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「自分たちの暮らし」を勝ち取るために〜ポツンと古民家で暮らすということ

一族15代くらい前に建てたという超古民家に住んでいる。
しかも、典型的な「ポツンと一軒家」である。

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中学の夏、自由研究で2年かけて取り組んだ法隆寺(金堂)の模型製作に始まり、何かと古いものが好きだ。

というのは後付けで、実際のところは、なんでこんなところに住みたいのかまだ自分でもよくわかっていない。

住宅ローンが嫌だったから?

そんな安っぽい理由ではないと信じたいので
(いやケチな性格からしてその可能性も十分あるかな笑)

とりあえず
「古いもの好きだから」
ということにしておく。


「古民家」自体の魅力、「田舎の田舎」の魅力、これでもかというくらい頻発する古民家特有の事件(!!)

暮らしにまつわるあれこれについて
書いていきたいと思うが、まずは、
「自分たちの暮らしを勝ち取るために」
やっている(やってきた)ことから書き始めようと思う。


現代社会へのささやかな反抗とでも言おうか、

自分たちの「暮らし」を勝ち取りたい。

これが「片田舎に移住する」という、自分にとって比較的大きな決断に至った理由の一つでもあるから。


ポツンと一軒家を探せ~場所の重要性

繰り返しなるが、我が家は「ポツンと一軒家」である。

移住してきて1年半、県内各地で探し続けてようやく見つけた家だが、家探しにあたってはこだわりがあった。

それは、

「少し高台にあって見晴らしが良いこと」

これまで多くの家を見てきたが、これは「自分たちの暮らしを勝ち取るために」非常に大事なポイントだ。

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弱さゆえの「距離」の重要性

前の家(移住直後は仮住まいとして町営住宅に住まわせてもらっていた)では、夕方玄関先でちょっと作業をしていると、ライトで向かいの家の窓から照らされたことがあった。

車で帰ってきたとき、
窓際でちょっと音の出る作業をしているとき、

2階の家のカーテンの隙間からじっと覗かれていたことはわりかし頻繁にあった。毎回目視できたわけではないが、それはもう薄気味悪い。

別にその人を非難するほどのことでもないと思う。
顔も知っている。挨拶もする。それでも向こうは気になって覗いてしまうだけなのである(たぶん)。人間そのくらい弱いんだと思う。

暇になれば周りが気になる。
あの人はあれこれをしている、
ここの人はあそこの人と仲がいい、

案外そんな噂話で日常のトークは成り立っていると言ってもいい。誰かを褒める噂話も、誰かを悪く言い合う噂話も(なぜかこっちが大半だ)、どっちもあるんだろうが、どちらにしても、

「ダメダメな誰それと『違って』自分はいいヤツだ」
「すごい誰それと『近い』ところがある自分はいいヤツだ」

のように「自己肯定」したい、そんな感情が僕たちの根っこのところにあるような気がしている。

ちょっと話が逸れたが、
じっと覗く方にしても、見られて薄気味がる方にしても、
とかく僕たちは過剰に人目を気にして生きている。


その点、
「少し高台にあって見晴らしが良い」
を条件に見つけた今の我が家は本当にいい。

この家を覗いてくるのはきまってお猿さんである。

集団で騒がしくされるとうるさいし、放っておくと調子に乗るからしっかり追い払うが、今は野菜作りをしていないので実害はない。

お猿さんがじろじろこっちを見ていても別に嫌な気分にはならない。

「なんだ、餌でも欲しいのか」
「縄張りに入ってきた我らに怒っているのか」
くらいなもんだろう。


人間弱いからこそ、お互い少し距離を取った方がいいことも多いと僕は思う。


「ぽつん」が生む精神的自由

隣の部屋では、よく夜中にカラオケ大会が始まる。
こっちの部屋では、夜中に突如DIY工具を鳴らす。

こんな感じで我らの生活、かなり気ままだ。

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さらに、気まま動物代表の猫様たち。
(我が家には保護猫ちゃんが2匹暮らしている)

急に明け方うるさくしたりするけれど、別に隣近所の目を気にする必要もない。

700mくらい先の「ご近所さん」に迷惑をかけてしまうとしたら、もうそれは恐竜でも飼い始めたときだろう。


もう少し範囲を広げて「自治会レベル」で見ても、家々が離れているからか、ちょうどいい距離感を望んでいる人が集まっているように見える。

コミュニケーションは好きだが、過度な干渉は避け合う。
人間関係が丁寧で、本当にいい人たちだ。

大学時代からそうだったが、大勢での飲み会のような関係性は嫌だ。
終わった後の時間を浪費してしまった感が半端ないし、人間関係も縮まっているように見えてたいして縮まらない(と思う)。


ポツンと一軒家コミュニケーションになれてしまうと、
とても組織の世界には戻れない。


絶景のポツンと一軒家

そして、
ポツンと一軒家には明かりがない。
だから星空がやばい。
(今は蛍も同時に見れてやばい)


これは見るしかないから
あえて写真はあげないが

夜空に関して言えば、
同じ「田舎」であっても
少し道の街灯に晒されれば半減してしまう楽しみであるだけに「ポツンと一軒家ならでは」だ。

この家に出会って半年ほど経つが、いまだにここから夜空を眺めるたび初見の時のように驚く。

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あまりに星が綺麗なので古民家の中にも星のオブジェクトをちりばめている(???)
そして、「星」を屋号に含めることに決めた。
(それくらい、美しいんだって)


実は、我が家からの景色が美しいのは
夜だけじゃない。

いつもニヤニヤしてしまうのだが、
近所の人が軽自動車でとことこ丘を越えて帰っていく様子はまさに「映画のワンシーン」である。

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イメージ力としぶとさ

田舎に移住してきて2年、ずっと空き家探しをしてきた。

暇を見ては車を走らせ、
地図を見、
細い道にあえて突っ込んでいき、
登記簿とにらめっこし、
お手紙を書き、
自分なりに思いつく手は色々試したがなかなかいい結果が得られなかった。

結局友人づてに教えてもらったのが今の我が家だ。


地元で場所を告げると
「あそこは誰もいなくて寂しいでしょう」といった反応ばかりだが、イメージしていた立地そのもの。この上ない環境だ。

この2年間、理想の家を見つけられたこと、
これひとつをとっても決して無駄ではなかったと思う。


2年前、このような場所で暮らすことを心から望んだこと、
そして、この2年間諦めることなく探し続けたこと、

この2つがあってこそ今がある。


さて、
人生というのはシンプルであって、

①イメージする力と
②追い求めたものを決して諦めない力、

この2つによって成り立っていると言ってもいいのではないか。


なんて人生を語るにはまだまだまだ経験が足らない。


だが、この2年、
「そんな家がいいんかね」と先々で言われながらも、
イメージを伝え続け、
そのやりとりを通じて自分の中のイメージがより固まり、
説明も具体的になり、
そのおかげで運がめぐってきたのは間違いない。


イメージし、しぶとく生きること、
今後も大事にしていきたい。


ポツンと一軒家のリスク

ここまで読んでくれた人の大半はこう思っているだろう。

「ぽつんと一軒家の良いところばっかり取り上げているけれど、
近々水道が通らなくなったり、
電気も怪しかったり?
除雪車もいつまできてくれるの?
あらゆるインフラやばくなってくのでは?
そもそも、通信大丈夫?
田んぼも畑も荒れるよ?
そんなところの不動産、孫の世代の負債になるだけでは?」

多分どの懸念もだいたい正しいから
一つひとつ取り上げて反論することはしない。


当然どの懸念も一通り検討した。
とはいえ、深くは考えないことにしたことも多い。
今すぐに対処することが難しいものばかりだからだ。

でも、いずれ自分たちのスキルが上がれば
なんとかなる気がしているから
こんなところに来てしまったわけである。
(楽観的すぎるかなあ笑)


先々のことばかり気にしていたら
結局「今」何も行動できない、
だから「今」行動する。

リスクは伴うが、
人生を楽しむにはこの考え方が重要だとこの若造は思っている。

あれが不安だから、この対策ができてから……
なんてあんまりずっと言っていると、
「自分たちの暮らし」を勝ち取ることはできずに、
愚痴りまくりながら力果てていくのがオチである。



「自分たちの暮らしを勝ち取るためにやっている(やってきた)こと」
書いているうちに案外いっぱいあるような気がしてきた。

「暮らす場所探し」の次は、「時間」と「お金」かな。

付き合ってくださる方は、
また、次の投稿で。

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