『大切なモノを作る』#6

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「わっ、どうしたんですか!」

 僕の腕の中におさまっているものを見て、ミミは驚きの声をあげた。無理もない。
 午後11時すぎ。いつもの通りバイトから帰ってくると思っていたら、僕が猫を抱えて帰ってきたというのだから。

「拾った」
「……野良猫ですか?」
「わかんない。捨て猫の可能性もある」

 腕の中の子猫は衰弱していた。猫にそんなに詳しいわけではないから生後何ヶ月かまではわからないが、まだ幼いということくらいはわかる。もしかしたら、子猫が生まれたけれど貰い手がなくて捨てられたのかもしれない。
 バイト帰りに、道端に置かれていた段ボールを思い出す。わざわざ段ボールに入っていたということは、人為的なものだということだ。それを思い出し、小さな子猫を見捨てた人間がいるということに苛立ちが募る。

「ミミ、風呂沸かしてもらえる? 35~37度くらいのぬるま湯が良い」
「わかりました!」

 ミミは僕の指示に従って風呂場へと急いだ。その間に居間に座って、子猫の状態を確認する。
 小さな白猫は、うっすら鳴き声をあげている。それだけでも、少しは元気があるのだということがわかってほっとした。
 子猫の上顎を指で触れ、歯があるかどうかを調べる。小指を子猫の口の中に入れても歯のような固い感触がなかったので、まだ離乳前なのだろうと思い当たった。
 夏とはいえ、夜は冷える。そんな中で長らく放置されたからか、子猫は冷たくなってきていた。子猫を腕に抱えたまま、すぐ横にあった箪笥の中からバスタオルを取り出す。それに子猫をくるんで、そっと床に置いた。
 次に立ち上がって、おそらくミミが付けていたのだろうクーラーの電源を切る。少しでも温めた方が良いと思い、冬用のカイロも引き出しから引っ張り出した。温めるためにポケットに突っ込んでおく。

「彰久さん、少量ですがお湯たまってきました」
「ありがと」

 ミミの声に、保管していた使い捨てのビニール袋を引っ張り出した。その中にタオルごと子猫を入れて、浴室に行く。
 少しずつたまってきているお湯にビニールごと子猫を浮かせた。所謂湯せんの状態である。

「直接お湯に浸かっちゃだめなんですか?」
「うん。お湯から上がったときの対処法ミスると逆に身体が冷えるから、湯せんの方が良いらしい」
「へぇ」
「ミミ、沈まないように見ててもらっていい? 僕はこの子に飲ませるもの用意してくるから」
「わかりました!」

 ミミと交代をして、今度はキッチンへ向かった。
 生憎子猫専用のミルクなんてものは家にないので、ぬるま湯で砂糖水を作る。飲ませるとき、本当はスポイトが良いのだけどそれもこの家にある訳はなく、ティッシュに湿らせて口に含ませる方法を取ることにした。

「ミミ、大丈夫?」
「はい!」

 砂糖水を作り終えてから浴室に行くと、ミミは緊張した面持ちながらちゃんと子猫を温めていた。

「そろそろあげようか」

 子猫を抱き上げると、さっきよりかは体温が高くなったような気がする。ポケットに入っていたカイロを取り出して、タオルの上から更にもう1枚タオルを重ねる際に、間に入れた。

「ちょっと抱いてて」

 ミミに子猫を預ける。ミミは、終始子猫のことを心配そうに見つめていた。
 ミミと一緒に部屋に戻って、キッチンに置いてあった砂糖水を持って子猫を再度預かる。ティッシュを取って砂糖水を湿らせ、口の中に入るように持って行って少しずつ砂糖水を垂らした。
 慣れていないのもあって最初はうまく飲ませることができなかったが、少しずつうまく垂らすことができるようになった。その間に子猫の方も、また鳴き声を上げ、ティッシュを吸おうとするような仕草を見せるようになった。

「思ったより元気そうですね」

 ミミがほっと安堵しているのに頷く。衰弱状態に変わりはないが、鳴くし、何か飲もうとする仕草を見せるというのは大きい。

「明日朝一で病院に連れてくよ。それまではできるだけのことはしておこう」
「はい!」

 どのくらい飲ませればよいのかあまりわからなかったが、子猫が飲む仕草をやめて少ししたあたりで飲ませるのは終わりにした。
 再度、母猫が温める様子をイメージして、なるべくそれに近い状態になるようタオルでくるみなおす。部屋にあった段ボールを使って子猫の周りが暗くなるようにすると、暫くして子猫は眠りについたようだった。

 ミミの表情が和らいだのを見て、僕も身体の緊張が解けた。それなりに気を張っていたらしい。

「ごはんにしましょうか」
「そうだね」

 小声で話しながら、ミミの作ってくれていた晩御飯を食べることとした。今日のメニューはカレーである。
 ルーがあるから、というのもあるが、ミミの上達した料理の腕に感心しつつ食べ進めていたところで、ミミがまじまじと僕を見つめていることに気が付いた。

「……なに?」

 さっき、料理に対する「美味しい」という感想は告げた。にも関わらずまだ見つめてくるということは、他にも気になることがあるということだ。
 促すと、ミミはまた小声で口を開く。

「彰久さん、子猫の対処法に詳しかったなぁと思って」
「全部ネットの情報だよ」
「でも、家に帰ってから調べる仕草なかったじゃないですか。いつ調べたんですか?」
「半年くらい前かな」

 カレーを食べ進めつつ、答える。「半年、ですか」と僕の言葉を繰り返した。妙に真剣な顔で見つめてくる。

「今回拾った子猫よりはもうちょっと大きかったと思うけど、一時期猫の面倒を見てたんだ」

 今日拾った子猫と同じく、真っ白な猫だった。家の近くの公園の、入り口付近の茂みにいつも隠れるようにして座っていた。
 野良猫らしいが、いつも同じ場所にいるというのが不思議だった。毎日見かけるので、ちょくちょく構っていた。白猫も人懐っこいのか、僕が撫でると撫でられるがままになっていた。
 また、痩せているように見えたのでキャットフードを買って餌としてあげていた。

「それがだめだったみたいなんだよね」

 結果として、茂みには他の野良猫も餌を求めて来るようになってしまった。
 その白猫はあまり強い方ではなかったらしく、その他の猫と喧嘩になった際に出来た傷が原因で死んでしまった。
 後から知った話ではあるが、こういったことがあるため野良猫に餌をやることはそもそも良いことではない。無知は怖いとはこのことだ。

「餌をやるくらいならいっそ拾って飼えばよかったと思った。そうしたら、怪我してることにも早く気づいて病院に連れて行ってやれたのにってさ。それで、一時期猫について調べてた時期があったんだよね」

 また猫を見かけたときに、無責任な行動をしないように。
 自分の行動のせいで猫が死んでしまうということがないように。
 罪滅ぼしのつもりもあった。
 結果として今、その知識が役に立ってよかったけど。

「ごめん、暗い話になった」

 すべて話し終えてからミミに告げると、ミミは首を横に振った。
 相変わらず、その目は真っ直ぐに僕をとらえていた。

「彰久さんはその行動を後悔しているかもしれませんが、その白猫にとっては彰久さんとの時間が楽しみだったと思いますよ」
「……だとしても、申し訳ないことしたって思ってるけどね」

 ミミの言葉はありがたいが、結果として僕が白猫を死に追いやったも同然である。素直にその言葉を受け取るのは難しかった。
 しかしミミは続ける。

「例えば、の話ですけど」
「うん」
「白猫は元々病に侵されていて、どちらにせよ余命僅かでした。それ故に自分で餌を探すこともできず、寒さに凍えていたところを、可愛がり、愛情を注ぎ、餌を与えてくれる人がいました。自分の死期を悟りながらも、最後に与えられたそれらは、白猫にとってかけがいのないものでした」

 すらすらとミミから聞かされる話は、まるで事実のように語られる。

「彰久さんから見える世界と、その白猫から見える世界が同じものとは限りません。白猫にとっての幸せは、白猫が決めるものです。白猫は十分、幸せを感じていました」
「……」
「――なんてことも、あるかもしれませんよ」

 最後に付け足されたその言葉によって、この話が例え話であったことを思い出す。
 おそらく、白猫に許されたいと思っていた感情が前からあったのだろう。ミミの今の話は僕を許してくれるようで、その話を信じたくなってしまった。
 ミミはいつものように、柔らかい笑みを浮かべる。

「真実はその白猫にしかわかりませんが、あまり自分を追い詰めないでください」

 年下のミミにそんな言葉をかけられるとは思わなかったし、それに対して僕がこんなにも安心感を覚えるとは思わなかった。
 なんだか泣きそうになってしまって、それを隠すように下を向く。

「……ありがと」

 告げた言葉は、情けないことに少し震えていた。

 どうしてミミが、そんなにも僕の気持ちを和らげようとしてくれたのかはわからなかった。ミミが僕を責めようとしない理由もわからなかった。
 ただはっきりとわかったこと。それは、ミミのそんな言動に随分救われた自分がいたことだった。


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野良猫への餌やり描写がありますが、当作品はその行為を推奨するものではございません。
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