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南国のひとの生き方

ゲゲゲの女房」の再放送を見ている。

この朝ドラ、登場人物のゆったりとした話し方と、実直に生きる人たちの情熱がじわーっと伝わってきて大好きだった。

先日のストーリーは、「ゲゲゲの鬼太郎」のヒットで有名になったしげるさんが、軍隊時代にお世話になったひとたちと再会する話。

水木しげるさんといえば、パプアニューギニアのラバウル出征中、迷い込んだ村の人と仲良くなり、村の娘と結婚しないかと誘われるほど親しくなったという人物(著作に描かれてます)。

あの狂気の日本軍の中で、上官に殴られてもふら〜っと村に遊びに出かける…そんな異次元な二重行動をとっていたことにかなり驚くが、銃を持って人殺しに来ている異国の人と親しく交流した村人にもびっくりだ。どちらも怖れを知らないというか、怖れのかけらもないというか。

目があって笑いあったところから付き合いが始まったらしいのだが、言葉もなく五感(六感?)で感じあえたのだろうか。


もうすぐ3歳になる次男を連れてアメリカ旅行に行った時のこと。

ハンバーガーショップのプレイコーナーで同じ背格好の男の子を見つけた次男が、うれしそうに「あそぼうー!」と誘い、ふたり楽しそうに遊んでいたっけ。

ひとは本来、怖れなどないまっすぐな存在なのかもしれない。

「ゲゲゲの女房」のしげるさんが、「あの村の人たちはあったかくて、のんびりしてた。人間は本当はあんな風に暮らすべきだ」というようなことを言っていた。

はっ、とした。


北国のひと、南の国の人になりかける


あたたかい南の国は、ひとがひとらしく生きるのに適してるのかも。
だって、備蓄しなくても野山のものを分け合えば生きていけるんだもの。

わたしが暮らす南九州には、のんびりしていて、垣根や制限がない、ゆる〜い感じのひとが多いと思う。わたしが北国出身だから、おそらく余計にゆる〜〜〜〜く感じるのだろう。

最近、我が家の水道メーターの蓋を工事関係の車両に壊されるというトラブルにあったのだが、壊した現場のひとたちが実にのんびりと悪びれていなくて、心底びっくりした。これまでもこんな衝撃はたびたびあったのだが、南国特有のおおらかさを改めて感じ入った出来事だった。

壊したことについての報告もなく、蓋を新しく交換したものの仕様が違っていて、「とにかく元の状態にしてください💢」と精一杯怒りを伝えてみたものの、「直せばいっちゃろ」「違う色の蓋じゃダメけ?」「壊れるときはまた壊れるさ〜(笑)」と、ゆる〜い雰囲気に飲まれ続け、わたしの中の正しさらしきものを説いてプンプンしている自分の方がバカに思えてくる始末。

いや、まてよ。

「南の国のひと」になりかけているわたしが
「北の国のひと」の習慣でものを考える自分を見て
なにがそんなに心配なんだ? 
と衝撃を受けていたのかもしれないな。


すごいよ、南の国のひとは。


しげるさんを評して、軍隊時代の仲間が「いつも楽しそうにしてた」と。上官に殴られても、片腕をなくしても、自暴自棄になることなく、飄々と生きてきたしげるさん。

しげるさんの母親が、遠く離れた戦場にいる息子の危険をふと察知して、夫を叩き起こし、ふたりで一晩中「死ぬなー!」と叫び続けた話も好きだ。しげるさん自身がその声を聞いたらしい。

余白を持ってのんびり生きていると、大事な声が聞こえてきたり、届いたりするのかなぁ。

ここ最近、目の前の仕事に必死になって疲れ切っている自分がバカに思えてきた。

はっはっは。

南国にふさわしい感じになっていこう🌴








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