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ベトナムでの「自主隔離」について

Chao!

一昨日の朝9時半。ハイアットでの2週間強制隔離期間が終了し、住居マンションに戻ることが許された。

部屋は広くて綺麗だったし、食事もレベルが高かった。それでも隔離生活中は(今振り返れば)始終どことなく情緒不安定で、原因不明のイライラが募ってくることがあった(突然のラインコールに応じてくれた夫と母には感謝しかない)。

仕事が忙しかったこともあり、仕事のストレスかな~と思っていたが、いざ外に出れるようになると、一気に心身ともに軽くなったので、やはり「部屋から一歩も出れない」状況に想像以上にストレスを感じていたのかもしれない。

ただ・・・実は、まだ完全には「自由の身」になれていないらしいのである。「らしい」とつけたのは、今日のタイトルである「自主隔離」がどこまで厳格なのかが不明だからだ。これについては後ほど書くとして、まずはなぜそもそも強制隔離2週間+自主隔離2週間という話が出たのか、そのきっかけとなった事件についてみていきたい。

1.ハノイの日本人コミュニティを震撼させた、ある「死亡事件」

2月中旬、高級住居マンションに住むある日本人男性(50代)が1月末に自宅の部屋で死亡しており、コロナに感染していたことが発表された。

ベトナムではハノイを含む北部を中心に、1月末よりコロナ感染が再拡大していたので、コロナに感染していただけであれば(おおごとではあるが)そこまでのニュースにはならなかったかもしれない。

これがベトナム全土を揺るがすビック・ニュースになったのは、この男性が1月にベトナムに入国したばかりで、しっかりと決められた通りの2週間の強制隔離を経て、更に隔離期間中2回のPCRを受け、結果はどちらも陰性だった後の出来事だったからだ。

そう、2週間の強制隔離を受けて、2回のPCRとも結果は陰性で、それなのに実は新型コロナウイルス(変種)にかかっていた…!

これを受けて、ハノイ、特に日本人コミュニティの間では一時大騒動となった。

私はこの時期ちょうど日本に一時帰国をしていたのだが、日々、ハノイの日本人コミュニティのラインにはひっきりなしに何かしらのメッセージが飛び交っていた。

ちなみに、死亡された日本人男性の方が生前私のすむSun Red Riverの日本食レストランにも足を運ばれていたことが判明し、Sun Red Riverも一時封鎖される事態となった。

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(職場の人に送ってもらった、2月下旬のSun Red Riverの様子。外からの一切のエントリーが遮断されている)

このまさかの事態を受けて、ベトナム政府は入国後の14日間の隔離措置を終えた後、自宅でさらに14日間の健康観察を継続するよう要請。かくして、自主隔離を含めると隔離期間1か月という、私の知る限り世界中で最も長い隔離期間が定められることとなった。

2.実際の隔離生活への影響

では、上記の事件を受けて、入国した外国人への隔離措置はどのように変化したのか。

まず、一時的にだが、ハノイ到着後のホテルでの強制隔離期間が2週間から3週間に延期となる旨の発表があった。2週間だけでも大変なのに、3週間?!勘弁してくれ~!とそのときまだ日本にいて渡航を控えていた私は心の中で叫んだが、そのわずか10日後、3週間から2週間に短縮する旨が発表された。

ほっと一安心ついていたら、今度はホテルでの強制隔離は2週間だけれども、その後自宅で2週間の(強制かもしれない)隔離があるかもしれない、といった連絡がきた。強制の場合、自宅であっても見張りが常に外で監視をしていて、部屋から一歩も出られない状態となる。窓が開かないホテルよりは数倍ましかもしれないが、それでも不自由であることには変わりない。

この点については事前に手配してくれた旅行会社へも色々と確認をしたものの、「本当のところは自宅マンションに到着するまで分からない」との回答が。そうこうしているうちに、隔離最終日になったのだが、なんと、保健省の人が隔離先のハイアットから自宅マンションまで、車で尾行することになったとの連絡がきた(ちなみに、保健省スタッフの尾行に係る人件費及び車代約7,000円は、こちらが負担)

当日は事前予告どおり、チェックアウトすると旅行会社が手配してくれた車に乗り、そのあとには保健省の車が続いた。わざわざ尾行するということは、普通に考えると私が自宅マンションまで寄り道せずに帰るかどうかを監視するためである可能性が高い。そうならば自宅隔離もきっと強制に違いない、とその時私は観念した。

いよいよ車が自宅マンションに到着。保健省の人に付き添われて、受付まで向かい、陰性証明書を提出。

「さぁ、部屋まで連れて行っていってくれ!」

そう覚悟を決めて保健省の人を見ていると、彼は私から同行費用を受け取るや否や、後も振り返らずあっさりと帰っていった。

えっっ部屋まで尾行しないの?!

逆にどうして良いか分からず、受付の人に聞いてみると、「ああ、必要なら外に出て大丈夫ですよ」とのこと。

あれれ?じゃあ、ここまで私を尾行した意味は一体?!?!

頭の中にははてなマークが飛び交ったが、部屋まで食事を運んでくることもないため、とりあえず昼食を食べにいくことにした。

ちなみに、職場の人が地区の保健省に問合せたところによると、私の住む地区に関しては特に2週間の自主隔離が定められていないらしい。あれ、でも、旅行会社の人には「自主隔離があるよ」と言われたんだけどな・・・一体何が本当なんだろう・・・

ハノイに半年住んで思ったことは、「ベトナムは対応が早いけれども、(対応が)終了するのも早い」。要は一度コロナが出ると徹底に封じ込め政策に乗り出し、それこそ「マスク罰金令」みたいなのも出たりして結構な数の人が罰金を取られたようだが、一度収まってくると、まだ「罰金令」自体は効力を保持しているものの、マスクをせずに街中を歩く人が急増する(そして警察官はその人々を罰するそぶりも見せない)。

3月に入り新規感染者0になり、感染状況が落ち着いたからか、自主隔離も緩くなったのかもしれない。

3.コロナの感染源になると、まさかの刑務所行き?!

ただ、気を付けなければならないことがある。それは、ベトナムでは日本では考えられないようなことで刑務所に入れられる可能性がある、ということだ。

これはベトナム語のビン先生から聞いた話だが、ホーチミン市で市中感染再発の感染源となったベトナム人男性が、「コロナウイルスを他者に感染させ市中を混乱に陥れた」罪状で、刑務所へ送られたらしい。

その男性は航空会社の職員で、3週間の自宅隔離(見張りがついていたかは不明だが、割と厳しめの自主隔離であったらしい)が定められていたところ、途中で出歩いて友人達と接触をしてしまった。運悪く彼はコロナウイルスを保持しており、彼の友人が英語教室の先生だったため、たちまちコロナが生徒達の間で広まり、ホーチミン市で一時新型コロナウイルス感染者が急増。

「自宅隔離を守らなかった」ことで更に罰が重くなったものと思われるが、それにしても日本でもしこのやり方がとられたら、ものすごい数の人が刑務所へ行かねばならなくなるんだろうな・・・(ゾッ)

4.痛くなかったPCR検査が痛くなっていた!

長くなってしまったが、最後にもう一つ、「変化を感じた」ことがあった。

それは、PCR検査(鼻スワブ)が痛くなっていたこと!涙

以前のノートで、日本帰国に際してベトナムの病院でPCR検査を受けた際、全く痛くなかったとの記事を書いた。

ところが!今回ハイアット滞在中にPCR検査を受けたのだが、その2回とも結構衝撃的に痛かったのである!

別に大騒ぎするほどではないし、泣くレベルでもないが、でも痛い。全くの無痛を想像していた私には、結構ショッキングな体験だった。

でも考えてみれば、インフルエンザの検査であっても多少の痛みは伴うし、「痛みがないのは入れるべきところまで入れていないから」という話も聞く。上記の死亡事件を受けて、「PCR検査はぬかりなく!」とのおふれがでたのかもしれない。

・・・それにしても、全くの無痛からここまで変わるなんて!(正直、ベトナム入国のため日本の病院で受けたよりも、数段痛かった 涙)

と、これからベトナム入国する予定の方がこれを見て恐怖心を抱かれたら申し訳ないのですが、大丈夫、子供のように怖がりで、人一倍痛みに敏感な私でも、涙流さずに耐えることができました(一瞬であることには変わりないし、ネ!)

それでは今日はこの辺で。Chúc bạn ngày tốt!




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