われる偶像があった。
拝殿は綺麗な神明造りで、拝殿右側から「見ることができるのだが、前にはヤマトタケルの石仏?があった。
▽白鳥塚古墳
加佐登神社とセット。ヤマトタケルの墓は能褒野墓とされ、本居宣長や平田篤胤ら江戸時代の国学者はここを有力視していた。ヤマトタケルの白鳥伝説から、白鳥塚とも呼ばれていた。
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