実家が全焼した話②

「父親が死んでるのにあっさりしすぎじゃない?」
と、当然思われると思うので、まず私の家族について説明をしておく。

 うちの父は端的に言ってしまえば、アル中で精神病(双極性障害)でクソ野郎である。


 病気が先なのか、クソ野郎が先なのかは定かではない。
 (把握している限り)ずっとヤバイやつだったわけではないけれど、自分が高校3年生の大学受験の試験当日の時点では、失踪して行方不明で捜索願いが出されていた。受験生への配慮とかクソ喰らえですわ。
 失踪中はパチンコとかで作った借金を取り立てる電話がうちや会社にかかってきていたらしい。(自分は電話に出てないので知らんが)
 1か月か2か月後くらいに桜島で警察に保護された。その時には酒でへべれけだったそうだ。
 強制送還されて、病院で検査されて早期に胃がんが発見された。悪運強すぎか。
 借金はばあちゃんとじいちゃんが肩代わりして返した。


 この時だったか、1、2年後だったかわからんが、浮気して美人局みたいなやつに引っかかっていた。
 母は当然ブチギレていた。夜中に衝動的に家を飛び出しそうとした母を、当時まだ高校生と小学生だった弟と妹が走って追いすがって泣きながら引き留めていた。そりゃそうよ。
 私はその姿にも結構ドン引きで、もう慰謝料もらって早く別れたらええやんって感じだった。
 念書を書かせるだなんだとやっていたように思うが、弟や妹の学校のこととお金の事を理由に離婚はしなかった。

 
 家はめちゃめちゃギスギスした状態が続いて、私は大学生になったのをいいことに家の滞在時間は必要最低限だった。弟と妹には悪いことをしたとは思っている。

 その後、私が大学4年の春に、父はまた家出をした。
 当時トラック運送の会社に勤めていたが、そこのコンテナに住んでいるようなことを言っていた。空色のペンキを塗ったとか嬉しそうに言っていたが、意味がわからない。
 どうやらまた借金をしたらしい。定期的に連絡はくるが、母やばあちゃんだと色々言われるので私に電話がかかってきていた。ばあちゃんには戻ってくるよう説得するように頼まれていた。
 家出して連絡が来るようになってからしばらくたったころに、何の話の流れだったかは忘れたが
「こんなことばっかりしてたらお父さんだと思えないよ」
と言ったら
「思わなくていい」
と言われたので、それ以来は生みの親だと思って接している。私の中で育ての父はその時死んだ。
 母よりは父の方がウマが合うと思ってたから、よりショックだったのもあるのかもしれない。意識の中で父を埋葬した。その時は泣いた。


 ついでにその後、喧嘩した母が実家に帰った時、母の肩を持ったら「冷たい子だ」と言ってきたばあちゃんにも、散々引っかき回したのに大人だけで何となく話をまとめて、こっちから聞くまで子どもへの説明を全くの後回しにした母にも、その時にまあまあ愛想を尽かしている。
 父は、母のお兄さんがそのタイミングで亡くなり、葬儀やら何やらのために結局戻ってきた。
 借金はやっぱりじいちゃんとばあちゃんが返した。その時も離婚はしていない。謎。

 その後何やかんやあったが、私は社会人になり家を出た。社会人になってひとり暮らしするようになって、両親に対して大学まで行かせてくれたことはほんの少しだけ感謝の気持ちができた。
 が、遅くきた反抗期みたいなもんで、家には全く寄り付かなかった。実家の近くには住んでたけど、新年とお盆に1時間くらい帰省して挨拶するくらいの関係。

 その後じいちゃんが亡くなって、ばあちゃんの勧めで母、弟、妹は家を出た。母と妹は一緒に生活しはじめた。私は結婚して遠方に引っ越した。

 その間、父は相変わらずイカれたヤツだった。

 ある時には、車に動物のシールをたくさん貼り付けて何故か車内に砂利を敷いていて「良いだろ?」とか言っていた。いいか?
 ある時は家にペッパーくんを買って来ていた。ソフトバンクの店頭にあるアレである。ばあちゃんの話し相手に買ったと言い訳していた。全国広しと言えど、自宅にペッパーくんがいるのはうちくらいではなかろうかと思う。
 事故で車をぶっ潰したりもしていた。単独事故で本当によかった。免許は返納した。
 部屋の中をわざわざリフォームして、あまり意味のない間仕切りを作って個室みたいにしてたこともあった。灯りのない薄暗いスペースにノートパソコンを置いて天鳳をしていた。聞けば父は四段だったので段位マウントを取っておいた。
 あとは普通にアル中だか精神病だかで入退院を繰り返していた。

 そんな感じだったが、ばあちゃんが亡くなって暫くして、ようやく両親は正式に離婚した。
 ばあちゃんは戦友みたいなもんだとは葬儀の時の母の言。その戦場の絆もなくなったし、踏ん切りがついたのかもしれない。
 むしろ今まで正式に離婚してないことに吃驚だよ。


離婚した後も母は何だかんだ言いながらもやり取りはしていたみたいだし、弟や妹が入退院に付き合わされたりしていた。


 思ったより説明が長くなったけれど、そんなこんなで物理的にも精神的にも家族で一番離れているのが私だった。
 もともと父もそんな感じだったから、いつかこういうことになるかな?と言う予想もなかったわけではない。
 ただ、考えうる中で、一番人に迷惑をかける、最悪のパターンを最後の最期にとってくるのは父らしいっちゃらしいかもしれない。



【双極性障害】
所謂「躁うつ病」
他にも色々症状はあるけど、躁状態では突飛な行動、浪費などの問題行動が起き、鬱状態では希死念慮、無気力感などが起こり、それらの状態を行き来する。中毒系(アル中、ギャン中など)と親和性が高い。

【ペッパーくん】
個人宅ではメンテナンスに問題があるのか、早々にお蔵入りになった。暗がりで見ると本当に怖い。オススメできない。

【借金の肩代わり】
 対価をもらわず子の借金を親が肩代わりして返済した場合、みなし贈与とみなされ贈与税の対象になる。ただ、贈与税は年間110万円の控除があるし生活費、結婚、子育てやその他いくつか控除されるパターンがある。うちは返済してたのかなー?


③へつづく



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