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ハノイ在住29歳、身の振り方を考えるとき

気が付けば29歳になっていた。

20を過ぎたころから、時間の流れが速くなったような気がするのは、気のせいだろうか。「20を過ぎたらその先はあっという間よ」。大学時代にある教授(70代・女性)がぽろりと漏らしていた言葉がよみがえる。

今、幸せなのか不幸なのかと問われれば、不幸ではないように思う。(職場の人間関係はパーフェクトとは言えないものの)人並みに働けているし、優しい夫もいる。いざとなったら頼れる(と信じている)家族や友人もいる。

では、私は幸せなのだろうか。

振り返れば、これまでの人生、あまり深く考えずに生きてきた。周りが進路を考え始めると自分も考えるふりをし、何とか遅れを取らないようにと足並みを合わせる。「やりたいことは何か」をつきつめて考えるようなことはせず、とりあえずその場しのぎでその時与えられたハードルを何とか飛び越える。

もちろん、その時その時で努力はしていたと思う。進学だったり、留学だったり、就活だったり、その時目の前にあるものを掴もうと必死だった。その結果得られたものが、今に繋がっているのだと思う。

だけど、新卒で入った会社で勤務してもうすぐ4年が経とうとしている今、この先ずっとここで働き続けると思うと、気が遠くなるような感覚を覚える。

強烈な不満があるわけでもなく、特にこれがやりたいと明確に思える何かがあるわけじゃない。それでも、10年、20年と働き続ける自分がただただ想像できない。

子供の頃は努力さえすればなんにでもなれると信じていた。二十歳になったとき、「自分は何ら特別ではなく、大勢の中の一人」であることを自覚した。30歳が目前に迫っている今は、自分はナニモノでもないことを知っている。でも、いつかナニモノかになれるかもしれない、ナニモノかになりたい、そんな淡い期待を捨てきれずにいる私は、子供なのだろうか。

今日、大学時代の女友達2人とオンライントーク会をした。1人は教師になったものの大学時代の夢を今でも持ちづつけてそれに向かって着々と歩んでいるというブレない精神の持ち主。もう1人は、転職するたびに着実にステップアップを図ってきた強者。

深く考えず流されるようにハノイへやってきた今の私にとっては、2人の存在はまさしく師匠であり、現在のブレまくっている自分の状況を説明したうえで、アドバイスを求めた。

結果、2人からは様々な視点からのアドバイスと、大いなる励ましをもらった。ただ、当たり前の話だが、「答えは自分で見つけるしかない」のだと改めて自覚した。苦しくても、辛くても、その何かが見つかるまで自ら藻掻くしかないのだと。

ブレずに前に進んでいるように見える2人も、それぞれ悩みを抱えていた。でもそれは、至極当然のことなのかもしれない。人間という生き物に生まれついた以上、下手すると死ぬまで悩みは絶えないのかもしれない。そうであれば、せめて年を取る分、強靭な精神力を手に入れていきたいと願う。

それでは今日はこの辺で。Chao~!




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