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メディアの話 MITメディアラボとネグロポンテと日本企業と40年前の正確な予言と
人間と他の生き物との最大の違いは何か。
それは、新しいテクノロジーを生み出し続けることで、自らの心身を拡張し続ける「メディアお化け」である、という一点に尽きる。
遺伝子レベルでは人間とほとんど違いのないチンパンジーもボノボも、この性質は持っていない。
道具を使うといってもたかが知れている。
カラスが道具を使うのも、シャチが群れによって狩猟文化が異なるのも、ある種のミームだが人間のようにテクノロジーを革新させ続ける、ということはやってない。
石斧から始まって、火を使うようになって、狩猟と戦争と調理と栽培と生活のテクノロジーを次々と革新し続け、言葉を発明し、移動手段を革新し、遺伝子操作を行なって、栽培植物と家畜を生み出し、七万年ほどで一気に世界中に自力で蔓延った。
全部、新しいテクノロジーと新しい情報伝達手段があっての行為、である。
ないと、新しい環境に適応できない。
海沿いを動いた連中は、船を発明した。
北に向かった連中は、衣服を発明した。
でなければ、遠くの島にいけない。寒さも凌げない。
さらに言えば、言葉の発明がなければ、概念と情報を共有できない。
ただし、革新し続けるテクノロジーの真ん中にいる人間そのものは大して進化しない。
革新するのは、拡張し続けるテクノロジーとメディア能力の方であって、人間そのものはほとんど変化しない。
イデオロギーも全て、新しいテクノロジーが生んだ社会活動の変化がもたらしたものである。
テクノロジーの革新が先、イデオロギーは後、である。
だから、技術革新を程々にしてまったり生きよう、というのは「人間やめよう」というのと同義である。
人間は、テクノロジーを革新し続けることで七百万年ほどこの地球上でサバイバルしてきた、とっても特殊な生物なので。
そして、技術革新をもたらす、好奇心や冒険心や功名心や嫉妬心や利他心は、七百万年の間に、遺伝的に洗練されてている。
「技術革新を程々にしてまったり生きる」にしても、そのための新しいテクノロジーを考えちゃう。
これが人間である。
そんな人間のありようは今後も変わらない。
で、本書である。
「ヒューマン・インターフェース」。
![](https://assets.st-note.com/img/1721111553417-WN1r6j6vbs.jpg?width=1200)
1984年、日本経済新聞から出版された本。
著者は、ニコラス・ネグロポンテ。
翻訳は、吉成真由美。
何の本か。
同年秋にスタートしたMIT メディアラボの設立背景。
それを踏まえてネグロポンテが、コンピュータと通信を中心に、あらゆるメディア、あらゆる仕事が、デジタル空間上のメディアになっちゃう、という話を書いた本である。
案外知られてない本だけど、中身が凄まじい。
40年後の今を全部正確に「予言」している。
例えば、メディアは1つに溶け合う。
放送映像産業と活字産業とコンピュータ産業は、今(1980年初頭)はバラバラに存在しているけど、近い将来統合し、紙がほとんど使われなくなる。
ただし、紙メディアそのものは無くならない。高精度のアート本などはそれ自体に価値がある。
なくなるのは例えば「タイム」のような雑誌だ。あの雑誌の記事のほとんどは、私にはいらないものだ。
「出版とコンピュータと放送が融合した新しいメディアでは、各人が自分に興味のある話題だけを集めた個人的な雑誌にすることができるのです」(25p)
まさに、現代のメディアの形を極めて正確に予言している。45年前に、だ。まだパソコンも普及しておらず、インターネットは影も形もなく、携帯も存在してないそんな時代に、である。
本書に出てくる未来予測、すでにネグロポンテたちが研究している分野、それを列挙すると。
アップルビジョンプロやグーグルグラスにつながる視覚メディア
音声入力技術の到来
立体ディスプレイ
ブラウン管の退場と壁掛けができる薄型ディスプレイの発明
キーボード入力からグラフィックを使った入力への変化
手振り身振りで入力できるタンジブルなメディア出入力装置
タッチパネルとタッチ操作の発明、
テキストメディアがデータベース産業化すること
コンピュータを活用した学校教育、コンピュータ同士が直接通信でつながるインターネット的世界の到来
機械が喋り出し、人間と言葉でやり取りする時代
老人をサポートする家庭用ロボット
万引きより手軽な感覚で行われてしまうサイバー犯罪の到来
電子メールで世界が繋がってしまい、いろんな人と常時接続する時代
銀行や窓口がコンピュータを介して家庭に入ってくるホームバンキングの時代
世界を全てシュミレートするゲームが主役となる時代
仕事と遊びが一つになる世界
ネットとディスプレイを介して自宅にいながら世界と会議ができる時代
カーナビやグーグルストリートビューのようなサービスの到来(有名なアスペンのムービーマップ)
立体ディスプレイ
音楽や美術がテクノロジーによって大衆化し、誰もがアーティストになれる時代。
ざっとこんな感じである。
これを1970年代終わりから80年代初頭にかけて、ネグロポンテたちは研究し始めて、一部はすでに実用化していた。
で、45年かけて、その多くが現実のものとなった。
その意味で、今当たり前となったサービスは突然生まれたわけじゃない。
45年の間に、試行錯誤しながら、それぞれの「目標」に向かって、技術革新したおかげで、人間は、新しい心身の拡張=新しいメディアを手に入れたわけである。
本書でわかることは2つ。
その1。
次の時代を切り開くのは、新しいテクノロジーの開発が全てである、ということ。
ただし、そこには既存テクノロジーの組み合わせ=編集=ブリコラージュによる、新しい商品も含まれる。多くの技術が単体の発明ではなく、組み合わせの妙によって世界を変える。
その2。
こっちがさらに重要なのだけど、人類が革新し続けるテクノロジー=メディアが使い物になるかどうかは、本書のタイトル通り「ヒューマン・インターフェース」、コンピュータや機械と人間、人間と人間、機械と機械の間の「接触領域」=インターフェースの部分の革新や発明があるかどうか、にかかっている、ということ。
技術そのものが「名詞」とするならば、その名詞が何をするかという「動詞」がインターフェースである。
ビジョンプロ的な技術は、「現実世界と仮想世界とマスメディア世界を、目の前に一気載せしちゃう」という動詞をもたらすものである。
「こんなこといいな、できたらいいな」の「こと」は、名詞じゃない。動詞なのだ。
「空を自由に飛びたいな」という動詞を体現するために、ドラえもんは「タケコプター」という名詞=メディアをのび太に提供するわけである。
でこの「インターフェース」という本、実は日本企業の援助でできている。
本書の制作にあたっては、三洋電機、ソニー、日立製作所、松下電器産業、三菱電機(五十音順)以上5社により、資料の提供などの取材協力をして頂きました。
と末尾にある。
![](https://assets.st-note.com/img/1721111568638-bpEIVAaTqd.jpg?width=1200)
私の手元にある本には、冒頭に日立製作所広報宣伝部の文章がついている。おそらく、各社とも同じようなことをやっていたはずである。
冒頭にネグロポンテがこう書いている。
「私はこれまで20回ほど日本に来ています」
MITメディアラボは、当時、日本企業の出資で支えられていた部分が大きかったという。
そして45年後。
ここで本書の制作に協力した企業のうち、全てがネットメディア化する世界に対応したのは、ソニーだけ。
その後、本書に書かれている世界を実際に体現したのは、当時まだ中小企業だったマイクロソフト、パソコン出したばかりのアップルであり、AmazonやGoogleやFacebookは影も形もない。
どこが違ったのか。
テクノロジーの革新が次の世界を「必ず」作る、という人間の法則を、無視するか、積極的に利用するか。
その一点がとっても大きい。
で、AIである。
大脳皮質の拡張手段であるAIが数年内に、社会と仕事と教育を徹底的に変える。間違いない。外れようのない100%確定した未来だ。いや、すでに今、である。
この今を「前提」にできるかどうか。
ちなみにAmazonで一万円で買えます。本書。
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