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俺に大傑作『ヒーズ・オール・ザット』を語らせろ!『シーズ・オール・ザット』世代による自作自演の偏愛インタビュー!!

ネットフリックス配信映画『ヒーズ・オール・ザット』(2021)が素晴らしい。何もかもが素晴らしい。この映画のすばらしさについて語りたい!しかし、取材してくれる媒体もない。ということで、バリバリ『シーズ・オール・ザット』世代の石塚就一(1984生)が、自分で自分に取材するという、茶番インタビュー記事を書いてみた。安心してほしい。これは茶番だが、ふざけているわけではないのだ!

オタク文化との親和性が高かった『シーズ・オール・ザット』

―そもそもオリジナルの『シーズ・オール・ザット』(1999)って映画史的にどんな立ち位置なんですか?

いわゆるティーンムービー。ただ、90年代のアメリカのティーンムービーって、ちょうどネタが枯渇し始めた頃で。だから、古典を現代風にリメイクするパターンがものすごく流行ってたんですよ。たぶん、レオナルド・ディカプリオ主演の『ロミオ+ジュリエット』(1996)が呼び水になってたところもあったんだと思う。で、その中でも特に出来が良かったのがヒース・レジャー主演の『恋のからさわぎ』(1999)。これはシェイクスピアを学園ラブコメに置き換えた大傑作なんだけど、そんなにヒットしなかった。一方で、『マイ・フェア・レディ』(1964)の現代リメイク、『シーズ・オール・ザット』は全米で1億ドル以上稼ぐ大ヒットになったんですよ。

―それほど予算もかかってない、ティーンムービーでその数字はすごいですね。

当時は『アメリカン・パイ』(1999)もあったし、『スクリーム』(1996)シリーズもティーンムービーっちゃあ、ティーンムービーだし。90年代に入って、ちょっと下火になっていたジャンルが大復活していた時期でもあった。

―日本でもそのブームは飛び火してたんですか?

どうだろう?今挙げたタイトルって、日本の劇場ではそれほど客を呼んでなかったから。でも、ビデオではみんな見てましたね。俺は『シーズ・オール・ザット』公開時、男子校に通ってたんですよ。周りの映画ファンは、窪塚洋介に憧れているようなマイルドヤンキーか、『新世紀エヴァンゲリオン』のマニアか、そういう奴らばっかで。とても外国のラブコメ映画の話とかできる環境じゃなかった。でも、大学入ると、映画好きはみんな『シーズ・オール・ザット』は見てたって分かるんですよね。バイト先で仲良くなったヒップホップダンサーと、深夜の駐車場でレイチェル・リー・クックの可愛さについて語り合ったりしていた(笑)。いい思い出だね。

―『シーズ・オール・ザット』の何がそんなにウケたんでしょう?

アメリカではやっぱり、「ダサい子を変身させる」「プロム・クイーンを目指す」っていう、ベタベタな展開が受けたと思うんだけど。日本では、少女漫画とか、マガジンとかでやってるラブコメ漫画のノリで若者に受け入れられたんじゃないかな。文化系女子として出てくるレイチェルは、イケてるギャルに変身する前の方がいい、っていう意見も多かった。オタク的な文脈で、ロリ巨乳としてレイチェルを好きになった男がすごくいたんですよ。日本のオタク文化との親和性はわりと高かった。アメリカではもっと、王道のお話として愛されてたと思うんだけどね。

―レイチェルは『ヒーズ・オール・ザット』で、ヒロインのお母さん役で出ているんですよね。

あと、校長役のマシュー・リラードも、『シーズ・オール・ザット』でブロックっていう、ウザい男子生徒役を演じて人気だった俳優。こういう引継ぎ方もオシャレなんだよね。レイチェルって、『シーズ・オール・ザット』以降、目立った主演作ってあんまないんですよ。本人がアート志向で、大作に積極的じゃなかったらしい。だから、こういうゲスト出演をしてくれるタイプじゃないと勝手に思っていた。ファンとしては単純にうれしかったですね。

ティーンムービーは時代背景を比較しやすい

―『ヒーズ・オール・ザット』はオリジナルと男女の立場が逆転してるんですよね。今度は、イケてるインスタグラマーの女子が、田舎出身のダサい男子高校生をイケメンにしようとする。

Tik Tokで大人気のアディソン・レイがヒロインを演じている。これはすごいハマり役。タナ―・ブキャナン演じるキャメロンは、ストゥージズのTシャツとか着て高校に通う、時代錯誤のバンド系男子。でも、90年代だったらカーステレオでパンクを聴いていても、別に違和感はなかった。20年の時間を感じさせられましたね。逆に、いけすかないイケメンで、ヒロインの元カレはネットで人気のラッパーっていう設定。

―かつてのロックスター的なライフスタイルを、ラッパーが引き継いでいる。

あと、ヒロインの友達に同性愛者がいたり、人種が多様化していたり。そこらへんの意識が高いネットフリックスで配信されたこともあるんだろう。2021年の映画だなあってつくづく思ったよ。そうそう、『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』(2019)もさ。あれって、高校生が一晩だけ羽目を外すっていう、『すてきな片想い』(1984)以降の青春映画の王道なんだけど。でも、ジェンダーやスクールカーストについての取り扱い方が、格段に進歩していた。アメリカのティーンムービーって、大きな枠組みがしっかりと固定されているからこそ、時代背景を比較しやすいんですよ。

―こういう変化について「堅苦しくなった」と見る向きもあります。

そういう面もあるでしょうね。ただ、基本的には差別表現は抑えられるか、エクスキューズ込みになるかに変わって。いろいろな出自のキャストにチャンスが与えられるようになって。メリットの方が多いし、今は「多様性」を前提とした表現が広がっている。ポリティカル・コレクトネスによって表現が窮屈になるなんて、まったくの偏見だと俺は思うけどね。

―でも、プロムって場所がある意味で、差別と切っても切り離せないじゃないですか。

まあ、人気投票で学年のキングとクイーンを選ぶ、ルッキズムにまみれた場所だしね。しかも、プロムは男女カップルで行くのが定番だから、必然的に、パートナーがいない生徒は立ち入りにくい空間となる。そもそもプロムを廃止しようっていう流れも強くなっているから。一方で、『ザ・プロム』(2020)っていうミュージカル映画では、プロムを必要とするマイノリティ生徒の訴えをとても誠実に描いていた。重要なのは場所と価値観をアップデートすることであって、場所そのものの是非ではない。『ヒーズ・オール・ザット』ではとても丁寧にプロム問題と向き合っていたよ。いささか丁寧すぎて、ちょっと優等生すぎる着地点に見えちゃったけど。

負け組の恐怖を取り除いてくれた『Glee』

―『ヒーズ・オール・ザット』で好きなシーンはありますか?

カラオケ・パーティーでケイティ・ペリーの「Teenage Dream」を歌うところ。あの曲、リリースは2010年なんで、全然懐メロの範疇なんだけど。ただ、ドラマ『Glee』でゲイのグリー・クラブ員、ブレインが持ち歌にしていたことで、若者の間でアンセム化した。そもそも、ケイティ・ペリーのデビュー曲は同性愛者の女の子の心情を歌った「I Kissed a Girl」だから、ジェンダーレスに支持を獲得したアーティストではあるんだよね。そういう曲を、主役の2人がデュエットしているところに、2010年代以降のティーンムービーのスタンダードを見たな。つまり、90年代のティーンムービーと、現代映画のいいところをミックスしてる。過去を否定するんじゃなく、更新していく姿勢がとても素敵だよね。ラストで主役カップルは「LOSER」ってタトゥーを彫るじゃない?たぶん、学園生活において負け組になる恐怖を、「Glee」や数多のティーンムービーは取り除いてくれたんだよ。別に高校生活での勝った負けたなんて、長い人生の中で大したことじゃないって。

―それって当の高校生本人達には切実な問題ですよね。

そう。大人になってしまったら、こんなこといくらでも言えるんだよね。「学校生活なんてどうでもいい。自分らしくいろ」なんてさ。でも、実際に通っている間は、人の目が気になるし、どうしても周りに合わせてしまう。彼ら、彼女らを励ませるものがあるとしたら、親や先生よりもポップカルチャーなわけじゃない?だから、映画界がいまだ、十代の目線で『ヒーズ・オール・ザット』みたいな作品を制作しているアメリカは、なんだかんだ文化的に健全ですよね。あと、シックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss Me」が流れるところで、レイチェル・リー・クックだけが反応してるのもよかった。

―プロムのBGMで流れるんですよね。

『シーズ・オール・ザット』の主題歌ね。あれ、公開当時、本当にみんな好きだったんだよ(笑)。なぜか周りは男子の方が聴きこんでた気がするんだけど。でも、レイチェルだけが「なんかこの曲知ってる!」ってテンション上がってるんだけど、高校生たちはそうでもない。その後、リミックスバージョンの「Kiss Me」がかかってエンディングになる。我々オールドファンにノスタルジーを用意してくれてるんだけど、今の観客をそこに付き合わせていない。そういう構成はすごく好ましい。

使い古されたプロットでも人は感動する

―監督はマーク・ウォーターズ。ティーンムービーの傑作、『ミーン・ガールズ』(2004)の人ですね。でも、1964年生まれだからもうベテランの領域。ここまで今の十代に寄り添った映画を作れるのはすごいですね。

それはやっぱり、アメリカのティーンムービーというジャンル自体、骨格が滅茶苦茶しっかりしているから。この映画にせよ、スクールカーストを題材にしていたり、パーティーやプロムで盛り上がったり、メインキャラクターが肝心なところでスピーチをしたりっていう、大きな要素は40年前からほとんど変わってないんだよ。それこそ、長谷川町蔵さんや山崎まどかさんが指摘しているように、80年代のジョン・ヒューズ監督諸作で確立した構造なわけ。だから、あとは、骨の上から時代ごとの肉付けを行えばいい。

―別にストーリーが斬新でなくても構わないんですね。

斬新なストーリーだからって面白いわけでも何でもない。使い古されたプロットでも、ディティールに工夫があれば、何回でも人を感動させてくれる。逆をいえば、昔の同ジャンル映画を研究して、「ここは引き継ごう」「ここは変えなきゃまずいな」という意識を働かせないといけないよね。作り手も、観客も。


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