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国指定重要文化財の社だらけ「広八幡神社(広八幡宮)」にある思いと歴史 【和歌山】【広川】

欽明天皇の時代に大阪府羽曳野市・誉田八幡宮から勧請。昔から津波避難場所とされた広川町の歴史・思いが詰まった神社。その思いは6棟の国指定重要文化財を有すことに繋がっていると思う。。

変更履歴
2022/04/20 初版


▼HP

//https://hirohachimanjinja.or.jp/

▼アクセス

和歌山県有田郡広川町上中野206

▼祭神

八幡神
若宮社:仁徳天皇(大鷦鷯命)
高良社:武内宿祢
天神社:菅原道真

▼見どころ

社殿はすべて国の重要文化財です!この時期を書いているときに公式HPを見て知った。もっと、写真きっちり撮るべきだった・・・

楼門@重文がお出迎え!素晴らしい朱色で舞殿・拝殿・本殿が一直線で並んでおり、期待が高まる神社。

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大震災がおこあったときに集まる場所がここ。そう!この町のシンボル「稲むらの火の館」に行き、行かざるを得ないなということで急遽参拝!本殿は国重文である。

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ちゃんと舞殿・拝殿もあり朱色のよい社殿が並ぶ。拝殿、本殿も重要文化財である。

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ということで、この神社に来る前に「稲むらの火(公式HP)」で勉強してから来るのがベターかと。

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本殿横には若宮社・高良社・天神社があり春日造で国重文。それぞれ、仁徳天皇(大鷦鷯命)、武内宿祢、菅原道真を祀る。

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「四方唐破風御輿(しほうからはふみこし)」が納められている。江戸時代に現在の長崎県新上五島町より奉納されたもの。つながりは不明だが、九州の海部族とのつながりが強い地域なのか?いや、潮の流れで昔から、この周辺で休むのかな・・?もしくは熊野詣入口?
由良・日高の八幡社は九州と繋がりのある氏族、神功皇后と幼い応神天皇も九州からここを通っている。偶然なのか・・。

社殿の改修等の際にご神体を一時的に安置する「仮殿」がある。ということは、式年遷宮をしているのかな。
ネット(産経新聞)で調べると2015年に修復したようだ。

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「五島石」は明治中期ごろまでは青年の力くらべにこの石が利用され、「福石」は触ると福があると言われている。

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ご朱印が良い感じだが600円です。ま~それはさておき、境内には寺の跡地が多い。要は、神仏習合の場所であったということで、稲むらの火の館の映画には出なかったが、江戸時代の天災はここのお堂で人々は耐え忍んだと思われる。

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最後に境内案内と公式HPも載せている動画。


この神社は寺があったのかなと思わせる空気がある。実際、境内左側と駐車場に向かうお堂がある。

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最後に難しいことや歴史は専門家に任せます。


▼おまけ:稲むらの火の館

1820年(文政3年)、「稲むらの火」で知られる濱ロ梧陵は、紀州広村(現在の広川町)で生まれました。
安政の大地震津波時、その命の火で多くの村人を救った彼の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。

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゚(∀) ゚ エッ?

▼セットで行くところ(旅行記)


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