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★仏像展★親鸞聖人御誕生850年「真宗と聖徳太子」立教開宗800年記念 春季特別展

京都駅徒歩圏にある「西本願寺」前の「龍谷ミュージアム」で仏像展ではないが聖徳太子展が開催されている。親鸞と門徒たちが生み出してきた太子信仰に関わる多彩な宝物(重要文化財3件を含む約90件)が紹介される。

京都博物館の展示会は次の通り。

変更履歴

▼公式HP

▼博物館

龍谷ミュージアム

▼動画紹介(リンク)

▼ニュースメモ

▼仏像感想

 3Fから降りていく感じです。3Fの入り口前にあるパネルは写真OKとのこと。(一応聞いているいます)

→全体の感想と展示リスト

https://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/2023/taishi/images/flyer.pdf

https://museum.ryukoku.ac.jp/exhibition/2023/taishi/images/list_j.pdf

 正直、行かなくてよいかなと思っていたのだが、京都駅に行く用事があったので寄った感じです。聖徳太子メインの展示会なので仏像は少ないのだが、1つだけ他とは圧倒している仏像があった!行って良かった。興福寺の仏像がなんで北陸に流れたのか謎が増えたが・・。そして、『興福寺にあった仏像たち』をまとめてNOTEしようと思った。

 では、展示の感想です。

→No.37:南無仏太子像 #毫攝寺

 寺外初公開のようでした。以下のサイトの写真右側に展示されていました。
 京都と奈良の二歳像は穏やかな顔なのですが、少し険しい顔をしているのが特徴で、ちょっと護摩が移っている感じもしました。

2歳の年齢には似つかわしくない、きりっと大人びた表情が印象的だ。「太子を、幼少から聡明だったお釈迦様になぞらえているのだと思います。また当時は、子どもは神聖なものと考えられていました」と石川氏。毫攝寺(ごうしょうじ)所蔵の「南無仏太子像」は少し趣が違っていて、幼児らしさが際立っている。2歳の太子が東を向き「南無仏」と唱えた伝承に基づいて合掌をしているが、ふくよかであどけない表情がリアルだ。「この像を造った仏師の視点が、この造形になったのかもしれませんね」

↓引用元

 公式HPと寺の紹介サイトです。

真宗出雲路派本山毫摂寺は、1233(天福元)年親鸞聖人が京都上加茂、下加茂の間の出雲路に一宇を草創され、第五世善幸上人の時代1338(暦応元)年に越前水落の辺り山元の庄(鯖江市神明町)に移転されました。ここに第十一世善秀上人の時代に至るまで在住しましたが、同上人には御法嗣がないので柳原大納言より法嗣を迎え、第十二世善照上人として法灯を継がれました。法灯を継がれた善照上人の時代1596(慶長元)年に、もと太子堂があり先に秀吉公より徐地朱印を頂いていた現在の地、味真野地区清水頭に移転されました。

↓公式HPより

→No.38:南無仏太子像 #称名寺

 神奈川の称名寺が有名ですが、展示されていたのは福井の寺です。
 この二歳像はよく見る様式に感じますね。

→No.39:南無仏太子像 #頓受寺

 愛知県一宮市の寺ですね。尾張氏の繋がりの良い神社が多いので良い仏像もあるのでしょう。
 江戸時代まで大阪・四天王寺に安置されていた聖徳太子像でした。

→No.40:聖徳太子童形立像 #西光寺

 東京の西光寺より、京都・広隆寺の聖徳太子像と同形式で1341年の作。とあったが、実際、広隆寺で仏像を見たものとしては、そうかな??という感じでした。ただ、キリっとした顔は見ごたえあり。
 次のサイトに仏像の写真がありますね。

寺のサイトは次の通り。

今から約八〇〇年前、親鸞聖人が関東遊行布教の際に、 清重の館(現西光寺)に立ち寄られました。その後、雨が降り止まず親鸞を五十三日の間、足止めさせることになります。 梅雨の時期だったのかも知れません。 しかし、その期間に清重は存分に親鸞の教えを聞くことができ、 喜び感動のあまり発心し、親鸞聖人に帰依して御弟子となり、名前を西光坊定蓮(じょうれん)と改め、自らの居館を西光寺とします。
それからというもの、親鸞聖人直筆の阿弥陀佛(現存)を本尊として日夜拝み、日本仏教の復興は聖徳太子の功績によることを知り、 その高徳を慕い、自ら聖徳太子像(現存)を刻みました。

↓引用元:公式HP

→No.41:聖徳太子童形立像 #光照寺  

 広島の「光照寺」です。記憶なし・・。

→No.42:聖徳太子孝養立像@重文 #松岡寺  

 神仏分離で石川にたどり着いた興福寺の「聖徳太子孝養立像@重文」は素晴らしい!
 鎌倉時代なので玉眼だろうと思ったが違うかもしれない。。判断がつかないぐらいの切れ目である。ところどころ金も残っており、衣文と切金も素晴らしく。左手から見ると快慶作の三尺阿弥陀並みに袈裟が凝っており、すごい技術なんだろうな~と凝視してしまった。

鎌倉時代の作と伝わる、父用明天皇の病の平癒を願う太子16歳の姿を表す「孝養太子」像は、衣文の装飾など、端正な雰囲気が伝わる。奈良仏師の作風を示す像だ。明治初頭の廃仏毀釈の折に、奈良・興福寺から能登町の松岡寺へ移されたことから、こうして間近に見ることができる。

親鸞聖人による深き尊崇が伝わる、聖徳太子ゆかりの宝物を紐解く
https://www.artagenda.jp/feature/news/20230411

 興福寺は神仏分離令で、興福寺の僧の多くが春日大社に流れて荒廃する。復興すべく様々なものを売りに出た歴史があり、海外も含めて宝物が流れている。なんで石川に流れたんだ?という思いで仏像も眺めていたが、自宅に戻り、調べたところ開基が京都・本願寺(今は西本願寺と東本願寺に分かれた)なんですね。中央と繋がりがあり、流れ着いたのかな~。

  能登町松波にある浄土真宗本願寺派の寺院。波佐谷山と号し、本尊は阿弥陀如来。開基は本願寺8世蓮如の3男蓮綱(兼祐)。四方36mを誇る本堂は、能登最大規模。ここには奈良興福寺から伝来したという等身大の聖徳太子孝養像(国重要文化財)がある。

https://www.hot-ishikawa.jp/spot/5552

→No.43:聖徳太子孝養立像 #聖善寺  

 愛知県の「聖善寺」より、父・用明天皇の体調が治るように願っている16歳像(養立像)がもう一体あった。
 孝養太師立像は1597年の墨書があるもので、しだれ桜が有名な寺のようだ。

▼仏像以外の感想

 聖徳太子絵図など様々な宝物が展示され、寺ごとに違う所などを探すと面白いかと。
 聖徳太子絵図で見入ったのは「杭全神社」のものですね。「全興寺」に伝わったのではなく、神社に伝わるところが面白い。

 その他、聖徳太子に関係する宝物を提供した寺を紹介します!って多いな・・・。また行くところ増えたな・・。

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▼過去の関係・類似展

→2021年:奈良国立博物館「太子展」

私の備忘録です。

→2021年:大阪市立博物館「聖徳太子 日出づる処の天使」

 公式HPと私の備忘録です。

▼旅行記 なし


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