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【映画】関心領域 "zone of interest" から思うこと

先日、Berlinの映画館でこの映画を観てきた

この映画を ここドイツで、そしてドイツ語(+英語字幕)で観るということは
とても私には意味を感じた

本当に考えさせられる映画で、ぜひ多くの人に観てほしいし
私の観点からの意見も述べたいと思ったので、ここに書くことにする

(字幕がたまに読めず、内容が少し違うかもしれないのはご了承ください。
一個人としての感想です。)

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この映画は音"楽"は使わず、"音"をうまく"不快に"表現している
全くJewish(ユダヤ人)の殺戮を映像としてダイレクトに見せない
映画制作サイドとして、様々なトリックがとても効いている
少量の、そしてそれでいて充分な情報が
ちらほら点在している...


メインキャラクターの男性は アウシュビッツ収容所の管理者の地位に立つ人間
彼は収容所の壁のすぐ隣の"美しい"ガーデンのある大きな屋敷に
家族(妻と子供達)と数人のユダヤ人の召使いと共に住んでいる

その時代にはあり得ないような豪華な暮らしをし
壮大な庭には様々な植物や花が満開
とくに妻にとってそれは『念願の夢が叶った優雅な生活』であった

家族は「壁の向こう側」で起こっていることについて
ほとんど(または全く)話をしない

「壁の向こう側」から"音"が聞こえ
「壁の向こう側」から"煙"が見える

ただ何事もないかのように
優雅な暮らしを送るのだ
・・・

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エゴとはスピリチュアルなトークの中では「悪」のような扱いを受けることが多い
けれど、そもそもエゴとは以下の意味がある

① 認識、意欲、行動などの主体として、他と区別される自分。自己。自我。
※徳川氏時代の平民的理想(1892)〈北村透谷〉三「彼のシバルリイは『我(エゴー)』を重んじて軽々しく死し軽々しく生きず」
フロイトの用語。感覚の刺激や肉体的要求の知覚と、身体運動との間を調節する心理装置自己保存の役割を果たす。自我。
③ 自分本位の考え方や態度。また、そういう考え方の人。エゴイスト。エゴイズム。「地域エゴ」 〔モダン用語辞典(1930)〕

コトバンクより


エゴは私たちの生命を危険から守ろうと働いている
だから大きなトラウマタイズな経験をした時
「今の自分ではどうにも対処できない」と判断されると
エゴが記憶にフタをしたり
エゴが次に似たような物事が起こった時に、回避しようとしたり
そう言った働きをしてくれる

ピュアであるほど、荒波に触れた時の心への刺激が強いため「トラウマ」になる

でも人生経験を積み、いろんなことが理解でき、心が成熟した頃
そのトラウマは「解除」される時が来るのだ

私はエゴを手放す時には
「今まで守ってくれてありがとう」と感謝の気持ちを送る

・・・

なぜこの話をしているかというと、
映画内でのこの家族の「無関心」が
ここから来ている、エゴの反応の一つであるからだ

「なんとひどいナチスだ」と言うために
この映画が制作されたわけではないだろう
これは誰しもに起きていることだ

例えば 今起きている戦争
例えば 隣の家で起こる家庭内暴力
「"壁"の向こう側」で起きていることに
私たちの心はどれだけ反応しているだろう?

本気で泣いたり、心配したり、起こったり
目の前で起きていることのように
私たちは反応できているだろうか?
何か行動を起こしたい、自分に何ができるだろう?と心が奮い立たされるだろうか?

もしあなたがある程度、心が成熟したと感じるのであれば
もう一度確認してみてほしい


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私がセッションをするとき
いつも受けての方の体からメッセージを受け取る
それは「痛いよー!気づいてよー!ケアしてよー」という体の一部からの声だ
聞く耳を持たずに過ごしていると
「ちゃんと聞いてよー!」ともっと強いサインや別の場所にサインを出してくる
長い間それでもケアしないでいると
フィジカルな場合は「怪我」や「事故」となり
メンタルな場合は「がん」となる

地球というのは一つの生命体です
わたし一個人は、地球にとって「血」であり「細胞」です
ウクライナという「股関節(例)」が痛むならば
別の体の部分がケアしなければ治らない

股関節に
意識(エナジー/氣)を送ったり
「手」でマッサージしたり
「足」でエクササイズしたり
股関節が休めるように、お金を稼ぐのをやめて仕事を休んだり
いろんな方法があるだろう

でも「無関心」であると、どうだろう
いつ股関節は回復するのか?


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これは「ニュースを観て勉強しなさい」という意味では全くない
そのことを"理解"し、その物事から起こっている目の前の"変化"に敏感になり
出来る限り"想像"することが大切だということ。。

「無関心」とは
大きな「罪」という歯車を一緒に回す
機動力だと思うのです

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