なんだか、自分が「良いの撮れた!」と思っても、SNSでいいねがつかないと「あれ?」とその写真自体の価値を疑ってしまったり。
フォロワーが減ると、「なんでだろう?こういう系統は載せない方がいいのかも」などと考えてしまったり。
1年半前くらいから月に数件カメラマンとしてのお仕事をいただけるようになって、嬉しさと、もやもやが日々あって、この道から離れるか、もっと本気になるべきか、不安と怖さと期待とが入り混じって、どうにもならないまま、ポツポツといただくお仕事は一生懸命にやりながらも、自分がどこに向かっていけばいいのかが分からないままでいました。
昨日、息抜きに一人でシーシャに行って、noteを開いて、ふと目に入った記事が
私のこの気持ちを言語化してくれていてかつ、大切な結論を突きつけてくれました。
私も、自分の撮った写真で好きなものを振り返ることで
今一度、写真というものを 自分自身を 洗いざらい見つめ直したいと思いました。
私が、余計なことを考えずに撮った、自分にとっての好きな写真。
それらを振り返ってみたくて、久しぶりにnoteを書くことにしました。
そうしたら、何のために写真を撮るべきか、気がつきそうだと思って。
〜〜〜
恋をしていて、自分の見ている景色がいちばん綺麗で映画みたいで
残しておきたくて買ったカメラ。
今思えば、最後の恋になることを、どこかで予感していたのだろうか。
それからもよくこうやって写真を撮りに出かけた。
私が転職決めて、入社日の前日、なんか猛烈に不安で
どうしようってなってたら、何も言ってないのに
「レンタルチャリ乗って適当に写真撮りに行こう」みたいになって
非現実にギリギリまで繋ぎ止めておいてくれて助かったこともあったり。
(朝まで遊んだので、初出社日はほぼ寝ずに行ったせいで、覚えていない
でも、この夜のことはとても覚えている)
新しい仕事が始まって、
私はまたまともな社会人のフリをする日々がはじまったけど
私たちは何も変わらなかった。
一瞬一緒にバンドを組んで、
スタジオ行ったり曲作ってくれてそれ練習したり。
いろんな時間に写真撮ったけど
やっぱり誰もいない夜がいちばん好きだったな。
関係性が変わりながら、写真も変わっていったように思う。
弾丸で決めた2泊3日の沖縄旅行で撮った写真は私が一番好きな写真。
この人との毎日が残せることが私に撮っていちばんの撮りがいだったと思う。
忘れていたな、なんでカメラを買ったのか。
カメラを買ったおかげで、
もう二度と戻ってこない、自分の歴史を
鮮明に残すことができた。
あの頃は当たり前にあった毎日が
今はもう、宝物。
今を、感じたまま見たままに残しておくと、
いつかの自分の宝物になるんだな。
他にも自分が撮った写真で好きなものを振り返ってみようと思う。
振り返ってみると、今の夫を撮影した写真には
そこまで感動しないのに
今はもうなかなか会えない友達や
二度と撮れないであろうものに心打たれる。
夫のことが大好きで、一緒にいる時間がいちばん幸せなのに。
きっと、
「もうない。でもあった。」と確かに思える写真が
私は好きなんだろう。
ずっと一緒だと決めた人の写真より
もう会えないと決めた人の写真は美しく感じる。
もう見ることができない瞬間を残してくれる写真を、誇らしく思う。
未来は分からない、それなら
今ある確かなものにとにかくシャッターを切っていくこと
それがいちばん、この先の自分の宝物を増やせるのかもしれない。
それと、写真をたくさん撮っているのに
自分が「この写真好きだ」と思い続けられる写真は
思いのほか少ない。
大事な時間にカメラを持っていないことが多いのかな。
もっと、フラットに、あたりまえにカメラを手にしていたい。
戻れない人生の、忘れたくない記憶をいつでも拾い集められるように。