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ヤニカスちゃんとは(自己紹介)

SNSを介して人々とやり取りをする上で、ある程度個人情報に配慮しながらも、最低限「こういうやつ」というのがわかるような自己紹介をいい加減残しておきたいなぁと思い執筆に至りました。各項目の不足については、必ず別記事で詳細を追うつもりなので、ある程度淡白な記述になっているかもしれません。
構成については、以下の目次を参照して、興味のあるところだけを触っていただいてもいいと思います。
※時事的な事柄については執筆時点(2022年)のものとなります


ざっくり

愛知県大名古屋帝国出身、関西圏在住の現在27歳です。大阪大学で社会人大学院生をしています。

お仕事は高校教員をしていて、研究分野は教育学系です。

もう少し細分化すると、教育社会学系とも言えるかもしれませんね。

なんか、社会的不利におかれた高校生たちの進路形成の構造や、それに対して学校(≒教師)がどんな効果を持つ(持たないことも含めて)のか。

みたいなことに質的研究で迫りてぇなぁという感じです。

また、今回は深く触れませんが、実はあのYouTube大人気企画

笑ってはいけないマネーの虎

のナレーションもしており、インターネット芸人としての顔も介在していることは否めないでしょう。

いい声してます。



ヤニカスちゃん愛知県編

学校はキモい

中学高校と、私はとっても可愛い性格をしているし、

何よりもめちゃくちゃイイヤツ

なので、常に周囲の友人に恵まれて生活を営んでいました。

彼らとは、愛知県を離れた今も深い親交があります。

しかしながら、何故か大人(≒教師)たちと上手くやれず、本当に生きづらかったのです。

身なりに関する校則に意義を見出せず議論の場を持ち掛けようにも取り合ってもらえず学校で髪を切られたり(コレ体罰だよね?)、理不尽な難癖を付けられ親を呼び出されたり(親泣いてた)したことを記憶しています。

そんなこんなで、とりわけ高校時代はとんでもなく荒れてしまったことが思い出されます。

時効ではないかもしれませんが、当時はこれらに起因して、

対教師暴力

の当事者でもありました。すまん(いまだに全然思ってない)。


また、「学校はキモい」の熱量が強すぎてロクに勉強もせず、テキトーに県内の私立大学に進学をしました。

学校はキモいpart2

冷静に考えて、

私はとっても可愛くてめちゃくちゃにイイヤツ

なのです。

これは変わりようのない事実です。

そんな可愛くてイイヤツである私を排除し、(間接的ではあるかもしれませんが)学習権を侵害

しやがった

学校(≒教師)の、「キモさ」を明らかにしたくて仕方がありませんでした。

異常です。

子どもの頃、弟と喧嘩なんかをすると母親から度々

「相手の気持ちを考えなさい」

などと叱られていたことを思い出し、私の抱える命題を明らかにする上で最強の思考に辿り着いたのです。

「ほな、わいが教師になってみたら"キモさ"がわかるんちゃうか・・・?」

こうして、私は進学した私立大学における教職課程の授業に励むことになりました。

すげーおっさん(教育行政学)との出会い

どんな下位ランクの大学でも、そこで教鞭をとっている教授陣の経歴は、端的に、

「すげー」

わけです。

私は、そこで出会った教育行政学のおっさん(准教授)に心底惚れ込みました。何故なら、私は彼の講義(当時20歳くらいかな)で初めて

子どもは教育を受ける"権利者"である

ということを学問的・制度学的なエビデンスを基に知ることができたからです。

20歳くらいだったらそれくらい知っておけよと言いたくなりますが、当時の私の知識量など、その程度のものでした。

この出来事から

そうだったのか・・・ほな、わい、権利侵害されてきたんや・・・」

そう思うことができ、「キモさ」を探求してイイんだ!!と、前向きな気持ちになることができました。

こうして、私の抱える命題へのアプローチは「実践(教師になること)」だけではなく、「研究」という選択肢が生まれたと言えます。

ちなみに、そのおっさんとは今でも仲良しで、つい最近は大阪で一緒にお寿司を食べました。

学習支援事業時代

そんなこんなで例のおっさんと共に、行政からの委託を受けた学習支援事業所において、子どもの学習権を保障するぞ!みたいな気持ちで副事業責任者として携わっていました。

当時の記事を添付しておきます。

本名がバレるのでヤニカスちゃんという名称、意味ないなぁと思いながらも、別に隠しているわけではないし、見られて困るようなことを投稿するつもりはないのでいいとしましょう。

記事内でボクシング云々と書かれているのが私のことです。

ボクシングのことについて書こうとも思ったのですが、まぁコレは別記事でいいでしょう。

大した成績残せなかったし。

それはさておき、こういった「学校の外」の教育の場においてもまた、

可愛くてイイヤツ

なのに学校から排除される子ども達と向き合い、やっぱり学校ってキモいなぁという思いが強まったことを記憶しています。

というか、学校は公的なものとして、仮に私なり彼らが、

可愛くなくてワルイヤツ

だったとしても排除してはならないのです。

また、この頃から子どもの抱える格差は経済資本によるものだけでなく、むしろ

文化資本社会関係資本

的なハンディキャップが彼らの生きづらさを生むのではないか・・・

そういうのを公的なものとして学校が保障したり是正に向けた取り組みをしたりしなきゃ、

格差、一生縮まらんくね?

みたいなことを考え始めるようになりました。


謎の一年

こうして晴れて学部を卒業して教員免許状を手にするわけですが、私は

謎の一年

を過ごすこととなります。

理由としては、先ほどから何度も登場する「キモさ」を

研究の立場から検討

するのか、

実務の立場から検討

するのかで悩みに悩み、結論が出せなかったためです。

スーパーモラトリアム。

そうして、この一年間は辿れる伝手をフル活用し、県内の国立大学の大学院ゼミに入り浸ってみたり、エデン名古屋でバーテンをしてみたり、はたまたえらいてんちょうに誘いを受け、YouTubeチャンネルを動かしてみたり(しょぼいYouTuber事務所全盛期)と、わけのわからない、そして有意義な時間を過ごしていました。

時にはフィンランドはヘルシンキに転がっていた時期もあります。

本当に意味不明すぎる。

むっちゃタバコの値段高かった。

さらば愛知。さらば大名古屋帝国。

前項「謎の一年」で自身の身の振りを模索する中で、愛知県が私にとって住み心地が良すぎるものであることに気付いてしまったのです。

言ってしまえばただの

スーパーモラトリアム既卒無職

なのに、家族、友人、(当時の)恋人、何もかもに恵まれ

「コレ、別に俺このままでも生きていけるやんけ・・・」

そう感じたことが、故郷との別れを決める一撃となりました。

そしてこの時、私の抱える命題に対するアプローチの方法は大部分で

研究

に傾いていましたが、やはりどうしても一度は教師をしてみたい、

学校側から

そのキモさや、あの可愛いくてイイヤツである私を排除した構造を理解してみたいと思い、県外での教員としての就職を決意しました。

また、学習支援の経験や、私の反学校的な性質を踏まえて、一般的な全日制普通科高校に勤めてもおもろしくないだろうという安直な理由で、少し不思議な学校へ就職することとなります。

ちなみに、就職する学校種については、安直ながらもしっかりと選定しましたが、関西圏に移動した理由は特にありません。

なんか、

たこ焼き美味しそうやん。

くらいの熱量でした。

ヤニカスちゃん関西編

高校教員のヤニカスちゃん

まぁ、私が高校教員というのは半分正しくて半分間違いなんです。

みなさんは

高等専修学校

という学校種を知っていますか?高専(高等専門学校)とは全く違う学校です。

まぁ、結論、私はその高等専修学校の教員なんですが、中々周知されていない学校種なので少し説明します。

制度的な側面として文部科学省の記述を引用すると


高等専修学校は、昭和51年に新しい学校制度としてつくられた専修学校のうち、中学卒業者を対象とした課程です。社会に出てすぐに役立つ実践的な職業教育を行い、いろいろな分野でスペシャリストを養成しています。高等学校と並ぶ正規の後期中等教育機関として、高等学校の枠に収まらない多様な教育を行っています。

文部科学省公式HP

だそうです。

なんか、スゲー強そうに見えませんか?

てかこれ、高専(高等専門学校)と何が違うねん・・・となった方も多いことかと思われます。

しかしながら、実際は不登校サポートナビというサイトの記述が現実に即した解釈を示しています。

高等専修学校は学校教育法に定められている正規の学校です。国立は文部科学大臣、公立は教育委員会、私立は都道府県知事の許可を受けています。無許可の教育機関はこの名称を使えません。許可校であれば、学割や通学定期の割引、奨学金制度などを利用することもできます。
高校と並ぶ後期中等教育機関として位置づけられているものの、ひきこもりや不登校経験者、高校中退者、転入生の受け入れにも積極的。多様化する生徒のニーズに柔軟に応えながら、それぞれの個性を尊重する教育機関なので、社会的な評価も高まっています。

不登校サポートナビ

政府文書ってなんで綺麗っぽい側面ばかり前面に出すんでしょうね。

まぁそれはさておき、引用太字部分に類する事項や非行傾向、発達障害グレーゾーンを抱えた生徒が大多数通う高等専修学校で勤めているのが、私ヤニカスちゃんということになります。

研究者や中学校の教員はこのような学校を

最後の砦

などと称することもあります。

まぁ、様々な理由でどの高校にも進学が難しい子どもの

受け皿

みたいなイメージでいいと思います。

現在は大学院の兼ね合いで仕事量をかなり減らしていますが、昨年度までは担任を持って生徒たちとわちゃわちゃしておりました。

本当に楽しかったし、今も楽しいです。

学校の「キモさ」の正体やいかに

結論からすると、結局

わからない

教員として学校の内部から学校を批判的に検討しようとしたものの、

なんだかよくわからないが、クソキモい

というのが正直なところです。

そして、この頃から、自身の抱える「キモさ」に固執するというよりも、前項で提示したような

社会的に不利に置かれた子ども

がたくさん通う

最後の砦

の機能について疑問を抱くようになります。

その教育活動は極めて属人的(もはや俗人的でもある)であって、汎用性もなければ、その時々の教員が感じる

「正しい」(っぽいこと)

が軸に遂行されており、

これ、最後の砦及びセーフティネットとして適切に機能してる・・・?

と感じるようになりました。

要するに

地域の困った子どもを集めるだけ集めて、彼らの本当に必要とする支援を等閑視している利益主義に対する「キモさ」

へと私の関心が移行していくこととなりました。

大学院生のヤニカスちゃん

さて、教師として3年の月日を経ていよいよ大学院編に突入するわけです。

社会人から大学院生になるための

入試対策

大学、研究室の選び方

なども今後How to系の記事として残そうかなと思っています。

月並みな感想ですが、社会人をしながら大学院入試の勉強をするのは、中々骨の折れる作業でした。

また、自身の研究計画や今後アカデミックなものとして執筆するであろう事項を含むので

初稿の「ざっくり」

で記述している程度にとどめますが、前項の「キモさ」に対し、一旦自分の感情論としての反学校精神を捨て去り、「学問」という、ある意味で

第三者的な下支え

を持って検討し、現場の子どもや教師に還元したいと強く感じたことが進学の要因かなと思ってます。

まとめ

いざ自身の歴史みたいなものを振り返ってみると、どう考えても奇妙というか、実は

自分が一番「キモい」

のではないだろうか。という帰結を生み出しそうになります。

まぁ、そんなはずはないのでいいとしますが、語ら(れ)ない部分もあるとした上で、おおむね

「私」

を簡略的に説明するには十分なものではないかなと思っています。

これから長い文章を書く機会というのは必然的に増えてくるわけで、その抵抗感を減らす練習みたいな位置付けでnoteの更新をしていきたいと考えています。

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