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快慶所縁「達身寺」は別名「丹波の正倉院」by東大寺古書 -丹波・篠山-【兵庫】

お腹ポッコリ仏像「達身寺式」はここ!重文が12体あり、奈良・東大寺の文書に快慶が「私は丹波仏師である」とか「丹波の地とつながりの深い仏師である。」と記されていることから何らかの繋がりがある寺。

 また、別名「丹波の正倉院」の名を持ち、平安・鎌倉時代の仏像80体を所蔵し、そのうち12体が国の重要文化財、34体が県の文化財である。
 お坊さんの説明があるのでタイミングによっては時間がかかります。

拝観の説明より
 奈良の東大寺の古文書の中に丹波講師「快慶」と記されており「私は丹波仏師である。もしくは丹波の地とつながりの深い仏師である。」と言っている。ともすれば、鎌倉時代の有名な仏師「快慶」は、達身寺から出た仏師もしくは、達身寺とつながりの深い仏師であると言える。  
 ところが、残念なことに達身寺には古文書が何も残ってない為、はっきりしたことは解らないとのこと。

 あと、延暦寺、興福寺などと同じく多くの僧兵を抱え山岳仏教の教権を張るような大寺院であったとも言い伝えられている。

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2回目の見仏で、「見仏記」コンビことみうらじゅん氏といとうせいこう氏が来ることがわかった。絶対言うよな「メタポ仏像」って。。その後、テレビ番組を観たが言っていた気がする。

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変更履歴
2021/09/26 初版

▼HP

▼アクセス

兵庫県丹波市清住259

▼本尊と脇時

阿弥陀如来坐像@重文

▼見どころ

 この寺も説明を聞きながら拝観できます。本堂が瓦葺きなので、保存が大変そうです。がんばって保存していただきたいなと思います。

 行基菩薩によって開かれたと言われ、宗派は天台か真言系であっただろうと思われるが工房説もある。なぜ工房説があるかというと次の通り。

①本尊仏や兜跋毘沙門天が数多くあり、それらの数体が未完成
②平安時代の一木造り、鎌倉時代の寄せ木の「兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)」が16体もある
③東大寺の文書に快慶がここ出身、ここの講師とか示されている

 若干距離があるが、丹波・丹後王国に位置する京都・舞鶴に快慶の仏像が4体あることから、何らかの繋がりがあったのでは?とも思う。

 もしかしたら、快慶の故郷はこの周辺で父親が丹波仏師とかだったら面白いな~と思うのだが、真相はいかに!?

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○宝物館①:仏像は公式HP観光協会

 達身寺の仏像は木造で一木造りが多い。一木造りは気温や湿度により変形しないよう中心部は使えないことから、周りの部分で作るため大木が必要になる。宝物館①では寄木造りで、長い間に放置された為、本来の仏像の姿で今の世に残る事が出来ず、破片化してしまった仏像たちである。

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○宝物館②:仏像は公式HP観光協会

 破損仏を観た後に宝物館②に行く。
 ここからが本番だ!!中央に「阿弥陀如来坐像@重文」脇侍に「十一面観音坐像@重文」「薬師如来坐像@重文」三尊で、十一面の坐像は珍しい。薬師如来坐像は行基作とされ、室生寺の国宝である弥勒菩薩坐像を思い出させる風貌。
 その他吉祥天立像、聖観音菩薩立など数多い仏像たちがいる。気になるのはポッコリと突き出した腹部で、聖観音、兜跋毘沙門、薬師如来などにも共通しており、いわゆる”達身寺様式”と呼ばれている。

○境内

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 本堂右側(本堂を出て左側)にお堂と紅葉が観れます。お堂をのぞき込むと、「兜跋毘沙門」と「聖観音」が現れた。こちらもメタボである。毘沙門と聖観音の組み合わせはあまり観ない気がする。

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▼セットで行くところ&旅行記


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