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良寛にまなぶ「無い」のゆたかさ(著者:中野孝次)

著作者名:中野孝次 発行所:株式会社小学館 2000年12月1日発行

もう死が迫った時期の良寛の歌である。私は、この歌を読むとこころの内側から清められる。
 
この夜(よ)らの いつか明けなむ
この夜らの 明けはなれなば
をみな来て 尿(ばり)を洗はむ
こいまろび 明かしかねたり
ながきこの夜を
 
老病の苦しさ、辛さをそのまま訴えている。自分では厠(かわや)に立ってゆけず、おしめをさせられ、それも糞尿にまみれている。苦しくて夜も眠れない。その長い夜を、いつか夜は必ず明ける、明けたら女が来てこの糞尿まみれの尻を洗ってくれるだろうと、ただそのこと一つに希望を持っている。
 
おのが心に正直に歌を作って来た良寛なればこそ、こういう歌も出来たのだ。そしてこの歌を見ると決して汚い気はせず、老いての生存の悲しさが素直に伝わって来る。
 
ぬばたまの夜はすがらに糞(くそ)まり明かし
あからひく昼は厠(かはや)に走りあへなくに
 
吉野秀雄はこう言っている。
「良寛の死病は長期の下痢だった。そして世間一般の風流家などにはとうてい思いもよらぬ作を残した。わたしはこういう歌を詠んだ良寛が心から好きだ。何のきたないことなどあるものか。」
 
私(柳は緑)には、きたないどころか、心が洗われる思いである。
 


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