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ふたつのお仕事 を持つということ

昨今「複業」とか「副業・兼業」が珍しくなくなり、それが「普通」というか、むしろ「賢い働き方」とも見なされたりもしているらしい。

実は私も「ふたつのお仕事」を持っています、、、でも正直そんなふうに思えたことはありません。

「ふたつのお仕事」の利点は…そりゃ、あります。
いちばんわかりやすいのは収入かなぁ。
「収入源がひとつじゃなくて助かった~」と思うことは、これまでたくさんありました。特に2020年はコロナ禍の影響も各所に出て厳しい時期もあったし。

でも…

必要性や利点を感じて、能動的に「ふたつのお仕事」を持つにいたったのではなく、状況や流れの中でたまたま「ふたつのお仕事」が成り立ってしまった人間には以下のような苦労や葛藤がありまして…と、この記事はそういった内容です。

(該当しない方にとってはピンとこない愚痴のように感じるかもしれないんで、それを踏まえてお読みくださると幸いです)

経緯と現状

もともとしていた仕事を「仕事A」、
そこから派生して成り立っていった仕事を「仕事B」としましょう。


20代の私は「仕事A」で身を立てるべく、決死の覚悟で働いていました。それなりの地位を築けなかったときは、潔く諦めるべし!と思っていたんだけれど、幸か不幸かゆるく仕事は途切れず(ありがてえ)、そうこうしているうち「仕事A」の縁が数奇に繋がっていき、やがて「仕事B」に携わるようになりました。
そもそも特に渇望せずして「仕事B」の縁と才能が与えられたのは奇妙な話です。「仕事B」については今も戸惑いが大きいです。「どうして私がこんなことやらせてもらってるのかな?」と。自ら進んで獲得した収入源ではないし、いつ崩れ去っても不思議ではない…いまいち信用できない足場に立っている感じでしょうか。
それに比べて「仕事A」は常に順風満帆というわけではないですが、自分で切望して構築してきた生業という実感があるので、辛いことやしんどい時期も受け入れられるし、仕事への興味や探求心が無くなることはありません。
そんな私の体感を置き去りに、ある業界で私はふたつの名前とふたつの肩書を与えられ、働いているという現状です。

「ふたつのお仕事」が招く周囲への混乱とその対応

たとえば「仕事A」がいわゆる一般職で、組織に属し定収入を得るもので、いっぽう「仕事B」が趣味や特技が高じて収入源になっていった、という展開だったら、そして「仕事A」と「仕事B」がまったくかけ離れた業界と職種であったなら、「ふたつのお仕事」は私の中でうまく住み分けられ折り合っていたのかもしれません。

が、私の場合、AとBどちらも個人事業であり、なんなら近しい業界の職種。

たとえば「B」の現場で、私の肩書きを「A」だと思っている方にお会いした場合、に混乱を招くことがあります。
「なんでおまえがその肩書きでここにいるんだ?」と誤解を生み変な目で見られ、気まずい思いをしたこともあります。
混乱を避けるため、できるだけ簡潔に説明を試みるのですが、その結果相手が急に私を警戒し、要らないヨイショをし始める展開もあったり。

「Bをずっとやりたかったんですか?」
「今はBをメインにされてるんですか?」
と決めてかかってくる方もおられ、どれも自分の実感や実際の経緯とかなりズレているので、モヤモヤするばかり。

前述したように(それぞれで受注の形態は異なるが)どちらも個人事業なので、仕事場でのクオリティや対応・責任は自分の腕にかかっています。それはいいのですが、だれもこの複雑な身の上をフォローしたり守ってくれはしません。
スケジュールのことなどで、どちらの現場にも迷惑をかけるような時はひたすら謝り、身を縮めながら働くこともあります。
さらにデリケートな問題として「仕事A」と「仕事B」はいわば同じ業界の表と裏なので、モードチェンジが必須。
たとえば「仕事B」の現場で「仕事A」気分でいると煙たがられるだろうし、「仕事A」の営業を「仕事B」の現場でするのも醜い。
それぞれの現場での立場を踏まえ、慎重に振舞う。でなければ双方の関係者から疎まれたり蔑まれたりしてしまいます。

私にとって「ふたつの仕事」を持つ ということは、常にそういう「やりにくさ」に付き纏われてきました。
単純に収入を補填できて頼もしいとか、いろいろできて素敵で楽しいといったことはとても感じられません
仕事はどれも甘くないですが、私からすると、むしろひとつの場所(名前、肩書き、または組織)でどっしり腰を据えて働いている方のことが羨ましいです。私のように周囲へ与える混乱が跳ね返ってくるような、こうしたストレスはなかったのではないかと思えます。

「ふたつのお仕事」が私にもたらす憂鬱

・みっともなさ
自分の実感としては、ふたつの仕事をしていることは別にちっとも格好よくありません。前述したような経緯でふたつのお仕事をするようになったので、どちらの世界からも○✕つけられることなく、中途半端な状態で業界にぶら下がっている心地です。
この気持ち悪さは、いくら稼いで、なんらか華々しい成功をおさめても、拭えない気がしています。

・周囲の目によるストレス
勝手に評価されたり、羨ましがられたり、どんなに控えめにしていてもやっかまれたりして、それをうまくかわせません。「人より恵まれているのだからしかたないわ」と目線を変えようともしましたが、だからといって周りが気にならなくなりはしません。極力気にせず淡々と働こうと心がけるのが精一杯です。

・孤独
「ふたつのお仕事」のおかげで多くの方と関わって働いているはずなのに、どちらにいても物珍しい存在として指を刺されるだけでほんとうの仲間になれたことはない
私がどちらかいっぽうでしかない自分であったならこんな孤独を感じることはなかったのではないか?と思えてなりません。

されど「ふたつのお仕事」をしていてよかったこと

・自分のいる業界についてより深く知ることができたこと。
・「仕事B」のおかげで「仕事A」を多角的に見ることができたこと。

(それをプラスにできるかどうかは自分次第といったところだけれど…ダメになる人も多いと思う)

あと、たまにですが
こんな中途半端な自分を丸ごと面白がってくれる人もおられ、ありがたいです。
自分でもなかなか認められない私のこのややこしさを「とりまおまえの発するものは総じてすべて最the高」と愛してくれる人に会うと、がんばろうと思えます。
…というか、要所要所でそういう方に出会えていたから、必要とされる場所があるなら力を尽くそうと思ってやってこられましたし、不本意だった「ふたつのお仕事」を投げ出さずに、黙して真摯にやっております

まとめ

いろいろブーブー言いましたが、いつの頃からか私は「自分がなにものなのか、なにものでいたいのか、自分では選べないし決められないんだな」と受け入れるようになりました。

こうして「ふたつのお仕事」を持つややこしさが私の周りには多くあります。かつては今よりもっと理解がない環境にいたため、その頃にこの中途半端な身の上について周囲から責められたり蔑まれたりしました。その記憶はまだ消えません。でも今は身近な人間たちが理解してくれているので、助けられています。

だから、昨今の「複業」ブームを訝しむと同時に、利点をしっかり見据えたうえでいくつかのお仕事をかけ持つ方々がいて、周囲もそれを理解したり応援したりする風潮であるなら、とても羨ましいし素敵な世の中になったなぁと思っています。

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