孤独な恋

愛してる、と言ってくれたから、私も愛してると返した。それなのにどうして、こんな気持ちになるのだろう。

 彼女と付き合いだしたのは、大学のサークルで出会って二年後だった。私より二つも学年が上だった彼女は、何をするにも二歩先を行ってしまっていた。私は初めて会ったときから彼女を好意的に感じていたし、そんな彼女も数少ない女子の後輩によくしてくれていた。だから仲良くなるのに時間はかからなかったし、好きになるのも自然な流れだったけれど、彼女はあっという間に卒業していった。私は、告白もできないまま、その想いを胸にただ後悔していたと思う。でもやはり、私よりもあの人は二つも歳上なのだ。卒業してからしばらくして、彼女からメールが来た。『お花見にいこう』、そんな簡潔な文章が嬉しくて、返事をするのにああでもないこうでもないとえらく時間がかかったのをよく覚えている。
紛れもなく恋だった。それは確かに恋だったし、どんなに長く一緒にいても恋は恋のままなのだと疑うことすらなかった。

 告白したのは、私のほうからだ。社会人の彼女と、未熟な学生の私。その差が焦りとなって、私の背を急かした。なんて言ったのかは忘れてしまったのだけれど、彼女は困ったように笑って、それきり黙ってしまった。ああ振られるのだ、そう覚悟して俯いた先で、注文したココアのクリームが少し溶けていた。普段はあまり飲まないくせに、なんであのときはココアなんて注文したのだろうか。そのときの気持ちには、もしかしたらぴったりだったのかもしれない。
 それからたっぷり一ヶ月。彼女はたぶん、おそらく、きっと、真剣に。そう真剣に考えてくれたのだと思う。『私と付き合ってください』。電話越しに告げられた言葉に舞い上がって、「はい」とだけ答えた。私はあのとき、心底安堵した。何にかはわからないけれど言うなれば、達成感、のようなものに近かった。不器用な私が、思いっきり高く設定したハードルをなんとか無事に飛び越えた。怪我もなにもなく、ああ、無事に終わって良かった。そんな感じだ。

 私たちの間に、喧嘩は少なかった。彼女は滅多に私に本心をぶつけて怒るなんてことはなかったし、私も無理に聞きだすこともなかった。それはお互いに、だったのかもしれない。よくある恋人同士の痴話喧嘩、そういうものを彼女とは共有してこなかった。できなかったのかもしれない。大切にしよう、と思っていたし実際にそうしたと思う。大切にすることから少しでも逸れるのなら、それはいけないことだと自分を納得させていた。それがいけなかったとは思わない。私は、大切な宝物を、大事に大事に守るようにしていたかった。この関係を、やっと芽を出してくれたそれを雨風から守って、育てて、望む花を咲かせようと思っていた。穏やかな彼女と一緒にいればそれだけで楽しかったし、笑ってくれればそれだけで満たされる気がしていた。この人となら、幸せな未来にたどりつけるのではないかと、そう信じた。

 紛れもなく恋だ。そう心から思えなくなったのはいつ頃からだろう。

 彼女の笑顔を見て、「良かった」と思うようになってからだろうか。幸せになりたいではなく、幸せになってほしいと思うようになってからだろうか。思い出そうとしなければ、彼女のことを考える時間がなくなってしまってからだろうか。あるいは、そのどれもを自覚し始めてからか。

 恋って何だろう? そんな風に思うようになって、私は急にくるしくなった。穏やかに、緩やかに、育ててきた私たちの関係は確かに望んだものになっていた。彼女は、私を見て嬉しそうに笑いかけてくれるし、適度に嫉妬をして、私の話に興味を示して自分の話を聞いて欲しがる。付き合い始めの頃は私のほうが温度が高くて寂しくなっていた、なのに彼女は今、まるで私を愛しているみたいな態度で一緒にいてくれようとする。私はその度、胸がチクチクと痛む。理由もなく懺悔をしたくなる。そして彼女に問い質してやりたくなるのだ。「私なんかの、どこが好きなの?」。

 どうしようもなく寂しくなる夜がある。それは、一人になるとやってくる。例えば、切ない音楽を聴いているとき、恋愛小説を読んでいるとき、青春をテーマにした作品を観ているとき。ふと気が付くと、いいなあ、と呟いている。私の中にある、欲求が刺激されることでその輪郭がはっきり浮かび上がる。いいなあ。羨ましいなあ。私も、したいなあ。そうして何度でも自問自答を繰り返す。何を? だって、それならもうしてるじゃない。大学生のあのときから、たった一人の女性を想って、今でもそれは変わらないはずでしょう? 彼女が変わらないでいてくれているように、あなたもそのはずでしょう?

 そうして私は、今日も懺悔する。ごめんねと、何に向けてかわからないフリをしたまま、静かに。

 あの日から、毎年決まった場所で、お弁当を持って二人でお花見に行くのが例年の慣習だ。そこで私たちは、今も昔も変わらないよねと笑い合う。一緒にいると楽しくて、ホッとして、やっぱりここが一番なんだねと。彼女はいつも、私より二歩先を行っていた。いつから、私にそんなに近づいてくれるようになったの。私は、いつまででも追いかけたってよかったのに。追いかけていたかったのに。
恋を疑う暇なんてないくらい、走り続けていたかったから。

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