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息子の反抗期

息子は春から中3だ。休校が続き、期末テストなく、いつの間にか中3になった。本人に「ほんとにそれで進級できたわけ?」と聞くと、「俺も正直分かんないんだよね」と笑った。反抗期を抜けた、ようだ。

昨年は修羅場だった

スマホのゲームで高額の課金が請求された。10万近い。わたしの両親が息子を連れて国内旅行を計画したが、道中で息子は悪態をついて、両親を呆れさせた。学校が進学校なので、なかなか勉強についていけず、落ちこぼれた。朝には通学中にお腹が痛く、学校に遅れることもあった。運動部の部活にも参加しなくなっていった。

歩く様子がチンピラみたいだった。目の前にあるものはまず否定。死んだような眼をして話にならない。家にいても、真っ黒な渦が座り込んでいるようだった。

どうしたらいいのか。会社の後輩男子に聞くと、「そんなん、いいほうっすよ。母親なんて、話しかけませんから。俺らひどかったです。勉強なんてしませんよ。」と笑う。そうなんだろうか。優等生だった夫は、自分はこんなことはなかった、しつけがなってない、と言った。やっぱりそうだろうか。

とうとう、つけが回ってきたのだと思った。子どもと向き合うべき時に怠ったからだと思った。とりあえず、仕事を辞めることにした。会社には、長い夏休みを取ると言った。わたしの人生に夏休みが必要だと思った。とりあえず、何があっても、今の自分が向き合うしかない。手遅れになったものを取り戻したかった。

私たちの隣にあったもの

問題を解決しようと、あれやこれや手を尽くすが、結局効果があったのか分からない。

ただ「時間」がたっただけではないか、と思う。「時間」がすぎ、個々に考えて、何となくそれぞれの傷が癒えたのではと思っている。

そもそも、わたしにとって、息子の「反抗期」は、息子が未知の全く「想定外」になっていくことを、わたしが肯定することだったと思う。息子からみれば、「反抗期」なんて大層な認識はそもそもなかったはずだ。ハメを外したり、うまくいかず、ムシャクシャし、自分だけは違うと躍起になったり、それを大人が「反抗期」と括っただけなのかもしれない。勝手なことだ。

でも、いま思うのは、この「時間」を過ごすことを助けたのは、昨年の夏に亡くなった伯父だと思う。

伯父のこと

父方の伯父は、四人兄妹の長男、父は末っ子だ。10歳離れていたので、伯父は父を背中におぶって野球に明け暮れ、親代わりに勉強を見てくれたそうだ。わたしはお正月と夏休みに祖母に会いにいき、その時に伯父に会う。祖母のうちは亡くなった祖父の事務所と兼用だった。事務所を継いだ伯父は仕事の合間にひょっこり出てきて、こたつに座り、いつも景気良くお年玉をくれた。伯父は若干なまりがあって、いつも話がよく分からなかった。たぶん面白いことを言ってるらしく、「○○○(わたしの名前)、そうだろ、な!」と同意を求められるたび、なんだか分からないけど「はい!」と答えた。それぐらいだった。

大人になり全然会う機会が減った伯父だが、昨年父からわたしの息子の話を聞いて、反抗期にある息子のことを心配し、夏亡くなる間際に、両親とわたしとわたしの娘を入院先に招いてくれた。息子は林間学校があって見舞うことが出来なかった。伯父は静かな個室で、愉快なキャラクターのパジャマを着ていた。従姉妹が付き添っていた。食事は箸を付けられることなく、置いてあった。父は「なあ、兄さん、向こうで母さんにあったら、俺がいま絵を描いているって伝えてくれよ。」と言った。伯父はいろんな人から頼まれるんだ、と笑った。誰彼に伝えてくれと、長い頼まれごとリストが出来ていたらしい。静かな病室で、皆でひとしきり笑った。わたしに、息子も娘も、大丈夫だ、と言ってくれた。

程なく伯父は亡くなった。お葬式には息子も娘も連れて行った。二人ともお葬式も火葬場も初めてだったから、周りを真剣に観察し真似していた。うちに帰って、香典返しを開けると、フリーズドライのお味噌汁の詰め合わせだった。お湯を注ぐ。伯父がお味噌汁をよそって、それでいいんだ、って言ってくれてるみたいだった。

四十九日にも、息子と娘を連れて行った。二人とも会ったことのない人たちが親戚だと言われて、親密に挨拶までされて、なんだかまぶしそうにしていた。息子は、伯父の孫、つまり彼にとっては、はとこである初々しい大学生から、仕切りに飲み物を気にしてもらい、ジュースを何度も注いでもらっては、奇妙な丁寧語で話したりして、食べ終わると箸袋で鶴を折っていた。食事の最後に、炊き立てのご飯とお汁が出された。わたしは、伯父の食卓に招かれたんだと思った。よくは知らない懐かしい親戚に、40歳もとうにすぎたのに、大きくなったわね、なんて褒められ、皆で伯父の食卓に集まっている。伯父は身体を揺すって、テーブルを回ってビールを注ぎ、美味しいか、と笑ってる。

今も、布団を干し終わって、娘のベッドに腰掛けて、掃き出し窓から青空を眺めるとき、伯父が隣に座っている気がする。伯父は、(ほら、言ったろ、大丈夫だったろ)って、愉快なキャラクターのパジャマで笑う。伯父は前から笑いながら話すから、何を言ってるか分からない。もう伯父が何を言ってるか分からないけど、(でしたね!)って、わたしも笑う。


出口がないほど真っ暗な気持ちの時に、思いがけないところから、誰かがやってきて、大丈夫だと、抱きしめてくれる。信じるようにと、わたしを射抜いて、去っていく。その人の眼差しとぬくもりが今も残っている。