2014.02.04 私が泣かない時はいつも、 身代わりのように涙を流す

あせりや不安や恐怖には実体がなく、
それだからどこにも逃げられやしない。

この1週間は人生で一番長く感じられ、
それだから時間なんていうものは、
本当は平等ではないんでないの、
と何度も思ったりもした。

耐えきれない痛みを、
かろうじて和らげてくれる何かに
すがりついては誤魔化し、
ただ時の経過を静かに、
涙の溜まり場のような部屋で
じっとやり過ごしていた私が考えることといったらば、
なぜか遠い未来のことばかりで、
いつかはあの人と、
いつかはこうなって、
いつかは幸せに、
その“いつか”は一体、
いつなんでしょうか、
結局いつも分からないままでした。

ドラマのように劇的な展開はなくても、
「今」は確実に変化を遂げていて、
自覚がなくても皆、
その「今」に乗って歩を進めている。

嵐が1日中吹き荒れ、
帆がビリビリに破れてしまっても、
この船はきっと、
明日も涙の海を果敢に進んでゆくのでしょう。

【今だけを見なさい、今、目の前にあることの中の、ほんの小さな幸せに目を向けなさい、今を、感じなさい。今が苦しくて幸せでなくても、今はすぐに過去になるから。大丈夫、今、この世で一番、自分が幸せで愛しい存在だと思いなさい。】

そう電話口で母が囁いていた。

泣きそうなのは私なのに、
なぜか泣いているのは母で、
離れていても私の「今」を思い、
涙を流してくれている。
いつから私は、
母を泣かせるような子に
なってしまったんだろう。

私が泣いている時はいつも
気丈に振舞う母なのに、
私が泣かない時はいつも、
身代わりのように涙を流す、
母もまた、
実体のないあせりや不安や恐怖を、
電話口から感じ取っていたのかもしれません。

劣等感で一杯だった今日。
罪悪感に押しつぶされそうだった今日。

嫌なことは今日だけ、「今」だけ。
いいことは今日から、「今」から。

幾重にも重なる「今」の繰り返しで築かれてゆく、
1週間、1ヶ月、1年なのだということ。
1秒先は、未来だということ。
「今」は目に見えない早さで代謝し、
新しい私を創り上げているんだということ。

この世で一番、
幸せで愛しいと感じられる「今」が、
早くこの身に染み込んでくれればいいのに、
と思います。

焼けるような胃の痛みと、
引き裂かれるような背中の悲鳴、
それでも呼吸をやめない強靭な心肺に、
私は「今」、
全身で生を感じています。

生きています、
「今」はもう、
確実に未来です。

あの人と、
こうなって、
幸せにと願った、
「今」が、
未来です。

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現実逃避は、
悪いことじゃないよ。
生きるために、
一生懸命していることだから。
死にたくなるような現実を、
それでも生きていたいから、
逃避をしてでも、
この世界をもう少し生きてみたいから、
一生懸命「今」を過ごして、
ほんのちょっと先の未来を、
待っているんだよね?
だから全然、
悪いことじゃないよ。

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