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承認欲求

昨日書いていた途中で飽きてやめちゃった分ですがせっかく書いたので載せておきます。

最近、TwitterとかYouTubeとかツイキャスとか、要はSNSでの活動をすることの理由を考え出した。

理由が夢だとしたら、それは非現実的。
まだなんの実力も身に付いていないのに夢が叶うわけもない。

理由が夢への第1歩、将来に向けての経験を積むことだとしたら、それは無責任。
ひとつひとつの工程を大切にしていかないと、これからの将来やっていけるわけがない。

理由が人と喋りたいから、友達が欲しいからだとしたら、それはわざわざキャラクターとして出会わなくても良かったはず。その方がナチュラルに相手と話すことも出来る。

多分、なんとなく、としか言いようがない。
今現在の意味は、あまりない。
夢やしたいことを誰かに晒けだすことで、より夢を叶えたいと思えたり、こうしたいな、という考えを実行に移しやすくはなるけれど、明白に何かが変わることもない。当たり前ではあるけど。

多分、何かが欲しいだけ。
大きな称号だとか、経験、才能。そういう特別なもの。特別で、〝僕〟を作ってくれる、大きな一部になるもの。

あぁ、やっぱり僕も、ただの人間だったんだな、何者かになりたくて、地面を這うことしかできないんだな。そんなことばかり考えている。
我ながら子供みたいで情けない。

きっとこれもただの承認欲求。
自己肯定感だけで生きるだけじゃ何も変わらない。承認欲求だって、人気者になりたいのだったら、モチベーションを保つ為の大切なスキルのひとつになるけど、モチベーションを保てるのはその時の気持ちの持ちよう次第で、数字が下がりだすと駄目になる。SNSの反応が減るとすぐ嫌われちゃったのかな、飽きられちゃったのかな、変なこと言っちゃったかな、そればっかりになる。
でも最近はそんなことでも、僕って生きてるんだなぁ、生身の人間なんだなぁ、この世界にちゃんと存在してるんだなぁと感じる。
承認欲求だって、生きていて、衣食住がある程度整った状態にいるからこそ湧くものだから。


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