2013.10.13 あーどうしましょう、歯を磨きましょう、布団に入ってこれから先の、未来に得るもの描いて寝ましょう

大学生のころ何かの授業で、“失いたくないもの”についてのグループ討論か何かがあったのだけれど、あれはいったい何の授業で、「金」と答えたあの子がどこで何してるとか、「愛」と答えたあの子が誰と何してるとか、「希望」と答えたあの子の未来に果たして希望は訪れたのか、「思い出です」と答えた私は、彼氏と行ったあそこやここやアレやコレ、きらめく思い出胸に掲げて、「この恋以外に興味ないんです、例えて言えば世紀末、失えばもう世紀末だ」と、本気で信じていたなんて、なんて盲目、恋は盲目。

笑顔の二人の思い出たちは、今では胸の鋭利な刃物で、ときどき思い出しては光り、ときどきスッと、かまいたちになる。

“失いたくない”なんてあんなに、躍起になって守ったふりして、結局私はただ独り占めを、していたかっただけなのでした。

思い出だって何だって、結局誰のモノでもなくて、だから“失う・失わない”では、なかったのかもしれないし、「お前を失いたくない」と、言われてしまえばこう言うでしょう、「わたしは、あなたの、モノじゃ、ないの」と。
まぁ今だから、言えるのだけれど。

たとえば何かを失ったとして、その人の価値が下がったり、魅力が半減なんてこと、絶対ないって私は思うし、“失いたくない”なんて頑なな思いを手放した先に何か、何かこうすごく大きな愛や、希望があるんじゃないのかなんて、そんなことをね、何故か今思う。
なんでやろうね、分からんけれども。

されどさりとて誰かが問うの、“失いたくないものは何か?”と。
したらば今の私は何と、答えるのだろう。
家族?友人?うーん肉体?
たぶん私は「心の痛み」、私が“失いたくないもの”は、「ヒトの痛みが分かる心」かな?
ホントは誰々、あれそれこれって、言いたいんだけどまぁ今はそれで。
偽善ぶってる、今はそんな時期。

失うってば得ることなのかな。
穴が開いたら何か入るかな。
未だに上手にサヨナラ出来ない、
“失いたくない”人・モノばっかで、ねぇねぇ先生、答えはあるの?皆は何を失いたくない?

アラサーになれど、解せぬことばかり。
あーどうしましょう、歯を磨きましょう、布団に入ってこれから先の、未来に得るもの描いて寝ましょう。

あーお布団に、誰か入って、こないかなあぁ。

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「失いたくない」そう言って
所有しないで自由に愛して
広い世界に解放してよ

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