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【舞台感想】サンリオピューロランド『KAWAII KABUKI~ハローキティ一座の桃太郎~』はすごい【後編】

はじめに

 これは、2020年にサンリオピューロランドで『KAWAII KABUKI~ハローキティ一座の桃太郎~(以下、KAWAII KABUKI)』を見た私が当時の熱量のまま書き綴った感想文を、現在(2022年)の私が加筆修正したものだ。

 今も続くこの演目が、2020年と全く同じ内容かは残念ながら確かめられていない。そのため、現状と齟齬があってもお許しいただきたい。
 また、この記事では歌舞伎や他コンテンツとの比較も出てくるが、いずれも優劣をつけたり批判する意図は全くない。好きだからこそあれこれ思いを巡らせ思いが昂った結果の感想文なので、その点もご容赦いただければ幸いである。

 前中後の3部作、今回はその後編だ。(以下目次の太字部分が本記事。)

【目次
はじめに
『KAWAII KABUKI』はすごい① 歌舞伎の表現技法が使われている

『KAWAII KABUKI』はすごい➁ 夢に破れた大人を救済する物語
『KAWAII KABUKI』はすごい③ 完全無欠ではない救済の女神、キティ
現代の大人には、サンリオが必要だ


 なお、本感想文には『KAWAII KABUKI』のネタバレを含む。気になる方はこの辺りでブラウザバックの上、『KAWAII KABUKI』をご覧になってからまたお越しいただきたい。


『KAWAII KABUKI』はすごい③ 
完全無欠ではない救済の女神、キティ

 ところで、「サンリオ」と言えば多くの人が最初に連想するのは誰だろうか。もちろん、好みなキャラクターが居れば推しを思い出すだろうが、そうでなない人にとっては、サンリオと言えばハローキティだろう。
 彼女はサンリオの顔だ。世界的に人気を誇り、ハイブランドともアニメともコラボするキティ。りんご三つ分の重さしかない体に、彼女はサンリオを、そして企業理念である「みんななかよく」を背負っている。キティは、サンリオにおける絶対的存在だ。

個人投資家向け説明会より。このページに居るだけで、彼女が特別な存在であることがわかる。

 実際、『KAWAII KABUKI』でのキティは救済の女神だった。五郎の絶望感に満ちた薄暗い鬼ヶ島に、神々しいまでの後光とスモークと共に彼女は現れる。
 女神降臨とはまさにこのこと。その存在感に、私は圧倒されてしまった。失意の底に居た五郎からすれば、キティの姿は救済の女神に見えたに違いない。

 ここで更に驚かされたのが、キティが自らの態度を謝罪した点だ。ざっくり書いたあらすじの「2」、五郎が本物の鬼だと気付かれてしまった場面で、キティは五郎の頭に生えたツノを見て動揺している。
 その時の態度を、彼女は「本物の鬼に会うのは初めてだったから驚いてしまった」と謝ったのだ。サンリオにおける絶対的存在である、ハローキティが。

 ディズニーのパーク内で見られるミッキーがほぼ完全無欠で、騒動のきっかけになるような失敗するのは周りのキャラクター(夏にシンデレラ城を水浸しにするグーフィーや、触ってはいけない帽子に触ってしまうドナルド等)であることが多い。それと比べると、『KAWAII KABUKI』におけるキティの描写はかなり思い切ったものであると言っていい。

ピューロランドのレストラン前。センターで唯一無二の圧倒的存在感を放つキティ。
やはりこの構図が一番安心する。

 キティは、自分は完璧な存在ではないと見せた上ではっきり謝罪し、取り繕うことなく自分の本当の気持ちを正直に語る。なんという多様性への素直で誠実なメンタリティ。

 多様性。
 一言で表現するにはあまりにも幅が広く、配慮すべき方面は想像の域を超える。知らないことだって多い。そうした未知の属性に突然対峙した時、それに対して完璧な対応をするのはどう考えたって難しい。
 未知の属性に正直に戸惑い、正面から向き合った上であなたと仲良くなりたいと真っ直ぐに伝えるキティの姿は、「多様性を尊重したい」と「しかし行動するのは難しい」という気持ちの間で揺れ動く現代の私たちにとって、あるべき理想の姿のようにさえ見えた。

 この謝罪をきっかけに、他のサンリオキャラクターも一緒になって、「ツノはあなたの宝物」「キャラクターは濃い方がいい」などと認め讃えあい、やがて五郎に呆れていた他の鬼たち含め、キティ一座の仲間になる。五郎は「鬼であるがゆえに人に怖がられてしまう自分」へのコンプレックスを魅力に変えることの出来る場、そして「人を笑顔にしたい」という夢を叶えるための場を得たわけだ。サンリオの魂である「みんななかよく」が実現した瞬間だ。

 これを救済と言わずして、何と言おう。


余談①
 サンリオのワンカットオンラインショーとして話題になった演目『VIVA LA VALENTINE(通称ビバラバ)』でも、夢を諦めた青年が登場したり、スポンサーの主張と自分の理想のはざまで悩むダニエルが描かれたりと、“人生のままならなさ”が表現されている。
 サンリオが救済したい人物像は、一貫して“人生のままならなさ”に苦しむ人たち(それってほとんどの人間なのでは)のように思う。

余談➁
 先日、掃除中に自分が子どもの頃に購読していた『いちご新聞(サンリオの月刊機関紙)』を大量に発見した。なんとなくページをめくっていたところ、「いじめ」についての話題が掲載されていて驚いた。複数回に渡る特集という力の入れ方で、登校拒否経験者やいじめ被害者だけでなく、いじめ加害者の声なども掲載しかなり踏み込んだ内容になっている。
 ずっと前からサンリオは、こうした声を必要とする“一人ぼっちの誰か”や”苦しんでいる誰か”の存在に気付いて、そばに寄り添っていた。

もうだいぶ前のものだが有料の刊行物なので、ぼかしを入れてある点ご了承いただきたい。


現代の大人には、サンリオが必要だ

 『KAWAII KABUKI』は、夢敗れたことがある大人や、夢をどこかで諦めきれない大人にこそ見て欲しい舞台だ。どこかしら心にひっかっかる、心の柔らかい所をグッと押すものがあるではないかと思う。(それはもちろん、大人だけでなく子どもも。)

 だって、こんな優しい世界はピューロランドの外にはないし、どんなに努力しても全員のところにキティちゃんのような存在が来てくれるわけではない。大人は身をもって、そのことを知っている。
 そして、知っているからこそそれらに憧れ渇望するのが大人だ。サンリオは、そんな現代人に手を差し伸べ救済しようとする胆力を持ち合わせている。
 『KAWAII KABUKI』を見て、ピューロランドが大人にも愛される理由がわかった気がした。現代の大人にはサンリオが必要だ。
 だってサンリオは、現代の大人にとって人生がいかに辛いものかを、知っているから。

キティを見つめる時、キティもまた……。


 前編・中編はこちらから。



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矢向の舞台感想文はこちら。

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© 2022 Aki Yamukai

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