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京都はなぜ人を惹きつけるのか(私の京都論)

私は大学4年間を京都で過ごし、今は東京に暮らしている。
先日いろんなタイミングが重なって1週間京都に滞在した。
京都にしばらく住んでいて、一度京都を離れて、また戻った今このタイミングで思ったことがある。

" It's such a magical place. "
昔から京都は不思議な街であるなぁと思っていた。
言うなれば、森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」が現実の世界にあってもおかしくないような、そんな魔法を持っているように思う。

なんでだろう?
ぽつぽつと思うところはあったのだけれど、
しっかりと向き合って考えたことがなかったので、
これを機会にちょっと考察してみようと思う。

京都の不思議なこと
・京都で会えるものは、大阪でも東京でも、なかなか会えない(気がする)
・なぜかデザイナーとかクリエイターを惹きつけている(気がする)
・京都にいるだけで文化的になれる(気がする)。

要因①:京都には消費できるものが少ない
消費できるもの:そんなに大きな都市ではないがゆえに、ありとあらゆる娯楽が揃っている大都市と比較すると、お金を払うことで無条件に楽しめる系の遊びが多くない。お寺巡りはある程度教養を求められるし、鴨川散策を楽しむには五感をフル活用する必要がある。

要因②:建造物の制限がある
京都はかつての都であり文化保全の観点から様々な規制がある。例えば高い建物が建てられないとか、歴史的建造物を取り壊すには市の許可がいるとか、コンビニの色が茶色になったりとか。
こういった制限があるおかげで、世界中の大都市にある似たり寄ったりの大型商用施設が建設しづらい。
人は制限があるとクリエイティブになるが、街も同じで制限があることでクリエイティブになるように思う。

要因③:オリジナルのコンテンツがある
唯一無二の歴史的名勝が数えきれないほどある。
これが京都を他の年を大きく差別化している。いわずもがな。
この土地で何か新しいものを創作している人(アーティストやデザイナーといった人達)が、この歴史に敬意を示した上で、歴史の上にさらに新しい文化を日々生み出している。

要因④:余白がある
視覚的余白:建物が低いおかげで街に圧迫感がない。この空間的広がりが人の思考を広げてることに少しばかりは寄与しているように感じる。
時間的余白:京都の街は自転車社会。東西南北縦横無尽に自転車が走り回る。ということは、始発も終電も気にしない(無論京都で生活が完結している場合に限るが)。
水という余白:鴨川、高瀬川、桂川。京都生活は流れる水がとても身近にある。絶えず動き続ける水はずっと見ていられるので、物思いに更けるのにぴったり。そこそこの街でありながら自然を感じられるのもこのおかげだと思う。

以上をまとめると、

京都は、制限と余白の絶妙なバランスを保っており、そのために人を自由でクリエイティブにする街

なのだろう。

...とかいろいろ考えてたら、京都を思ってた以上にめっちゃ好きな自分に気が付いてしまった。もう、どこでもドアで毎週末京都に通いたいよう。
そして京都以外にも素敵なところはいっぱいあるはずだから、旅人属性としてmagical place を世界中で発見してみたい。そうすることで、より私の愛する京都論も深みを増していってほしいと思う。



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