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茶色い朝

「茶色い朝」という話をご存知だろうか。
心理学者フランク・パヴロフによる反ファシズムの寓話だ。
この話を初めて知ったのは随分と昔だったと思う。その時もなるほど、という感想と、じわじわと迫る危機の怖さを感じた。

この話を現代いま再び思い出す機会が増えた。

「風が吹くとき」という絵本も、核兵器の怖さを描いた作品だが、「知らぬ間に」という怖さがあった。

「ゆでガエルの法則」は比較的最近知った話で、昨今の状況から、とても怖いと思った。
それが例え話ではなく、すでに鍋の火はついたような空気を感じているからだと思う。

3つの話に共通するもの。知らぬ間にじわじわと迫る怖さを感じている。

急速に変化していく社会を日々感じているのだけれど、じわじわと迫りくるものに日々悩まされながら思う。もしも、どうしようもなく困難な状況に陥ったとしても、それは自己責任だと片付けられるのではないだろうかと。
そんな社会の眼差しを思うと哀しくなる。そんな空気を感じて、不安でたまらなくなるのだ。

急速に変わる社会。

変化に適応したものが生き残るという言葉を知っている。
適応すべきことなのかは別として。

はたして今、いつの間にか変化していることは、適応すべきことなのか、それとも、適応せざるをえないものなのか。私は考える。
考えたところでどうなるものでもなく、積極的受け入れか、消極的受け入れかの差であって、そこを考えても結果は同じなのだけれど。

ただ、誰かが決めたことに対して、何も考えずに受け入れてしまう。それは危険だと思う。たとえ仕方ないと受け入れたことでも、少なくとも、最初から何も考えない人にはなりたくはない。

そんな事をふと思った今日この頃なのでした。

<文・見出し写真/犬のしっぽヤモリの手>

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<© 2023 犬のしっぽヤモリの手 この記事は著作権によって守られています>

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