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誰からも付き合いたくないと言われる人にならない為、子供の頃から教える気と教育の重要性。

明末の哲人呂新吾に呻吟語があり、心ある人々の教養の書として愛読されている。「深沈厚重は是れ第一等の資質。磊落豪雄は是れ第二等の資質。聡明才弁は是れ第三等の資質。」

引用ここまで。

さて上記の言葉の内容は、人間の本質を突いている。
下記に三つの人間の種類を書く。

❶から❸までのうち、どういう人が偉いのか。

❶どっしりと深く沈潜し、厚み、重みがある。

❷頭がよく才が有り、弁が立つ。

❸大きな石がごろごろしているように線が太く、物にこだわらず器量の大きい。

答えは意外にも❸、❶、❷の順番だそうだ。
その理由が下記の様、詳細完結に書いてあった。

【解説】聡明才弁の人は、とかく鋭角的になり過ぎる。従って磊落豪雄になれるように修養しなければならないが、そうするとどうも人間に気負いが生ずる。だから深沈厚重の徳を養うことを第一にしなければならない。

この徳を養うて始めて本当の磊落豪雄にもなるわけであって、そうでないと似せ豪傑のようになってしまうと言っている。人間学の典型的な名論である。

そこで私は❶から❸のどれか、と考えた。

まず私はどっしりとはしていると思う。が、物事に動じない鈍感なだけで、どっしりして見えるのは感情が顔に出ないだけだと思う。

才はまあある方で、弁は立ちすぎるほど立つ。が、今まで相手を論破しすぎて敵も作った。鋭角どころかナイフであった。

大きな石がゴロゴロしてても気にならんが、片付けるのが面倒で気にならんだけである。

この様に私はどれにも当てはまらないから勉強し、いずれ❸に行き着きたくなる。幸いにも利他的である事だけが私の誇りである。

人間❸になるのは難しい。難しいが、なろうと思わなければ、この世に生を受けた意味はない。

問題は❶❷❸のどれにも当たらない人。いや、厳密にいうと全てにおき、真逆の者。

私の見てきた中で❶❷❸の全てが真逆の人は大凡、下記のパターンを辿る。

才がないので、嘘と言い訳という弁が立ち、後に嘘がばれる。

次に初対面の相手の前で狼狽え、おどおどする。
これは自分に自信がないのに、大きく見せるから。

そして、大きな石も小さな石も見えない、これが一番最悪である。

気が回らないから石にこだわらないのではなく、石に気付かない。

皆さんもこういう方に、1人位は心当たりがあるのではないだろうか?

この手の特徴は、人を信じない。人の言う事を聞かない。

さらに大きな石がそこにあるのに気が付かない人は、問題である。

というものが欠如すると、何一つ達成は出来ない。

気がないというのは、気力も気概もなく、気配りも気遣いもできず、ここが一番大切だが、周りの空気が読めない。

私の教育経験で言うと、空気が読めないのは小学2年生迄が多く、小学3年生頃から変わり出す。

但し小2であろうと小6であろうと、子は家庭において父に認められたい、母に優しくされたい、という気は必ずある。

だから親、家庭の教育が大切だと言う事になる。

父が子供を否定し、母はお金で子供の悪事を許す、という間違えた厳、間違えた愛を施す親がいる。

これを受けた子は、上記3つには永遠に辿り着かないのみならず、義も利も分からない。

こうして、大人になると男気がなく、邪気の塊となる。

邪気だけになると本人の成長のみならず、他人からも避けられる。悲しい事に、大人になればなる程必ずそうなる。


君子も亦(また)利害を説く。

利害は義理に本(もと)づけばなり。
小人も亦義理を説く。
義理は利害に由(よ)ればなり。

【訳】
徳の高い人でも利害を説く。
それは利害が義理人道に基づくものだからである。
徳の低い人でも義理を説く。
それは義理が自分の利害にかかわっているからである。

これは兵庫の経営コンサルタントの、川崎さんから毎日メールで送られる論語を引用している。無料で送られる。

無料で何故こういうものを毎日、川崎さんが説いてるのかと言えば義から来る。故に川崎さんは利も来る。

人の気を読めない人は、例えば私が良かれと思い、本人のプライドが気付かないよう、遠回しに言っても理解出来ない、しない。

だから分かる様にズバリと言うと、分かった、と嘘を言う。

こうして何度言っても治らぬ手合いは、最後はお金で破滅する。

お金で破滅し出すと、もう手が付かない。利のみを追いだす。
すると当然、義どころか、幸も運も友も逃げる。

最後に行き着くのは、他人が悪いという思考や上手い話に飛びつき邪気を持たなければならない時、目の前の利に飛びつき騙される。

余程のお人好しが何度か助けても、自分がしてもらった事を忘れるので、愛想を尽かす。

自分が人に何かをするという気概がないので、してもらった恩義なぞ、本人の気に無いからである。

経営とボクシングは似ている。意外だが気がボクシングに出る。

選手がスランプな時は、大体、何か気持ちがスポンサーやお金、自意識が優先している時に多い。

しかし正しい師の言う事を聞けば、必ずいい方に、つまり本来の自分に戻る。ボクシングは実はチームプレイだという事に気付く。

読み返していただくとお分かりだが、負のスパイラルと言うのはこういう事で寂しい事である。

私がジムの子供に言うのは、1 嘘をつくな。2 間違った事をすればすぐ謝れ。

まずこれだけ。

これが出来だして「悪い事をしてないのに、理不尽な事に謝るな、卑屈になるな」と教える。

勿論、若い時は自分が悪くなくても、相手に変な力があれば怖い。だから私はそういう時には、いつでも言ってこい、と言う。

不幸な事にこれを理解しようとせぬ者は、いずれ師も友も逃げる。また自然の摂理で、いずれは両親も亡くなる。

その時、負のスパイラルからはもう逃れられない。

自分がなりたいと思った自分と、真反対の世界で生きるしかない。
チャンスは平等にくる事を認めず生きてきたので、当然そうなる。

こういう人が多くなるのは家庭教育にある。私はこうならぬ様にお手伝いをするだけだ。

冒頭の❶、❷、❸の様な人になる為に今からやろう。
そういう思いさえあれば、誰からも嫌われる大人にはならない。

人間にはもう遅い、という事もある。
そうなると、もう助ける事も自力で這い上がる事も出来ない。

皆んな、テレビで教育評論家の耳障りのいい言葉や、綺麗事だけを聞いても意味はない。

少なくとも彼ら彼女らは、私の様に天国と地獄を知らないし、嫌われる事をTVでは言わない。

世の中には無理、と言う事もある。但しそれは上記に説明した様、かなり歪んだ性格の者に限る。

気と楽を養わないので、気付かぬまま、ただ息を吸い生き存え自分は不幸だと思いだす。

だから勉強は死ぬまでやり、とことん実行しろと教える。諦めるな、と言う。

その過程で起こした失敗は、無駄ではない。

人の言う事を聞かず、人のせいにして、何もしない事が罪なのである。


教え子がそうなるのはちと寂しい。だから私は今の教え子だけは、そうならぬ様、しつこく言い続ける。


教育とはそういうものではないだろうか。


しかし・・・。
この文中、何回「気」という文字が出てきたのだろう(笑)。


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