メディアの話その149 なぜ人は広告がきらいなのか。それはコーヒーの香り。

ひとは
だいたいにおいて
「広告」がきらいだ。
なぜだろう。

理由がわからなかった。

記事や番組を読むのに邪魔だから?

商業主義だから?

それを言ったら
広告より邪魔なもの、
広告より商業主義なもの、
いくらでもある。

なのに、
なぜひとは
「広告」が嫌いなのか。

実は、
あらゆる
「魅力的なコンテンツ」は
商品にしても
サービスにしても
番組にしても
本にしても
人間にしても
すぐれた「広告」をまとっている。
必ずまとっている。

それは焼きたてのパンの匂いのように。

それは挽き立てのコーヒーの香りのように。

そう、
ここでいう
「広告」とは、
人間が、最初に
気づく匂いであり、
香りであり、
色っぽさであり
きもちよさであり、
要するに五感を、感情をわきたてる
オーラのことだ。

で、
どんなにすぐれた
中身があろうと
どんなにただしい
説明があろうと
コーヒーの香りのような
すぐれた「広告」的な
オーラをまとっていないものは
手に取ってもらえない。
買ってもらえない。

つまり、
マーケットの
スタート地点に立つことすらできない。

どんなに「ただしいもの」をつくっても
コーヒーの香りのような広告というオーラをまとえないものは、売り物にならない。

ひとは、ロジカルに消費をするのではない。
ひとは、感情で大好きな広告に飛びつき、
中身をかじっているときに
そのロジカルにはじめて気づくのだ。

説明だの合理だのは、あくまで、「あとづけ」なのである。

そして
ほとんどのひとが、
広告のオーラをまとうことができない。

そして
ひとはきづくのだ。
知ってしまうのだ。

自分が売れない理由は
「広告」をまとっていない事実にあることを。

その「広告」というオーラはどう努力しても
身につけることが困難であることを。

だから、
ひとは、嫌うのである。
「広告」を。

広告というオーラのまといかた、
どこかで教えてもらえないだろうか。。。。。。

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