源氏物語ー深い森のように尽きぬ読み処
(3)最も愛されたヒロインが不幸になった理由
源氏物語の主人公は光源氏ですが、源氏の恋の相手となった登場人物の女性たちの個性的な人生が、それぞれ独立した名作になるくらい劇的に描かれています。その中でも作者の紫式部が最も力を入れて描いたヒロインは、源氏の終生の伴侶だった紫の上だと思います。
紫の上は十歳のときに、病気療養のために京都北山の寺に来ていた八歳上の源氏によって発見され、源氏の私邸に引き取られました。四年後、男女として結ばれます。源氏の人生で正妻になったのは、若くして亡くなった葵の上と、老境の源氏に皇室から降嫁してきた女三の宮の二人だけで、紫の上は正妻ではありませんでしたが、源氏に生涯最も愛される理想的な女性として描かれます。正妻ではない紫の上が43歳で世を去るまでずっと源氏と一緒に住んだことは、当時の結婚制度としては異例と言えます。
紫の上の人生前半は幸福でした。源氏が一時失脚して紫の上を京に残したまま須磨で退居生活を送ったり、退居先で源氏が結ばれた明石の君や源氏が一方的に恋慕した朝顔の君に嫉妬したり、というできごとはあったものの、常に源氏から一番大切にされ、極楽浄土を思わせる壮麗な邸宅「六条院」が落成してからは源氏と共にその中心になって四季を送りました。養女として育てた明石の姫君が東宮(皇太子)に入内するという栄誉も体験しました。
紫の上は実家の後ろ楯が弱かったため、源氏の庇護に頼って生きるしかありませんでした。その結果、常に源氏に愛される理想的な女性になれるようベストを尽くす処し方が身につきます。たとえば嫉妬をするときですら、源氏に愛される「可愛らしい適度な嫉妬」をしたことが記されています。こうした生き方が不幸につながることは、彼女の前半生ではありませんでした。
そんな紫の上の幸せがほころび、人生が暗転し始めたのは、32歳のときでした。源氏物語の第二部冒頭、「若菜上」の帖でいきなり皇女の女三の宮が源氏の正妻として降嫁してきたためです。
これ以降、紫の上の苦しみはそれまでに経験したことのないものになりました。女三の宮は正妻で、はるか格上の内親王でしたから、六条院での紫の上の居場所は、邸の中心の寝殿から脇の「東の対」に追いやられました。源氏にとって女三の宮は、幼いばかりで期待はずれの女性だったため源氏は紫の上の美質をますます認識しますが、朱雀院への気兼ねや世間への気遣いから徐々に、女三の宮と過ごす時間が増えます。紫の上は源氏と穏やかな老後を過ごせると考えていた希望を断たれました。源氏が他の女性に心を移したかつての場合のように嫉妬や不満を口にすることもできず、外面は平静を装ったまま心の内の苦悩を深めていきました。その積み重ねによってついに病の床に就きます。
このように紫の上が追いつめられていく経過や背景を、作者は次のように容赦なく描いていきます。まずは、源氏が紫の上にかけた言葉です。
「あなたは、親の家で深窓に育まれてこられたようなもので、こんな苦労知らずの気楽さはありません。その点では、人よりはるかに幸運な星の下に生れたということが、自分でわかっていらっしゃいますか。思いもかけず、女三の宮がこうして御降嫁になられたことは、何となくお辛いだろうけれど、そのことのために、かえって加わったわたしの愛情が、ますます深くなったことを、あなたは御自身のことだけに、あるいは気がついていらっしゃらないかもしれませんね」(瀬戸内寂聴訳源氏物語「若菜下」講談社より引用)
紫の上の心の中とはかけ離れた言われ方でした。
もう一つは貴族社会の視線の残酷さです。世間は、紫の上に同情するどころか、正妻である女三の宮がもっと源氏によって重んじられるべきだと噂したのです。紫の上の病が一時、重篤になって「亡くなった」という噂が広まったとき、その噂を聞いた上級貴族などが次のように話したと書かれています。
「こういうお方がますます長生きして、この世の栄華を極めておられては、 はたの人は迷惑することでしょう。これからは二品の女三の宮も、本来の御身分にふさわしい御寵愛をお受けになるだろう。これまではお気の毒なほど紫の上に圧(お)されていらっしゃったから」(瀬戸内訳「若菜下」)
”幸せになることが周囲の迷惑だ” とまで言われてしまうのが、冷たい世間の現実でした。
こうした境遇のなか、紫の上自身がほかの女性の人生に事寄せて自らを振り返った述懐が「夕霧」の帖に記されています。
<女ほど身の処し方が窮屈で、哀れなものはない。ものの情趣も、折にふれ ての楽しい風流な遊びも、まるでわからないように、遠慮して引き籠ってばかりで暮すのだったら、一体何によってこの世に生きる喜びを感じ、無常のこの世の淋しさも慰めることが出来ようか。> (瀬戸内訳「夕霧」)
心身とも憔悴した紫の上が求めた救いは仏にすがることだけでした。
出家をしたいと何度も源氏に懇願しましたが、源氏は決して許しませんでした。人生が残り少ないことを悟った紫の上は、死の五か月前、満開の桜の季節に自ら「法華経千部供養」という大がかりな法要を営みました。
紫の上が43年間の人生で、不幸な晩年を過ごさなければならなくなったのはなぜでしょうか。
社会的な背景としては、男性優位で階級と出自が越えがたい壁になる当時の結婚制度や世間の目の厳しさが挙げられますが、もっと深いところには男女の愛の本質があったように思います。
そもそも源氏が紫の上を見初めたのは、一番の想い人だった藤壺の宮の代わりとしてでしたし、年を重ねた紫の上が出家に救いを求めたのを源氏が許さなかったのも源氏が彼女を手元から失いたくないためでした。源氏に最も愛されたとはいっても、その愛は真に相手のためを思った愛ではなく、自らのための愛だったと言えそうです。最も愛し合う男女ですら心がすれ違い、互いに孤独にならざるをえない人間の真実、それは作者自身の人生観だったのかもしれません。
(源氏物語の読み処についてのこのコラムは、引き続き月2回程度掲載します。次回は11月14日にアップする予定です。
これらの内容も含め、源氏物語の幅広い楽しみ方を記した著書『源氏物語 —―生涯たのしむための十二章』(論創社)を11月中に刊行予定です。
お読みくだされば幸いです。)
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