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コロナ禍によく似た映画を観てみよう|CURED キュアードとピンク・クラウド

新型コロナウイルスほど、現実と映画をへんてこに繋いだものはない……?

 実際のところ、コロナの終焉がいつになるのかはわからない。でも、人の生活を蝕み続けているこの現象を経て、私にはわかったことがある。
 ひとつは、どんな状況下でも人は映画を作り観る生き物だということ。そしてもうひとつは、新型コロナウイルスほど、世界規模で映画の中と私たちを繋げ影響し合う要素はなかなかないということ。

 マスクをせずにはしゃぐ登場人物を羨ましいと思う。自由に海外旅行する姿に憧れる。謎の病原菌に襲われる映画を観て、どこか自分を思い出す……。
 もしも新型コロナウイルスの流行が無かったら、映画の中のささやかな描写に思いを馳せることなんてなかったかもしれない。コロナ禍は私たちの現実と映画をへんてこな糸で繋いでしまった。

 そして、映画の中には「コロナ以前に製作されたにもかかわらず、コロナ禍とリンクしている映画」というものがある。これもまた、現実と映画がへんてこに繋がれてしまった例と言えるだろう。もし新型コロナウイルスの流行がなければ、そんな文脈で映画が語られることはなかったはずだ。

 そこで今回は、こうした「コロナ以前に製作されたにもかかわらず、コロナ禍とリンクしている映画」二作品を観た結果、私が何を感じたのか感想文を綴ってみたいと思う。

※以降、映画の結末には触れていないが、内容については記載があるのでご注意を。


【1】CURED キュアード

概要

2017年製作/2020年3月20日日本公開
アイルランド
監督:デイヴィッド・フレイン
出演:エリオットペイジ/サム・キーリー/トム・ヴォーン=ローラー

ストーリー
 感染した者を凶暴化させるメイズ・ウイルスという新種の病原体が蔓延した近未来のヨーロッパ。なかでもアイルランドの被害状況は壊滅的だったが、パンデミック発生から数年後、治療法が発見されたことで社会はようやく秩序を取り戻した。感染者のうち治癒した75%は“回復者”と認定され、治療効果が見られない残りの25%は軍が厳重に管理する隔離施設に収容されている。回復者のひとりである若者セナン(サム・キーリー)は社会復帰の日を迎えるが、街では彼らを恐れる市民が激しい抗議デモを行っていた。

公式サイトより

 平たく言うと、ゾンビになってしまうメイズ・ウイルスが発生し、治癒した人(回復者)が社会復帰出来るようになった世界の物語。
 回復者たちは元・ゾンビ。ゾンビ時代は理性を失い、血みどろになって人を襲い危害を加えていた。当然、ゾンビだった回復者たちに肉親を殺された一般市民も少なくない。そのため、回復者は迫害・差別・偏見の目に晒されている……。

先述の予告編より。左が回復者として社会復帰したセナン。穏やかな青年に見えるが、彼もかつてはゾンビだった。


今思い出しても、現実を上回る想像力

 私がこの映画を観たのは2020年3月25日。日本が初めての緊急事態宣言期間に入ったのは、数日後の2020年4月7日。私が映画館に足を運んだのは、人々が街から消え始めた頃だった。

 そんな環境で『CURED キュアード』を映画館で観ているのは妙な心地だった。カプセルの中に居て、外の様子をスクリーンで覗いているような。

 当時の私はこの映画を観て、「コロナ蔓延る今観ると、単なるゾンビ映画だなあ~という気持ちになれない。ここまで過激ではないだろうけど、今も似たようなことが起きてると思う」とメモしていた。「(映画製作年の)2017年に観ていたら、ただのおとぎ話だと思っただろう」とも。

 理性を失い、人に食らいつく血みどろのゾンビ。隔離施設で四肢を繋がれ奇声を上げる感染者。回復者に怒号を上げる人々、それに呼応して権利を求め叫ぶ回復者。
 とにかく衝撃的な場面が多く、それが日常生活の比較的すぐそばで見られる光景というのがなお恐ろしい。回復者の復帰を過剰なほどに拒絶する人の気持ちも、普通の生活に戻りたいと願う回復者の気持ちも、どちらも理解は出来てしまう。

社会復帰した回復者たちが乗るバスの周りに、反対派の市民が集まっている。
回復者を引き取る親族にも、同様の非難が。
回復者側の主張もある。

 一方で、この映画の脚本の妙は「ゾンビから回復する人が居る」という点。回復した彼らの人生は続く。彼らにも彼らの言い分があり、罪悪感があり、人間関係がある。
 『CURED キュアード』が「コロナ以前に製作されたにもかかわらず、コロナ禍とリンクしている映画」として趣深いのは、そこに焦点が当たっているからだと私は思う。
 メイズ・ウイルスという現象を、一般市民・感染者・回復者・その家族……とあらゆる視点から観察して描く想像力。社会からの批判、就業、住居、人間関係、心の傷……。様々な立場の人たちの人生に重くのしかかる葛藤が、多角的に生々しく表現されている。

 現実世界で緊急事態宣言が発表され、見慣れた街の景色から人が消えた時。私は何度も、『CURED キュアード』のことを思い出していた。静けさの入り口で、『CURED キュアード』を映画館で観たあの時のことを。

 映画の中で目にした苦しみも葛藤も、希望も愛情も、現実世界に確かにあったものだけれど。『CURED キュアード』は現実の焼き直しではなく、別次元にある生々しさと、恐ろしさと、「人間であること」対する執着心を持って語られる映画だった。


【2】ピンク・クラウド

概要

2019年製作/2023年1月27日日本公開
ブラジル
監督:イウリ・ジェルバーゼ
出演:ヘナタ・ジ・レリス/エドゥアルド・メンドンサ

ストーリー
 一夜の関係を共にしていたジョヴァナとヤーゴをけたたましい警報が襲う。突如として世界中に発生した正体不明のピンクの雲——それは10秒間で人を死に至らしめる毒性の雲だった。
 緊急事態下、外出制限で街は無人となり、家から一歩も出られなくなった人々の生活は一変する。

公式サイトより

 映画の冒頭でも、「本作は2017年に脚本が書かれ、2019年に製作された。現実との類似は偶然である」といった趣旨の注意書きが流れる。それくらい、『ピンク・クラウド』で描かれる世界観は現実に似ている。
 違うのは、「外に出たら10秒で死ぬ」ことと、「隔離生活が急に始まった」こと。そのため、人々は意図しない場所・面子でこの緊急事態をやりすごさなければならなくなる。


コロナ禍以前に公開出来ていたらよかったのに……

 『ピンク・クラウド』を観て最初に思ったのは、「コロナ禍を知ってる私たちからすると、ちょっと甘く見えちゃう」ということ。
 コロナ禍で起きた様々な現実を知っている私たちにとって、主人公のジョヴァナ(そしてなりゆきで一緒に暮らすことになったヤーゴ)の状況はあまり悲劇的でなく、むしろとても恵まれているように見える。

 例えば……。

  • 閉じ込められてはいるが、隔離先がジョヴァナにとって馴染みのある広々としたお洒落な二階建ての家

  • 一夜の相手程度に考えていたとは言え、比較的誠実そうでマッサージ技術があるカイロプラクターがパートナーになる

  • ジョヴァナの職業は(多分)Webデザイナーで、リモートでもある程度の収入を得られる

  • 電気や水道やガス、インターネットといったインフラは通常通り稼働している

  • 投薬や遠隔カウンセリングなど、ある程度の医療サービスを受けられる環境が整備される

  • 隔離下で亡くなった人の遺体の処理方法が確立している

  • というかそもそも、ピンクの雲を吸い込めば苦しまずに10秒で死ぬ

 めちゃめちゃ恵まれとる! 都合がいい!
 まるで隔離されるために誂えられたような環境!

先述の予告編より。こんな風に、ピンクの雲を吸うとばたっと死んでしまう。(画面右、倒れる飼い主を犬が見ている)
ロックダウン直前のジョヴァナとヤーゴ。

 良くも悪くも、『ピンク・クラウド』の世界観は綺麗でお洒落だ。その家の中で描かれるジョヴァナとヤーゴの葛藤はかなり内向き。
 家族や友人についての心配事はあるけれど、それらはパソコンやスマートフォンの向こう側の話だ。作中の二人が直面する苦難は、男女の繋がり(性欲)が多くを占める。二人が一夜限りの相手として共寝していた、というのを差っ引いても、とにかく一番の悩みがそれであるかのような描写が多い。

 というのも、人の三大欲求を食欲・性欲・睡眠欲とするならば、上記のように二人は食欲と睡眠欲についてはほぼクリアしていたからだ。

ジョヴァナとヤーゴが暮らす家の一室。
ジョヴァナとヤーゴが暮らす家のキッチン。

 もちろん、ジョヴァナが胸の内に抱える不満はよくわかる。「とりあえず避難しよう」くらいのノリで室内に籠って、終わりなき隔離生活をそんなに知りもしない他人と過ごすなんて嫌だろう。私だったらとっくに気が病んでいる。
 その点は共感出来る。これがコロナ以前に公開された映画なら、「うわー大変だ……」と息苦しい気持ちで鑑賞しただろう。

 しかし私たちは、世界中の人がコロナ禍でどんな苦しみの中に居たか、そして自分がどんなフラストレーションを感じたのかを知ってしまった。
 隔離生活中の家庭内暴力の増加、感染者への偏見、飲食店や対面サービス業の人々の収入減少や廃業、孤独死、治療を受けられない人の死、コロナの後遺症、埋葬が間に合わない遺体の山……。

 私たちは知っている。コロナ禍の方がずっと悲惨だったぞ、と。

 何もかもを棚に上げて言うと、『ピンク・クラウド』は現実を上回ることがなかった。現実を柔らかくお洒落にした映画だった。ある意味で、理想的な隔離生活を描いた映画とも言える。
 そして、「理想的な隔離生活を描いた映画」という考えに観客が至るという現実が、何より異常だ。
 もし『ピンク・クラウド』の世界で生きるジョヴァナが、隔離生活中に私たちをサブスクの映画の中で観たら、「外へ出ても10秒で死なないのは羨ましいけれど、私たちはここまで酷くないかも」と思うかもしれない。


圧倒的な苛烈『CUERD キュアード』、巧妙な既視感『ピンク・クラウド』

 こうして比べてみると、映画としての衝撃やわざわざ「コロナ以前に製作されたにもかかわらず、コロナ禍とリンクしている映画」として銘打つ意味といった点においては、私の中では『CUERD キュアード』に軍配が上がる。『ピンク・クラウド』は本当に、コロナ以前に上映が出来ていればよかったのに……と思うばかりだ。
 しかし、『CUERD キュアード』は現実を上回る見事な要素が多い分、いつか、よくあるゾンビ映画の派生作品として認識され、その枠に収まってしまうんだろうなと感じている。

 一方の『ピンク・クラウド』は、実際にあったロックダウンにおける理想的な姿に見えるという点から、多くの人にとってどこか巧妙な既視感が湧く作品でもある。ジョヴァナとヤーゴは恵まれた状況でありつつも、どこにでも居る誰か(または私やあなた)のような普通の人だった。閉じ込められていることを除けば、ごく普通の市井の人。
 それ故、『ピンク・クラウド』を鑑賞していると、「ロックダウンの時、私はああだった、俺はこうだった」だとか、先述の私のように「私がこの状況だったらどうだこうだ」という思考に自然と導かれる。こんな風に自分事として置き換えて考えやすい点が、『ピンク・クラウド』の最大の魅力だと言っても過言ではない。

 そういう意味で、この二作品に出合えたのは本当によかった。
 もう私たちは、コロナ禍を知らないあの頃には戻れない。だからこそこうやって映画を観ながら、現実と映画の中を行き来して、へんてこに繋がれた糸を辿りながら、あれこれと思いを馳せながら生きていく。

 2023年1月31日時点、『CUERD キュアード』はU-NEXT他で配信中、『ピンク・クラウド』は映画館で公開中。ぜひ、コロナ禍を経験した今二作品とも鑑賞して、あなたと映画を繋ぐ糸、文脈を見つけて欲しい。



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© 2023 Aki Yamukai

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