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絵本で思い出したこと

もともと本を読むのは好きで、まあだから大学は安直に文学部に進んだのだけれども、思い返せばやはりその本好きのルーツは絵本にある。

小学校に上がるくらいまでは、寝る前には必ず母に絵本の読み聞かせをしてもらっていたし、その時間がとても好きだったことを覚えている。
大どろぼうくまさん(文・絵 ふりやかよこ/教育画劇)、おっきょちゃんとかっぱ(文 長谷川摂子/絵 降矢 奈菜/福音館書店)、ぐりとぐら(文 中川李枝子/絵 山脇 百合子/福音館書店)………大好きだった絵本を挙げればキリがないし、それらとの楽しい時間の輝きは色褪せない。

けれどとんと絵本を読まなくなって約20余年、長い時間を経て自身の子どもに読み聞かせをするターンがまわってきた。
2週間に一度、15冊を借りて、毎日毎日声に出して読みまくり、また返して15冊借りての繰り返し。
理解してないだろうなあと思いながらもそんなことを繰り返してたら、我が子は1歳になる前には自分で本をめくって眺めるようになっていた。
ウチの子天才?!とうっかり親バカを発揮しそうになったけれど、よく見ると絵本は上下逆さまで漫画みたいにズッコけた。


わが子の様子を観察していると、ただひたすらにページをめくっていき、たまに立ち止まってちょっと戻り、ひっくり返してまためくりだし………と、内容を吟味するというよりも本という物質そのものへの強烈な興味、そして行為への没頭が見て取れた。
本のページをめくる、新しい絵がワッと目の前に現れる。その繰り返しの体験がただただシンプルに楽しいのだろうなと思う。
いないいないばあ遊びの応用編のようにとらえているのかもしれない。


我が子のそんな様子を見て、社会人になってから大好きな漫画もほぼ電子書籍で読むようになっていた私は、「紙の本を読む」体験そのものにシンプルな心地よさがあるということを思い出した。

次はどんなことが待っているだろうとドキドキしながらつい指がのびてしまう感覚、めくられゆくページの絵ががだんだん縦に細く伸びてゆき、ある瞬間ふっと消えてさっきまで裏側でしかなかったページが表側に立ち現れるその小さな諸行無常の繰り返し、ふと栞の位置を確認するとびっくりするくらい読み進めてきたと気づく時の密やかな達成感。

紙の本のもつ感覚的な楽しさについて、この世に生まれて1年ちょっとの息子が早々に気付いてくれて嬉しい。その姿を通して齢30年とちょっとの私自身そのことを思い出せたことが嬉しい。


まずはめくること自体、みること自体が楽しい!と思える本を沢山読んであげたい。
楽しみ過ぎて、角っちょを齧り出すことには注意を払いながら。
(すでに2回くらい本の端っこを食してしまい、図書館に謝りにいっている)


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