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【提言】『カメラを止めるな!』の4つの問題点から考える―映画制作と俳優ワークショップの在り方を考え直すべき時

いうまでもなく、『カメラを止めるな!』は2018年に全国の劇場で公開され、30億円以上の興行収入を記録した映画作品である。日本アカデミー賞をはじめとする、その年の映画賞にことごとくノミネートされ、いくつかのタイトルも獲得した。上田慎一郎監督は売れっ子の仲間入りを果たし、無名だったキャストたちも大幅に仕事を増やしている。

本作を「作り手の熱量と映画ファンの愛が生んだ奇跡」とまとめることは可能だろう。ただ、『カメラを止めるな!』の問題点を美談に落とし込むだけでは、映画界に悪しき事例を刻むことになりかねない。いや、そうなりつつあるのが昨今の状況だと思う。

2021年11月現在。撮影現場や劇場での搾取、ハラスメントが相次いで告発されている。このタイミングで、『カメラを止めるな!』が制作経緯と劇中の内容で示してしまっている、日本映画界の問題点をしっかり振り返っていきたい。「ヒットしたから許される」で済まされることではないのだ。以下、自分が考える4つの大きな問題点を挙げていく。

(本題の前に書いておきたいのだが、自分がこの記事を執筆しようと思ったのは、後述する某映画関係者との対話があったからだ。その人との話を経て、自分は俳優ワークショップと関連付けて制作される映画(以下、ワークショップ映画)の功罪を真剣に考えるようになった。同時に、かつてワークショップ映画に携わった自分も顧みずにはいられなかった。この文章は、二度と過ちを犯すまいとする自分への戒めでもある。

なお、上田慎一郎監督と劇団PEACE主宰・和田亮一氏との協議については、和解済みということもあって言及を避けた)

1. 製作費300万円の是非

『カメラを止めるな!』が絶賛された要因のひとつとして、その少ない製作費とエンタメ性に富んだ内容のギャップが挙げられるだろう。本作の製作費は250万~300万円ほどといわれている。この点について、多くの映画評論家やファンは「お金がなくても面白い映画は作れるんだ」と好意的に受け止めていた。『カメラが止めるな!』が面白い映画かどうかの議論は、主観になりかねないのでやめておく。そもそも、本作がいかに面白かったとしても、根本的な問題の弁解にはなりえない。

『カメラを止めるな!』のクオリティはさておき、考えてほしいのは、そもそも300万円で商業映画を作ることの是非である。本当に製作費が300万円だったのか、それとも、上田監督による持ち出しがあったのか、特にファンではない自分には分からない。しかし、全国のスクリーンにかかった映画に、集まったお金が300万円とはどういうことなのか。

参考までに挙げておくと、2019年に上田監督が撮った長編映画『スペシャルアクターズ』の製作費は5000万円である。それなのに、映画からは特に「お金がかかっている」という感じはしない。海外に目を向けてみよう。アメリカの『ハッシュパピー~バスタブ島の少女~』(2012)は低予算であるにもかかわらず、数々の映画賞を獲得したことで話題になった作品だ。ここでいう低予算とは、日本円に換算して約2億円。日本映画では十分にメジャーレベルの予算である。つまり、欧米と日本では予算に関する感覚が1桁どころか2桁は違うのだ。ちなみに、韓国やインド、タイなどの映画産業が成長しているアジアの国々と比べても、日本映画の予算ははるかに安い。

別に安い金で映画を作るな、といっているわけではない。低予算で長編映画を仕上げたスタッフの情熱も本物だっただろう。それでも、なぜ長編映画を作ろうとして300万円しか集められないのか。集められないのは仕方がないとして、なぜ全国のスクリーンにかけてしまうのか。その矜持を問うているのである。

自分は『カメラを止めるな!』のスタッフ・キャストのギャラを知らない。ただ、300万円と聞けば、無給かそれに近い形で働いていた人たちがいることは容易に想像できる。『カメラを止めるな!』がヒットした後、彼らや彼女らに金銭的な還元はなされているのか。なされていたとしても、「ヒットしたからお金を払えた」でいいのか。この自問自答を、商業映画に携わる監督、プロデューサーは常に忘れないでほしい。

2. ワークショップ映画を一般公開するのは健全か?

一般の映画ファンは知らない人も多いが、『カメラを止めるな!』は「シネマプロジェクト」というワークショップ映画である。ワークショップに来た俳優の中からキャストが選ばれ、映画を制作し、一般上映するところまで企画は決まっていた。この「映画を一般公開する」というのが無名俳優たちにとっての魅力となるわけである。余談だが、配給はSPOTTED PRODUCTIONSが手掛けている。

ENBUゼミナールによる、シネマプロジェクトの紹介ページを見てみよう。

★これは単なるワークショップ映画企画ではない!
★監督と俳優の熱いコラボレーションによる映画製作プロジェクト!
★監督は今注目の若手を起用し、本気で作ります!
★そして完成した映画は劇場にて一般公開し、映画祭への出品も目指します!

「単なるワークショップ映画企画ではない」とあるが、はっきりいって、よくあるワークショップ映画の宣伝文句である。有名な監督、配給が関わっているので、応募する側には多少、特別感があるのかもしれない。しかし、映像系の俳優ワークショップでは「映画を作る」「公開する」ことをアピール材料にしているケースが非常に多い。告白するが、自分が昔、京都で関わっていた俳優ワークショップもそうだった。

当時の名残があり、最近まで自分の中に「監督が傑作を生みだすことで俳優ワークショップの受講生は報われるはずだ」との思いはあった。だが、某映画監督との対話の中で、こうした考えは霧散した。彼は「少ない成功例をアリバイにして、俳優ワークショップ映画を一般公開知ることには賛成できない」と言った。ワークショップとはあくまでも学びの場であり、商品として観客の鑑賞に耐えられる映画を作ることはまた別の話なのだと。

自分は敬愛するジョン・カサヴェテスやニコラス・レイなどの監督が、ワークショップから映画を作り上げていたことにも感銘を受けていた。ただよく考えれば、カサヴェテスのワークショップとは最初から高度なスキルを持っている俳優たちがより高みを目指すための場だった。レイのワークショップ映画『ウィ・キャント・ゴー・ホーム・アゲイン』(1976)は学生たちとのコラボレーションによる実験映画であり、一般公開を目指して作られたわけではなかった。

シネマプロジェクトがやっていることは、「映画制作と一般公開をPRして、生徒を集める」「低予算で映画を作る」「映画上映で利益を出す」という、分かりやすいビジネスである。そこに、ワークショップ本来の健全な教育や実験精神は薄い。『カメラを止めるな!』のようなヒット作が生まれたからといって、ワークショップ映画の現状を肯定的に捉えていていいのだろうか。それは無名の俳優たちを、ニンジンをぶら下げて囲い込む搾取構造ではないのか。

なお、映画制作を前提としたワークショップの代表例として、濱口竜介監督のいくつかの作品も挙げておく。濱口監督の『ハッピーアワー』(2015)は一般公開され、大絶賛もされた。しかし、それでいいのか。なぜワークショップという形での映画制作を選んだのか。何より、『カメラを止めるな!』と同様で、教育の場で作られた映画が一般公開されてしまうという流れはなかなか受け入れがたい。『ハッピーアワー』のキャストにはアマチュアも多く、それはさまざまな人が集まるワークショップ映画の醍醐味だと擁護する人もいるだろう。それでも、ワークショップという形態でしか実現しない撮影方法だとはどうしても思えない。

そのほか、大根仁監督の『恋の渦』(2013)、橋口亮輔監督の『恋人たち』(2015)など、絶賛されたワークショップ映画の例は多い。これらの作品を「面白いからいい」「ヒットしたから俳優も喜んでいるはず」で済ませていいものなのだろうか。むしろ、『カメラを止めるな!』や『ハッピーアワー』になれなかった、企画倒れのまま沈んでいった一般公開のワークショップ映画が、全国にゴロゴロあると考えるべきだろう。そこで損をするには、高い受講料を払わされ、未熟な演技を映画館のスクリーンでさらされた俳優たちなのである。

3. 俳優への恫喝をコミカルに描く

やや重箱の隅をつつくような意見だが、一応、書いておきたい。『カメラを止めるな!』の主人公、日暮は冴えない映像監督である。彼はワンカット生放送でゾンビ映画を撮るという企画、『ONE SHOT OF THE DEAD』の監督を任される。しかし、主演女優には事務所NGが多く、演技に気持ちが入っているようには見えない。

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