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損害サービス部門とは何だったのか?

(Twitterはこちら → @yanagi_092)

前回記事のとおり、今日は異動内示の日。上司の指示どおり、本館15D会議室へ向かいます。

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(お詫び)
今回は損害サービス部門に対する辛辣な言及もあります。特に、現役で損害サービスに従事されている方の気分を害するかもしれませんので、その点はお詫び申し上げます。
ただ、私を育ててくれた東京海上の損害サービス部門の「人」対する感謝の気持ちは、今でも忘れていません。本当にありがとうございました。しかし、「人」に対する感謝と、「仕事内容」に対する評価は違うものだと思っており、今回はその前提でお読みいただければ幸甚です。


異動内示の日

上司「えー、やなぎくんは異動です。どこだと思う?」

ぼく「ジョブリクエスト(社内公募)で面接はしましたが・・・」

上司「うん、そのとおり。財務企画部へ異動です。あと、東京海上ホールディングスの兼務にもなるみたいだね。」

正直なところ、面接の感触が良かったので8割くらいは通っていると思っていました。しかし、面接OKで異動できるほど甘い世界でもなく、私の所属する損害サービス業務部が、異動をブロックする権限も持っています。私は、火災新種保険の分野において高度専門種目(会社役員賠償など)の損サ対応ができる数少ない社員でしたので、理不尽なブロックを受けた可能性も十分にありました。しかし、そのようなブロックをすることなく、快く私を送り出してくれたことについては、今でも本当に感謝しています。

ぼく「ずっと結果が出ていなくて、無駄に勉強を続けている状況だけど、少しずつ、ほんの少しずつだけど、未来が変わってきた・・・」

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損サ部門の振り返り

はじめに:
損害サービス部門には、本当にお世話になりました。そして、私が困っているときは、多くの方が手を差し伸べてくれました。この感謝の気持ちを忘れることはないでしょう。ただ、自分の家族や親しい友人に「損害保険会社の損害サービス部門を勧めることができますか?」と聞かれると、答えは「NO」です。

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なぜ損サ部門は損害保険会社の少数派に陥ったのか

もともと、1960年代までの東京海上は企業向けの保険を主力としており、従業員も少数精鋭の会社でした。現在だと、三菱地所や日本郵船のようなイメージでしょうか。しかし、その後の1970年代の自動車保険バブルによって、東京海上を含む損害保険業界の状況は一変します。

この頃は、自動車保険が売れに売れて、とにかく人が足りない状況になります。ここで、個人向けの自動車保険は、企業向けの保険と比べて格段に簡単です。

このような背景から、「①会社や上司への忠誠心が高く、とにかく自動車保険を売ってくる人材」「②自動車保険が分かる最低限の読み書きができる人材」すなわち、体力自慢の体育会系出身者を大量に採用するようになります。

また、当時の金融行政は「護送船団方式」と呼ばれるもので、自動車保険を中心とする個人向け商品については保険料率の規制があり、損害保険各社は同一の自動車保険を同一の保険料率で販売しており、公的にカルテルが認められているような状況でした。また、護送船団方式には「体力の弱い保険会社を潰さない」という旧大蔵省の意図が色濃く反映されており、中小損保が潰れないように保険料率が設定されていました。

大手の損害保険会社からすると「大蔵省が自動車保険の利益率を確保してくれるので、後はひたすら売るだけ!」となるのは当然で、体育会系社員を大量に投入して自動車保険を売ることが最優先されます。そして、この頃から損害保険会社の仕事内容は一変し、就活パンフレットに出てくる「東京海上的なイメージの仕事(少数派)」と、就活パンフレットには隠されている「体育会系社員が自動車保険を売りまくる仕事(多数派)」に二極化し、損害保険会社は急速にリテール中心のビジネスへ変貌します。

補足:マーケティング的な観点からすると、自動車保険のようなコモデティ商品(一般商品)で利益が出続けるのは異例で、企業にとっては凄まじい利益の源泉となります。通常、コモディティ商品は市場原理により利益が出なくなるのですが、旧大蔵省の金融規制のおかげで空前絶後の爆益が続いたのです。東京海上を中心とした損害保険各社が高給であったのは、このような時代背景も大きく寄与していると言えます。

一方で損害サービス部門の視点で考えると、全ての保険契約で事故が起こる訳ではありませんので、構造的に損サ部門の要員数は少なくなることもあって、自動車保険を売りまくる体育会系の営業社員に圧倒され、損サ部門は目立たない日陰の存在(保険金を支払うバックオフィス的存在)になったと考えられます。

損さ


なぜ損サ部門は自動車損サに染まったか

前述のとおり、損害保険会社は1970年代以降の自動車保険バブルによって様相が一変しました。会社として損害サービス部門は目立たない存在なのですが、その目立たない「ムラ社会」のなかで、自動車損害サービス課の存在感は増していきます。

そして、自動車保険を売る場合とは異なり、保険金の支払(示談)となると、それなりの知識と体力を消耗します。このような背景もあって、やがて「自動車損サでオラオラ示談をしてきた人」が偉くなるキャリアパスが形成され、自動車損サこそ大正義な世界観が確立されていきます。


私が損害サービス部門を去りたかった理由

私は自動車損サに配属され、当初から「自動車損サは嫌だ・・・」と思うようになりました。

理由:
●クレーマーの対応等、仕事内容が極めてハード
●普通の理解力があれば誰でもできる仕事であり、労働者として市場価値の向上に繋がるノウハウは得にくい
●少数派の宿命として、社内の発言力が低い
●損サ従業員の多くは社会正義を掲げる一方で、対人慰謝料の過少払いが励行されている面もあり、これだけはどうしても納得できない。(以下リンク)

そして、損害サービス業務部においては、希望どおり企業向けの火災新種保険を担当することになりました。上記のような「自動車保険が嫌な理由」も概ね解消され、やりがいを感じながら働いていました。しかし、損害サービス部門においては自動車損サが中心であり、損サ部門の偉い人を含め「企業系の損サは、何か難しいことしているね、俺はよく分からないけどwww」という世界観に絶望すると共に、屈辱的な疎外感を味わいました。

損サ部門に在籍するなら、私に残された選択肢は以下の2つ

●自動車損サに戻って苦情処理を通じた出世を目指す
●企業系の損サで細々と目立たない専門職人に甘んじる

このような背景から、自分の家族や親しい友人に「損害保険会社の損害サービス部門を勧めることができますか?」と聞かれると、答えは「NO」になります。

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今後の損サ部門はどうなるか(予想)

近年は「自動運転の進展により事故が減るので、自動車損サの役割も減る。火災新種保険の時代が来る!」と声高に叫ばれています。確かに、自動車事故は減るでしょうが、それでも損害保険会社のトップラインの3~4割は自動車保険のシェアが残るでしょうから、引き続き損サのメイン種目になると考えられます。そうすると、相対的に火災新種保険の損サの役割が増すとはいえ、依然として「自動車保険でオラオラ示談する人が出世する世界観」は大きく変わらないと思います。

とはいえ、近年では火災新種系の損サ人材が損サ部門の主要ポストへ座る事例も出始めており、少しずつ変化の兆しがあることも事実です。結局のところ、未来のことなので誰にも分かりませんが、私は上記のように考えています。

大正義


最後に

これで、私の損サ体験記は最後になります。損害サービス部門においては、数多くの方々に助けられましたし、良い刺激を頂きました。重ねてお礼申し上げたいと思います。

次回からは「コーポレート部門編」になります。引き続き、どうぞよろしくお願いいたします。

最後


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