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めんどくせえし情けねえ

「橋渡し役」ってムツカシイ

家族の中で、私は「橋渡し役」と自負している。
両親は、私が中学生のときに離婚した。離婚してからも、子どもがどちらにも会えるよう、自転車で10分程度のところに住んでくれていた。
子どもは、私、妹、弟。
性格は家族それぞれでもちろん違う。
合う、合わないはやはりある。
性格によって A父と妹 B母と私と弟
という分かれ方になることが多いが、私は比較的父とも妹とも話ができた。
中学生くらいからずっとそう。
子ども全員が成人してからも同じ。

これは私の役割だと思っていたし、家族のなかでこの役割ができるのは私だけ、でも特に重荷に感じることはなかった。

つい最近までは…。

俺にだって意見はある

「橋渡し役」は、AとBが協力しなければならないとき、もしくは意見が対立したときに出動する。

〔主な業務内容〕
①みんなの意見を聞く
②ほぐして相手側はこう考えていると伝える
③相手側への意見や文句を聞く
④集約し、調整する

大体こんな感じ。
中学生くらいから私の役割だったので、慣れていたつもりだった。

発端は弟に起こったある出来事。
去年から弟がなにやら辛い状況になっていた。
詳細は控える。
しかし、司法の場で判断をしてもらうような事態らしい。
おまけに弟は、しんどいことが重なり「抑うつ」状態との診断を受け、休職することになった。

緊急事態に、家族全員でサポートと情報収集にかかった。
私は、少し誇らしかった。
なんやかんや言っても誰かが困っていれば団結できる家族、やっぱりこの家に産まれてこられて良かったなぁと。

弟は弁護士の先生についてもらうことになり、提出する書類等をまとめる必要があった。
それに際し、事務作業や文章をまとめるのは私の方が得意ということで手伝いの打診を受けた。
私が療養しているところから、弟が住むところまでは車で3時間以上。
3日間泊まり込みで作業やら食事の準備やらをして、療養先に戻り1日休んでまた弟のところへ、ということがしばらく続いた。
めちゃくちゃしんどかった。
でも、自分の能力が誰かのためになるということに嫌な思いはしなかった。

だが、やりがいだけでは限界がくる。
何より、私も休職中。
コップの水はすぐに溢れてしまう。

弟は、作業や集中することが苦手。
単純に抑うつで苦しいところに、苦手なことをするのはしんどいに決まっている。
だからか、なかなか気合いが入らない。
私と母が夜中に作業をしていても、本人は寝ているということが何度もあった。
もちろん、最初は「疲れてるから仕方がない、辛い目にあったのだから」と寄り添っていた。

しかし、それでは作業が進まない。
「弁護士の先生や裁判所に提出する書類は、当事者のお前に事実確認をしながらでないと完成しない。」とやんわり伝えた。
「わかった、ごめんな。」と弟は言う。
わかってくれたかな?
…翌日も同じことが起きる。
日に日にイライラしてくる。

余計なことだが、弟は勉強があまり得意ではなかった。
当たり前だが、それは悪いことではない。
得手不得手はあって当然。
弟にできて私にできないこともある。
しかし、できるふりをしたり、格好をつけたり、アドバイスを受け入れないというのは、ただプライドが高いだけである。
弟は正にこれ。

意味がよくわかっていない(小難しい)言葉を使いまくって文章を作ってくる。
『一人称は「◯◯」で統一した方が良い』と言っても、独自の理論で文章を構成し、曲げない。

結局全部直すのは私。
丸投げできるからええよな。

ある日ケンカになった。
準備不足すぎて、大切な日にやるべきことができていなかった。
溜まりまくったストレスが爆発した。
「お前の準備不足がすべてを招いとるんじゃ」
私が言った。

すると弟からは「何が準備不足や!大切な日にキレんなや!」と返ってきた。

〔こいつはなにもわかってない…目の前のことしか見えてない…自分が悪いと微塵も思ってない…〕

もう絶句…。
おまけに弟はなぜか泣いている。
〔え、俺が悪いん?〕
と思ったが、大切な日なのは間違いない。
そんな日にキレるべきではなかったと思い直し、切り換えて「ごめんな」と謝った。

なぜあの一瞬で、それができたのかはわからない。
ただ、逆ギレされたときのことが頭から離れない。
マジで意味がわからん。

その“大切な用事”が終わってから療養先に戻ったが、ムカついて仕方がない。
まだ作業が続く予定だったが、弟と直接会って作業をする気にはなれなかった。
母に仲介をしてもらい、「作業だけはする」と伝えてもらった。
その後も、療養先近くのスタバに朝から籠って夕方まで作業をするというのが何日か続いた。
ようやく完成した文書を弁護士の先生に提出し、やっと一段落。

そんな折に、弟から「前のことを謝りたい、電話をしてもいいか」とLINEが来た。
私が何について怒っているかを、母が相当根気強く伝えたようだった。
ただ、私は今回の作業の進め方に言いたいことがたくさんあったため、「俺が言いたいことしっかり聞けるか?」と返した。
すると、「それは受け入れられない」と返してきた。
呆れ返って「それなら電話する気はない」と返した。

今思えば、子どものケンカみたいで情けないのだけれど…。

数日後、また弟からLINE。
「謝りたい。今回はちゃんと聞く。ただ、これまでの人生で兄貴(私)に言いたいこともあったからそれを聞いてくれ。」と。

〔…え。なんなんこいつ。これまでの人生って言い出したら数百数千と言いたいことあるわい。お互いに我慢してることあるわい。自分だけ謝るのが嫌なんやな。〕

と思い、「人生でと言い出せばお互いに我慢してたはず。今回のことをいい機会にとごちゃごちゃ言うつもりなら謝らんでいい。」と返してしまった。  

作業の件についても、私にも悪いところがあった。
しかし、どう考えても当事者たりえない行動を弟はとっていたと私は思う。

弟のなかでは、手伝ってもらうのは“当たり前”そんな印象を受ける。
口では「ありがとう」「ごめんな」と言っていた。
「出世したら作業の分のお礼はするから」とも言っていた。

〔ただな、とにかくお前の言葉は軽いねん。〕
お礼とか手元にない金を餌にちらつかせてほしいわけじゃなくて、気合い入れて作業して、“本気”っていうのを見せてほしかった。

ここで“橋渡し役”の話に戻る。
弟の目の前では、文章の添削やら事務作業“くらいしか”していなかったが、裏では父の考えを聞き、弟や母にほぐして伝え、弟や母の考えをまた父に伝えるということをしていた。
一応、その橋渡しがあったために、意志疎通がうまくいっていたと思っている。

ただ、私にも意見はある。
“橋渡し役”の厄介なところは、自分の意見が言いにくくなってしまうところ。
四方八方に忖度しないといけない。
今回については本当にしんどかった。
相反する意見が出れば板挟みになるんだもの。

弟よ、お前は自分のためにこんな苦労をしてくれる人のこと考えてるか?
いや、知る由もないよな。

父は弟のために、弁護士費用として約百万円を準備してくれた。
母は弟の経済的援助に加え、生活そのものを支えてくれた。

しかし、それも次第に“当たり前”になる。

両親には及ばないが、私は大切にしていた持ち物を売って作ったお金を貸した。
力も惜しまず貸した。

それでも俺が悪いのか?

弟は、巻き込まれて今の状況になった。
それは可哀想だなとは思うが…。

同情も限界がある。
今さら調子よく「ごめんな」と言われたところで心は晴れない気がする。
でも、本当に困ったなら言ってこい。
そんな複雑な思いが交差する現在。

どうしたらいいのかわからない。
もうしばらくはしゃべりたくない。

ただこれだけは言える。
兄弟として、心の底では愛情を持っている。
互いに素直になれないところがあるんだろうな。

長々とお読みいただきありがとうございます。
noteは心の内を吐露できる数少ない場所、大切にしていきたいですね。
ではまた次回。

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