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圧政者は空の上でなく地面の下にいる―『囚われた国家』

ティモシー・スナイダーの著作『暴政:20世紀の歴史に学ぶ20のレッスン』(慶應義塾大学出版会)では、ファシストに大衆が傅いた例として「忖度」が言及されている。スナイダーはナチスによるオーストリア統治を例に挙げる。当時のオーストリアは一般市民が自主的にナチス党員の意向を察し、ユダヤ人迫害に手を貸したという。近代の占領政策において、圧倒的な軍事力による恐怖支配は効率的とはいえない。統治者が横暴であればあるほど被支配者層からの反感は高まる。そこで、統治者たちは被支配者たちを分断し、彼らが勝手に争うよう仕向けるのだ。彼らのやり方はいつでも一貫している。まず、統治者が従う者に、いかに利益をもたらすのかを甘く囁く。ただ、抵抗する邪魔者は必ず出てくる。そこで、「奴らがいる限り、君たちも不利益を被ってしまう。一体どうすればいいのかは自分で考えてみなさい」と投げかける―。戦時下のヨーロッパだけではない。これはアメリカや日本で、今起こっていることだ。

『囚われた国家』(2019)は異星人の支配下に置かれた、2027年のシカゴが舞台になっている。世界中の人間にはチップが埋められ、言動は逐次チェックされている。反逆者に待っているのは追放か死だ。そこまでの暴政を敷いておきながら、作中、異星人の行為は侵略とも占領とも呼ばれない。彼らは統治者と形容され、一部の国民からは絶大な支持すら集めている。なぜなら、異星人はアメリカで資源採掘事業を推し進め、従事する国民や企業に莫大な富をもたらしたからだ。

ただ、それ以外の産業は廃れ、格差社会は広がった。資源採掘の恩恵を得られなかった市民たちは廃墟に追いやられ、その日暮らしの生活を強いられている。『囚われた国家』の主人公は、彼ら、彼女らだ。名作『アルジェの戦い』(1966)を彷彿とさせる多面的な物語構成で、貧しいレジスタンスが統治者に爆弾テロを仕掛けようとするサスペンスが描かれる。

どうして人類は異星人に屈してしまったのか。たとえば、『宇宙戦争』(2005)や『スカイライン-征服-』(2010)に登場した異星人は、強力な兵器を使って人類に総攻撃を行った。しかし、『囚われた国家』の統治者たちは軍事的に地球を制したわけではない。映画冒頭で彼らの圧倒的な戦闘力こそ示されるものの、実際に人類へ手を下している描写はそこくらいだ。(もちろん、作品世界ではあちらこちらで私刑は行われていた、と見るべきなのだろうが)本作は人類が統治者に自らへりくだり、要求を飲んだ結果としてのディストピアを紡いでいく。いや、人類側のエリートたちにとっては、統治者の訪れによってむしろ幸福な生活を手に入れられたといっていい。

シカゴ警察本部長は、部下のマリガン(ジョン・グッドマン)に告げる。「どうせ地球は数年後に資源を掘りつくされ終わる。しかし、私は統治者のおかげで地球外に脱出できる。君のことも頼んである」そこに悪びれた感情は一切ない。そして、『囚われた国家』で人類を弾圧するのは同じ人類たちである。『囚われた国家』は、政治家や警察の忖度によって、占領政策の完成した未来を観客に突き付ける。もちろん、その光景は現代社会の写し鏡でもある。圧政者が自ら貧困層やマイノリティーを攻撃するわけではない。そのかわりに、彼らの思想に染められた従順な市民たちが、権力者と自己を同一化しようとして暴虐に好んで加担するのだ。(レジスタンスのいる空間には、思想統制がなされていない象徴として本棚やレコードが置かれている)

格差社会をテーマにしたSFといえば、『エリジウム』(2013)や『アリータ: バトル・エンジェル』(2019)もあった。ただ、これらの作品では、支配階級の居住エリアが上空に設定されてきた。『囚われた国家』の統治者たちは地下に潜る。彼らがどこに住んでいるのか、人類には知る由もない。上に這い上がるため戦う市民たちと、見えない統治者に取り入ろうと試行錯誤する人間たち。いずれのシステムのほうが残酷で人間を消耗させていくかは一目瞭然だろう。

そして、現実世界もそのようにできている。自力で誰かを蹴落とせば生活が良くなる、などという時代はとっくに終わりを迎えている。それなのに上を向け、下を踏みにじれと教えられるのは、圧政者が地面から無理やり人々を押し上げてくるからだ。空には何もないのに、あたかもバラ色の未来へと通じているかのように錯覚させる。そうすれば、市民たちは地べたを這いつくばる者たちを勝手に軽蔑し、敵視するようになる。圧政者たちに向けるはずの憎悪を、同じ市民に向け始めるのだ。支配する側からすれば、なんと楽な構造だろうか。

『囚われた国家』がラストで残した希望。それは、圧政者たちを打ち破る唯一の方法は正義感でも武力でもないという点だ。「職業意識」。誰もが自分の仕事に誇りを持ち、守るべき相手を守り続ければ、圧政者の付け入る隙はなくなる。逆に、何もない上ばかり見ていると、いつの間にか圧政者はモグラのように地面から顔をのぞかせる。

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