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風の良寛(著者:中野孝次)

著作者名:中野孝次 発行所:株式会社集英社 2000年12月20日発行

良寛、凄い人だ。中野孝次に、こう言わせている。「雪の中の五合庵を見ながら、おれにはとてもこの暮しはできない、とつくづく思った。」

また、中野孝次は、こうも言っている。「貧乏でなければ道を悟れない、というのか。恐ろしい思想だ。」

「良寛のすごさは、人生のごく早い時期に、物、名誉、地位、金銭、権力などのために生きる生の空しさを痛感して、はやばやとそれを捨てたところにある。」

良寛は、「身は黒衣をまとう僧体でありながら、寺の住職でもなく、経を読むでなく、人の葬式もしてやらない。僧でありながら、僧でなく、みごとな詩を作るけれども漢学者でない。「万葉集」を白文で読む学識があるけれども国学者でない。みごとな歌をよむけれども歌人でない。高雅な書を書くけれども書家でない。・・・社会の枠のどこにも属しない、ただの裸の人だったのである。」

では、いったい良寛は、何を求めていたのか。「良寛の草庵には何もない。」あるのは、三升の米、一束の薪のみ。「そういうまさに無一物の生き方であるために、・・・静かな雨音につつまれながら、双脚をゆったりと、ながながと伸ばすことが、最高の仕合せと感じられたのだ。」

「今日はもう何もする必要がないという状態で、みち足りて、足をながながと伸ばしているとき、外にはしとしとと雨のふる音がし、静寂をきわだてる。この何もない静寂、無のなかにこそ、人にはわからぬ生の充実がある。」

良寛は、単に貧しいというだけでなく、自己の修練、人への優しさ、生の充実があったからこそ、現代においても「あこがれ」をもって、敬愛されているのであろう。




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