メディアの話 テイラー.スイフトと違和感と。
テイラー・スイフトが妙に気にかかっていた。
日本における、テイラー・スイフトのニュースの作られ方が、なんとなく引っかかっていたのだ。
曲以上に、彼女自身そして彼女の物語の方が圧倒的に前に出る。
これは、洋楽がかからなくなった日本の音楽環境によるものなのか。
とも思ったのだ。
が、ネットフリックスの「ミス・アメリカーナ」を見て、むしろ、アメリカでこそ彼女の「物語」は過剰なまでに共有されている、ということを知った。
https://www.netflix.com/jp/title/81028336?fbclid=IwAR2dDNwVy-zTzT6nZwTfp_qAh4VQUq38ARw4s2YztSxxs37gx9KlqoYymR0_aem_ATTMv8ROz_qvVNQ0Fb2luplU_qxQ9P2Hu_F_J6Nu-zRgmEkJkbPCexGt-c1GKNjvIo4&tctx=6%2C1%2C6f6701c8-1127-43fa-827e-eb60e22992c1-13824765%2CNES_D5D98B549DE621A5DAD7C153C9B3A8-9BEC08AFC26140-8323E51534_p_1708848094109%2C%2C%2C%2C%2C81028336%2CVideo%3A81028336%2C&trackId=255809333
通常、ミュージシャンに関するドキュメンタリーは、音楽が大半を占める。
ネットフリックスにある他の音楽ドキュメンタリーはいずれもそうだ。
映画にしたって、ボヘミアンラプソディを見ればわかるように、曲そのものが、主人公となる。
が、このドキュメンタリーは、圧倒的にテイラースイフト自身、そして彼女の物語が中心にある。
中流家庭。幼少期、音楽との出会い。贈られたギター。カントリー。スター街道。痩せすぎの自分。スタッフの裏切り。男たちとのラブアフェア。カニエウェストによるディスり。三流メディアからガーディアンまでが彼女をこき下ろす。1年の雲隠れ。復活。DJによる性加害。裁判。トランプへの反発。LGBTへの応援。そして全てに勝ち、全てをステージに。
彼女の物語は、2010年台のアメリカの衝突と変遷とそのままピッタリ呼応している。彼女の物語はアメリカの21世紀史でもある。
彼女は自らのターニングポイントを詞にする。彼女の歌は、そのままアメリカの「変化」を綴るものでもある。彼女の物語は、アメリカ現代史として、人々に共有される。
なるほど、だからなのか。曲以上に詞なのか。
英語ネイティブじゃない私などは、彼女の物語を説明抜きに理解できない。だから、そのムーブメントを理解できなかった。
ミス・アメリカーナの物語は、さらにコロナ禍を経て世界を覆う。
ここでようやく日本人は、テイラースイフト物語に触れる。
ついこの前だ。
来日コンサートが終わると同時に、彼女はスーパーボウルに向かい、恋人のプレイを真剣に見、そしてハグしてキスをする。
21世紀のアメリカの変遷の物語。
アメフト選手と学年1の美女で歌い手が最高の試合でキスをする、まるで20世紀の古典的な高校生物語。
彼女は、新しいアメリカ、古いアメリカ、2つの物語を持つ。
カントリーを軸に、あらゆるジャンルとマッシュアップする。
最強だ。
そして。
自分がどこにひっかかっていたかにも、気づいた。
彼女の物語が、1950年代から2020年代に一気にワープする時、その間のアメリカが、すとんと見えなくなる。
その見えなくなった部分。その見えなさぶりに、ひっかかっていた。ような気がする。
それは、もしかしたら今のアメリカが決定的に消し去りたい物語なのかもしれない。
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