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不妊治療と人生の停滞について

最近、少年漫画を読んでいて言いようのない切なさを感じることがある。

最初は漫画そのもののストーリーや登場人物への感情移入で起こる切なさだと思っていた。

でもその切なさに任せて思考すると、決まって「自分は何をやってるんだろう。」に行き着く。

少年漫画の登場人物達は当然のように成長し続けるし、もちろんストーリーもどんどん展開していく。

だから面白いし没頭できる。

それに比べて何も進まない、停滞している自分の人生が無性に悲しくなる。


不妊治療は終わりが見えないし、努力が結果に現れるわけでもなく成長もない。

子供ができたら、子供が産まれたら、治療中はずっとそうやって実現しない未来を予測していく。


女性にとって出産はそれ以外のすべてを停滞させるものだ。

まだ経験していないから、特にそう思うのかもしれない。

得るものは確かにあっても、失うものもたくさんある。

停滞の時期をいつにするか?

は、妊娠・出産を臨む女性の命題で、それに合わせてスケジュールを立てていく。

私も例外なくスケジュールを立てる、正確には「立てていた」だ。

当初のスケジュールでは既に第二子の妊娠中で育休を連続で取る計画を模索していたかもしれない。

育児に体力が削がれ、仕事を退職していたかもしれない。

子供ができたら、と思っていたことは子作りを始めてから2年間何一つ実現しなかった。

かと言って、今月にもできるかもしれないと思うと、下手に舵を切るわけにはいかない。

何をするにも子供ができたら、と、子供ができなかったら、を両方考える。

そしてそれは余りにもかけ離れた未来に思えて、逡巡してしまう。

転職することも、家を買うことも、まだ見ぬ家族を前提としていいのか、一向に来ない妊娠時期を考慮すべきなのか、決断ができない。前に進めない。


子供ができなかったら、という未来を考えたとき、それはそれでとても自由で幸せに思えてしまうのだ。

私にはまだ「必ず子供と暮らす」という覚悟ができていないのか…。


未来を考え過ぎてしまうのは悪癖とも言える。

小さい頃から体が強い方ではないので、自分の体調が崩れる前兆がよくわかる。

自分を大事にするために、身に付いてきた悪癖。


詰まるところ、

「〜したら、○○しよう。」

というとき、「○○」がやりたいことで、その実現のために「〜したら」の絶対に必要な条件であることなんてほとんどない。

だから「○○しよう。」と思った時点で、そうすればいいのだ。

大抵のことは状況や環境が変わってもなんとかなる。 

子供ができる、できないもきっとなんとかなる範疇だ。


わかっているのに、踏み出す勇気が出ない。

だから今日も漫画やアニメを見て、現実逃避する。

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