映画「1900年 Novecento」と「モリコーネ 映画が恋した音楽家」
映画「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を広島サロンシネマ1,2で観た。(2023/03/18)
イタリア人音楽家エンニオ・モリコーネを、ジュゼッペ・トルナトーレ監督が五年間にわたって取材し、70人以上の著名人にインタビューを行って、制作したドキュメンタリー映画である。
洋画ファンなら、その名を知らない者はいない映画音楽のマエストロ、エンニオ・モリコーネ。
映画「1900年Novecento」の音楽
彼の多数ある名曲の中で、私のベストモリコーネは映画「1900年 Novecento」の音楽である。私の好きな「1900年」のテーマ音楽が、映画「モリコーネ」の中でどの程度取り上げられるのか、そんな興味もあって見に行った。
「1900年 Novecento」は、北イタリア、ポー川流域エミーリア地方が舞台。1900年に生まれた大地主と小作人の二人の男性を中心に、周囲を取り巻く人々と社会情勢を1945年までの時代の移ろいを背景に描いた大河ドラマである。
映画がとにかく面白かった。なぜだかわからないが、私の感性にピタリとはまったのである。それまでにイタリアへ行ったこともないし、憧れていたわけでもないのにである。
1900年代前半イタリアの貴族社会も、小作人の暮らしも知らない。ファシストと左翼が台頭した社会状況も、地主と農民の階級闘争の歴史も、教科書に書いてあったのを数行読んで得た程度の知識しかなかった
しかし、なぜか登場人物たちの織りなす愛憎の人間ドラマと、北イタリアの農村風景と風物、群衆となった小作人たちの姿が、我が事のように胸にせまってきた。強い懐かしさを感じたのである。
それは作品中に流れる美しい旋律の楽曲の影響も大きく、音楽と映像が表現するものとが混然一体となって私に作用したのは間違いなかった。
銀座文化劇場
映画「1900年」を最初に観たのは、1993年5月の銀座文化劇場。現在のシネスイッチ銀座1,2 (東京都中央区銀座4-4-5) である。
豪華キャストと、「上映時間が長すぎて興業が難しいためカルトムービーになっていた名作が期間限定上映」というあおり文句に惹かれて観にいった。
上映時間5時間16分。第一部と第二部に日程を分けて上映されていた。
第一部を観てあまりに面白かったので、もう一度観ようと思った。
二度目は当時、一番仲のよかった大学の友人を誘って一緒に行った。
友人の感想は「面白かったけど… (それほどでも) 」という反応だった。
数日して第二部が上映開始になったので、「一緒に見に行こう」と誘ったけれど、「うーん、いいや」という返事。第二部は一人で行って、二度観た。
観終わってすぐに、CDレコード店を数軒回って、サントラCDを買い求めた。
劇中で、主人公の一人オルモの母親が、孫の赤ん坊を抱いて歌う子守歌がとても胸に沁みた。残念ながらサントラCDには収録されていなかった。
モリコーネの作曲ではなく、その地方に伝わる民謡のような楽曲なのだろう。あの子守歌を採用したのがベルトルッチ監督なのか、モリコーネなのか不明だが、物語の進行に直接関係のないシーンに関わらず、大変印象に残っている。
映画「モリコーネ」によると、「1900年」公開当初の評判はあまり良くなかったというナレーションとともに、批判的なコメントが載った新聞紙面が画面に大写しされていた。初公開は伊・仏だったので、新聞はイタリア語やフランス語。私には読めなかった。
なんと書かれてあったのか気になる。
映画の評判が良くなかったため、その音楽も初めは評価が低かったとのことであった。
◇ ◇ ◇
横浜シネマジャック&ベティ
その後、三ヶ月ほど経って横浜市中区の若葉町通りにあるシネマジャック&ベティで上映が始まった。
もちろん、三度目の鑑賞に行った。次はどのシーンがくるか、誰が何を言うのか分かっていたが、飽きるどころか、しみじみ面白いと感じられた。
数日後、いつものように京浜急行線に乗っていたら、京急黄金町駅で「1900年」のパンフレットを手に持った男性が私と同じ車両に乗車してきた。京急黄金町駅はシネマジャック&ベティの最寄り駅である。
男性は座席に座り、電車が動き出すとすぐにパンフレットを開いて読み始めた。私はきっとその人も「1900年」を気に入ったのだろうと思った。
近づいて行って「その映画、面白かったですよね!!」と話しかけたかった。
それから30年たった現在に至るまでの間、「映画鑑賞が好き」という人たちと多く知り合いになることができた。
また、映画関連のネット掲示板やSNSコミュニティで「1900年」は傑作だ、音楽もいいよね、という、私と同じ意見を見つけることができるようになった。
しかし、映画「1900年」を観て面白かった、良かった、という人にリアルでは出会えていない。
私とその感動を対面で分かち合えたのは、あの偶然に電車で見かけた男性だけであっただろうと思われる。
◇ ◇ ◇
モリコーネ「1900年」と坂本龍一
映画「モリコーネ」では、シーンごとに物語や状況を補完するようなまさにぴったり合う曲を作り、実力派映画監督達から引っ張りダコだった彼が、オスカーには縁遠かった様子が描かれている。
とくに、新境地を開いたと言われた「ミッション」で二度目の候補に挙がった1986年アカデミー賞作曲賞では、受賞が有力視されながら、ハービー・ハンコック「ラウンド・ミッドナイト」に敗れて、巷で議論をよんだという。
次こそは、の三度目「アンタッチャブル」で候補に挙がった1987年では、坂本龍一その他作曲の映画「ラストエンペラー」(監督 ベルナルド・.ベルトルッチ)に敗れてしまう。
◇ ◇ ◇
ずいぶん前に、どなたかのブログで「…坂本龍一のコンサートを聴きに行ったら、映画「ラストエンペラー」でアカデミー賞作曲賞を受賞した際に、同時に候補になっていたモリコーネにリスペクトを表して、同じベルトルッチ監督作品でモリコーネ作曲の映画「1900年」のテーマをアンコールで演奏していた。自分はその映画は知らなかったが、とても良い曲だった…」というような記事を読んだ。
少し調べてみると、次のような記述を見つけた。
エンニオ・モリコーネ オフィシャル・コンサート・セレブレーション (promax.co.jp)(2022/11/5-6 東京)
ホームページ掲載の坂本龍一のメッセージ
私が映画「モリコーネ」を観たのが広島サロンシネマ1・2。
アンコール上映で一週間限定上映だった。
ちょうど同時期に、サロンシネマの系列館「八丁座」では一週間限定上映で「戦場のメリークリスマス」(坂本龍一出演) がかかっていた。
サロンシネマのロビーに、八丁座の上映案内があり、同じ空間にモリコーネと坂本龍一が存在していた。
映画「モリコーネ」を観てますます映画が好きになりました
映画の中で、モリコーネは、クエンティン•タランティーノ監督から『ヘイトフルエイト』の音楽を依頼されて、監督の期待したような「夕日のガンマン」や「荒野の用心棒」風の楽曲ではなくて、クラシックの交響曲のような作品を作った。本作で、2016年第88回アカデミー賞 作曲賞を受賞したのであるが、インタビュアーになぜかと問われて、彼は「同じことをしても面白くない」と答えていた。
当時、80歳半ばでありながら、過去の栄光にとらわれず、当然のように新しいものを探求する柔軟性とバイタリティ。感服いたします。
そして、誰が見ても面白い!ハッピーエンドでよかった!という映画は誰かと一緒に行きます。
観終わってじっくり考えたい、余韻に浸りたい作品は、一人で観に行くことにしています。
しかし、思いもかけず、共感が得られると、やはりうれしいものですね。
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