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若狭彦/若狭姫神社!東大寺・お水取り! 若狭「お水送り」から始まる-神宮寺【福井シリーズ】

湧水の場所は“若狭井”と名付けられ、「閼伽水」を汲み上げて本尊にお供えする儀式が、奈良に春の訪れを告げる「東大寺二月堂のお水取り」です。そして奈良・東大寺と小浜を結ぶ神事が「お水送り」で、その場所はここです。

変更履歴

2021年08月25日 初版

▼HP

なし

▼アクセス

神 宮 寺:福井県小浜市神宮寺30-4
若狭彦神社:福井県小浜市龍前28-7
若狭姫神社:福井県小浜市遠敷65-41

▼祭神・本尊と脇時

※後述「▼見どころ」参照。

▼見どころ

▽神宮寺

毎年3月2日に行われる、奈良・東大寺二月堂への「お水送り(小浜観光HP)」が有名です。この後に東大寺で「お水取り(東大寺HP)」が行われます。本堂内は仏像と神像が祭られ、神仏習合が色濃く残っています。2礼2拍1礼2拍だったか特殊な祈り方です。

元々は若狭彦神社の別当寺として繁栄し、七堂伽藍二十五坊を誇ったそうだが、豊臣時代に寺領を没収され衰退していく。
鎌倉時代の末期に建てられた重要文化財の北門には、木造金剛力士像を一対を安置している。
前庭には、毎年3月2日の「お水送り」神事で使われる大護摩壇があり、ここでは19時頃から修験者が斧の大事・法弓大事・宝剣大事を奉じ、水師の願文奏上を終え、達陀(だったん)の火による大護摩法要が奉修される。

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▽若狭彦神社・若狭姫神社

若狭姫神社を下社、若狭彦神社を上社とし、元々は神宮寺とセットだった。 祭神は、彦神社は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと・山幸彦)、姫神社は豊玉姫命(とよたまひめみこと・乙姫) で奈良の東大寺で二月に行われるお水取りと深く密接に結びついている。
東大寺のお水取りは木のエネルギーを活性化させる行事なのですが、それには育てるための水が必要で、その若水が若狭の水ということらしい。
東大寺でもその旨を記載しており、地下で繋がっているとか・・。御朱印は下社だったかと。

▽若狭姫神社

721年に上社より分祀されて現在地に移さた。祭神はヒコホホデミの妻「豊玉姫命(トヨタマヒメ)」としている。境内には「子種石(こだねいし)」と呼ばれる陰陽石、「乳神様(ちちがみさま)」と呼ばれる大銀杏がある。境内社には「中宮神社」と「日枝神社」が鎮座しており、中宮神社の祭神はトヨタマヒメの妹「玉依姫命(たまよりひめ)」を、日枝神社の祭神は「大山咋神(おおやまくい)」を祀っている。

神門には「遠敷神社」と書かれた扁額がかかっている。これは東大寺二月堂の神事「お水取り」にかかわる遠敷明神のこと。修二会の創始者である実忠和尚は「神名帳」を読み上げ、日本国中の神々の名前を唱え勧請した。この時、魚釣りに興じていて参集に遅れた若狭の国の「遠敷明神(おにゅうみょうじん)」が、遅参のお詫びに、二月堂のほとりに清水を湧き出させ、観音様に奉りました。これがお水取り神事の始まり。

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▽若狭彦神社

714年に現在の白石神社に仮社殿を営み、715年に現在の地に移された。下鴨神社と上賀茂神社と同じく、上社・下社の関係で、若狭彦神社を上社とし、若狭姫神社を下社とする。厳密にいえば、神宮寺もセットだった。

祭神は「彦火火出見尊(ヒコホホデミ・山幸彦」で、奈良の東大寺で二月に行われるお水取りと深く結びついている。東大寺のお水取りは木のエネルギーを活性化させる行事で、育てる水が若狭の水ととしている。

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最後に若宮社は山幸の息子であり神武天皇の父「うがやふきあえずのみこと」を祀っている。

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▼セットで行くところ

▼旅行記

▽若狭の仏像

▽小浜と三方五湖


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