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「ユジク阿佐ヶ谷」は醜悪だが特殊ではない―私がミニシアター勤務時代に経験した搾取について~文春オンラインの告発記事を受けて~

文春オンラインで、東京のミニシアター、ユジク阿佐ヶ谷の元スタッフが、自身の受けてきたハラスメント、労働搾取について告発するインタビュー記事が掲載された。

その内容はあまりにもひどく、腹立たしい。同時に、「やはり」という、冷めた気持ちもあった。なぜなら、自分も2013年春から2014年夏まで勤めた関西のミニシアターで、ほとんど同じような扱いを受けてきたからだ。
ユジク阿佐ヶ谷以外のミニシアターでは、アップリンクも社長のハラスメント問題で批判を浴びた。2020年6月のことである。しかし、これらの問題は世間ではすぐ忘れ去られ、いつの間にかなかったようにされている。
はっきり言って、似たような問題はあちこちでまだ残っている可能性が大きい。それだけに、せめて告発された事件については徹底的な調査による真相究明と、被害者が納得のいく形での決着が絶対だ。
ミニシアターは「文化の多様性を守る場所」と言われている。そして、コロナ禍では苦境に立たされ、経営難に陥っているところも多い。このタイミングでの批判をよく思わない映画ファンも多いだろう。しかし、自分はミニシアターの意義が問い直され、「誰のため、何のための劇場なのか」と多くの人が考えている時期だからこそ、その暗い部分も議論されるべきだと思う。
以下、文春オンラインの記事から、ユジク阿佐ヶ谷で起こった労働搾取、ハラスメントについての部分を引用する。そのうえで、自分がかつて働いていた劇場で経験したことと照らし合わせていく。その劇場はもうないが、関係者はまだ業界でミニシアターに関わっている。読んでいただければわかるが、ユジクの問題は醜悪でも、決して特殊ではない。似たようなことをしている映画関係者はたくさんいるし、彼らの意識をどうにかしなければ業界の未来はない。文化の多様性どころの話ではないのだ。

文春オンラインに便乗する形にはなってしまったが、以下の内容はこれまで自分がSNSで発信してきたものとほとんど同じである。そして、一部の映画関係のメディアや団体に相談したこともあった。ただ、今のところ目立った動きはない。ある人物などは「でも、僕はあの劇場支配人が好きで、尊敬しているので」と言ってきた。個人的な感覚では、映画が好きな人物ほどミニシアターの暗部には触れず、無視しておこうという傾向が顕著だ。

劇場スタッフは一部の人間の幻想を守るためにいるのではない。彼ら、彼女らにまともな時給と尊厳を。

① 金銭の支払いがきちんとなされるかどうかもすべて口約束(文春オンラインより)

筆者の経験談↓

スタッフには全員、契約書も就業規則もなかった。毎月、決められた日が来ると「稼働費」という名目で請求書を作成する。それを本社に送って、5万円の報酬が支払われる仕組み。なお、いくら労働しようと残業しようと、変わらずに5万円。自分は約2カ月無休で、1日10~12時間ほど働いていたこともあった。当然、その間の月給も5万円である。

人件費には上限が決められており、「スタッフを増やせば1人分の給料が少なくなる」と聞かされていた。その理屈なら、スタッフが減れば給料は上がるはず。それにもかかわらず、自分と同時期に働き始めたスタッフがクビになった後、しばらく新人は雇われなかったのに自分の給料は増えなかった。

② 自分のやり方についていけない者、それによって去っていく者は才谷にとっては全員敵(文春オンラインより)

筆者の経験談↓
支配人のやり方に口を出す者はネグレクトを受けるようになっていった。それはスタッフだけでなく、共同主催の地元に対しても同じ。番組編成や地域行事への協力など、さまざまな口出しをされるうち、支配人は地元への態度を悪くしていった。話しかけられても「それを説明するには時間がないんで」などと煙に巻いていた。地元から市役所の文化局に対し、意見書が提出されたこともあった。

③ アルバイトスタッフが通常社員がやるような業務まで担わされていました(文春オンライン)

筆者の経験談↓

大みそかには、劇場スタッフが事務所の大掃除に駆り出されていた。本社に新入社員が入ってきたときも、なぜか劇場スタッフがその人の仕事スペースを整えるという作業につき合わされた。なお、自分はその時点で支配人との関係が悪化していたため、いずれも協力はしていない。
ただ、その会社が制作した映画の宣伝配給にいつのまにか巻き込まれていたことはある。関係者のインタビュー記事を書き、宣伝活動であちこち連れまわされ、車まで出したが、すべての仕事に対する報酬はまとめて1万円(ガソリン代含む)だった。この1万円には、劇場を開設する際に1カ月拘束された報酬も含まれている。

④ 改善を求めると、才谷氏から「映画を愛していない」「ミニシアターで働けるだけありがたいと思え」と暴言を浴びせられる(文春オンライン)

筆者の経験談↓

まったくそのまま同じ。ほかのミニシアターの給料を聞かされ、「金をもらえるだけありがたいと思わないと」と言われた。そして、当時上映していた『小さな町の小さな映画館』を引き合いに出し、「あなたに足りないのは奉仕の心だ。自分を犠牲にする気持ちだ」とも諭された。

⑤ 『そういうことになる。ならば私はこれ以上協力できない』と言われました(文春オンライン)

筆者の経験談↓

自分が辞めた後、実情を知ったボランティアスタッフが労働問題の改善に動こうとした。結局、市役所に抗議しにいったが、状況は変わらず。むしろ、その行為自体が劇場内で批判されていた。本社の社員から「仕事もできないのに、言うことだけは立派」という陰口を聞かされたこともある。

⑥ 実際は前支配人が先に現場を離れた直後からこれまでどおり連絡することを拒否され、不安をかかえたまま働くことになってしまいました(文春オンライン)

筆者の経験談↓

演技ワークショップの事務の仕事が自分の大切な収入源になっていた。しかし、その仕事を降りてほしいと、当月になってから言われた。しかも、違和感を覚えていた自分が質問するまで、支配人は黙っていた。後でわかったが、自分に報酬を払ってくれていた共同主催の会社が京都から撤退したためスタッフを減らしたのだった。そのような経緯は一切聞かされなかった。

⑦ お客様が『再開してほしい』と声をかけてくださったり、応援のためにTシャツをたくさん買ってくださったりするたびに、働いている私たちもつらい気持ちに(文春オンライン)

筆者の経験談↓

同じ会社、支配人は今も別の場所でミニシアターを経営している。自分がずっと複雑なのは、彼らがかかわってきたミニシアターについて、称賛する意見を少なからず目にすることだ。もちろん、お客さんや映画の作り手が深い事情を知っているわけではないだろう。それでも、スタッフを時給200円で働かせ、ネグレクトし、それをすべて「映画愛があるならできるはず」で済ませてきた人間のいる場所が、評価されている事実は受け入れがたい。

ある出版社から昨年、ミニシアターを応援する内容の書籍がリリースされた。そこには支配人の原稿も載っていた。文章中では労働搾取や地元との悪化した関係はきれいに触れられず、支配人の高尚な理念ばかりが綴られていた。怒って出版社に抗議したところ、担当者から『調査不足だった』と謝ってはもらえたものの、続けて『ミニシアター支援の本なので、アップリンクなどの問題はあえて載せないようにした』と説明された。これには愕然とした。

打ち上げと忘年会にまつわる嫌な思い出

最後に、このような嫌な思い出を2つ。

2013年の秋。ある特集上映で、有名な演劇人が劇場にゲストとしてやってきた。当然、打ち上げ会場の居酒屋には地元の顔役や業界人が集まってきた。その中で、支配人は「ゲストと(某映画プロデューサー)を引き合わせたい」と周りに聞こえるように言い始め、実際に会場へと呼んだ。しかし、会場はすでに満員。新たに誰かが座るスペースなどなかった。
すると、劇場の若いスタッフが「では、自分は帰ります」と言って、席を立った。彼女は上映期間の間、たいへん頑張ってくれていた貴重な存在だった。自分は彼女がかわいそうになって、「それなら自分も」と席を立った。そして、会場には、特集上映とは何の関係もない、映画プロデューサーが代わりにやってきた。自分とスタッフが居酒屋を出るとき、支配人からはただの一言もかけてもらえなかった。後になってもフォローはなかった。劇場で実務を担っていたスタッフたちはないがしろにされ、支配人はそこに何の配慮もなかったのだった。

もう一つ。2013年の末。自分は地元で開かれる忘年会に出席するのを心待ちにしていた。地元の顔役はみんな劇場スタッフを気にかけてくれていて、親切だった。忘年会では破格の会費で、素敵なごちそうをいただけることになっていた。すべては地元のご厚意であった。
しかし、支配人は「その日、大阪で行われているイベントで、映画の前売り券を売ってきてほしい」とスタッフに命じてきた。交通費は出ない。イベントが終わるのは20時~21時ごろ。そこから券を売り後片付けをして、地元に帰ってくると23時にはなる。当然、忘年会には行けない。
自分以外のスタッフはみんな10代や20代前半の女性だった。お金がないのはみんな一緒だったが、年長者の自分が若い子たちを働かせ、忘年会に出席することはどうしてもできなかった。仕方なく、大阪には自分が行った。チケットは2、3枚ほどしか売れなかった。このことに対しても、支配人からは一言の礼もなかった。それどころか、一緒のブースにいた別の劇場のスタッフが入館証を紛失したとかで、「あなたが間違って持って帰ったのではないか」とかなりきつい口調で責められた。他人の入館証に心当たりなど微塵もなかった。楽しみを奪われて、自分が受け取ったのは理不尽な説教だけだった。

こんな屈辱的な話はいくらでも出てくる。ユジクやアップリンクの話を聞いていると、「今でもどこかでミニシアターのスタッフが苦しんでいるのではないか」と勘ぐってしまう。文春の記事やこのnoteを読んで少しでも怒ってくれたなら、せめて、その心を持ち続けてほしい。そして、映画関係者が並び立てる綺麗事ではなく、現場の声に耳を傾けてほしい。ミニシアターの問題で、被害者は圧倒的に数が少ない。立場が弱い。だからこそ、見ず知らずの人から寄せられる関心と応援がどれだけ励みになるか。それを忘れないでほしい。

追記:

なお、なぜここまでの労働搾取が行われたのかというと、そもそも支配人を雇っている映画会社社長の方針による。社長は日常的に支配人を罵倒、威嚇し続けており、ある種、洗脳状態にしていた。支配人は社長に抵抗する気力を失っており、スタッフの労働条件についても「個々人が社長と交渉して給料を上げるようにしてくれ」と滅茶苦茶なことを言っていた。

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