私が実家と家族を失うまで

家族構成

私が生まれた時,両親,母方の祖父,叔父(母の弟,重度の知的障害)という家族構成であった。
駅から遠い商店街の中で料理屋を営んでいた。
両親は店の仕事で忙しいこともあり,祖父に面倒を見てもらい,おじいちゃん子になっていた。
私が小学校低学年の時,母親は脳梗塞で意識不明となり,3年もの間植物人間の状態で亡くなった。
この間,祖父と父親の間で確執があり,祖父と叔父,父親と私で別居した。
家庭崩壊といっていいのか。
その祖父は,私が高校生の時に胆管がんで亡くなった。
叔父は我々親子で面倒を見ることとなった。
(この間のことは別の記事として綴る予定)
そして私が社会人2年目の時,父親が借金苦で自殺した。
いろいろな方と相談し,叔父は知的障碍者施設で余生を送ることとなった。
それからは年に1回会うかどうかという状態だったが,赤の他人のような関係になっていた。
この叔父は幼少期の結核の影響で,片方の肺が壊死した状態で生きてきたとか。
彼も(この記事を綴っている時点から)1年半前,誤嚥性肺炎で亡くなった。

生まれ育った家

私の生まれ育った家は複雑だった。
先述の店とは別にマンションも借りていた。
表向きは祖父と叔父が店,両親と私がマンションでそれぞれ暮らせるようにしていたのだろう。
でも事実上,我々家族は店とマンションを行き来し,二重生活を送っていた。
今思えば,料理屋の経営が傾いて借金がかさんでいたにも関わらず,ずっと変わらない生活を送ろうと無理したせいで,父親の死につながったのかもしれない。
その後,夜逃げ同然で家を手放し,叔父は施設,私は小さなアパートでそれぞれ暮らした。

10何年ぶりにこの商店街を通ってみた。
ところが商店街出入り口の看板が完全に撤去され,どこもカーテン・シャッターがしまっている状態で,私の知っている店はほとんど潰れていた。
そして,私が暮らしていた店の前を通ってみると・・・・・・




更地になっていた。




いろいろな思いが頭をよぎった。
家族がそろって暮らしていた幼い頃。
母親が倒れた後,家族が荒んだ状態になっていた頃。
父親が亡くなった後,夜逃げする前に必死で後始末をしていた頃。
家族の葬儀をした時のことなど・・・

そしてマンションにも寄った。
長年暮らし続けていると,ところどころ荒んだ。
風呂のガスがつかなくなった。
床が抜け,そのまま放置していた。
ベランダに鳩がすみついてしまい,追い払おうとイタチごっこになっていた。
ここで父親は亡くなった。
その後,このマンションもある程度整理した。
私も叔父も転居した後のある日のこと,夜遅くに私が住んでいた部屋をこっそり覗いてみた。




すべてが消えていた。




夜逃げする際に置き去りにしていた多くの物。
敷かれていた古い畳。
きれいに撤去され,鳩が来ないようにベランダには網も張られていた。
それでも,このマンションは40年経っても変わらない状態で残っている。

この間,数え切れないほどの多くの方に多大なご迷惑をおかけした。
どれだけお詫びしても償いきれないことだろう。
大人になるということは,自分の力で必死で生き抜くことでもあると,今になって痛感している。

今の思い

しかし,家族も実家も失って区切りがつき,ようやく自由に生きられるのかという変な思いもしている。
そして一人になった今,何不自由なく生活できることに幸せを感じている。
この記事を綴っているうちに涙が止まらなくなってきたので,今回はこの辺で一区切り。

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