話すのが怖かったぼくと、優しいあの子の話。
話すのが、怖かった。自分の意見なんて言えない。すごくおとなしい子だっった。
僕は吃音症という病気を抱えています。定義はすごく難しいのだけど、自分の意に反してうまく話せないことがある病気です。
例えば、トマトのことを「トトマト」と言ったり、「ト......トマト」と言ってしまうことがあります。これは自分の意に反して出てきてしまいます。
病気だと思ったのは小3のときでした。周りの子はすらすらと言葉が出てくる。でも、自分は出てこない。頑張って話しても違和感がある。
みんな出来るのになんで僕だけ。「僕は病気なのかな?」親にそう言った。
親は戸惑ったのだけど、病院に連れて行ってくれた。
お医者さんは、こう言った。「吃音症ですね」
ああ、病気か。みんなと同じがいいと強く思っていた。みんな同じことこそが幸せなんだって思ってた。そう考えていた幼い僕にとって、この宣告は、辛かった。僕はみんなとは違うんだ。みんなと違ってごめんなさい。
人より勉強は少し出来たので、中学受験をして中高一貫校に入学することになった。
そこで出会った女の子に自分の人生は大きく変えられた。
自分の意見なんて、聞いてもらえないものだと思ってた。周りよりもちょっと勉強が出来た自分が悪い。そう思ってた。だってみんなと同じがいいんだもんね。
自分の意見なんて、聞いてもらえないものだと思ってた。周りのみんなよりうまく話せない自分が悪い。そう思ってた。だってみんなと同じがいいんだもんね。
みんなと同じがいい。みんなと同じがいい。みんなと同じがいい。
みんなと同じがいい。
なんでみんなと同じじゃないといけないの?
え?なんでって、、、それは、、、
みんなと同じじゃないことも素敵だと思うよ。私は。
僕の隣で話を聞いてくれていた女の子は、そう言ってくれた。
自分を縛り付けていた常識という鎖がするするとほどけるような感覚。
涙が止まらなかった。
その子は、静かな子だった。いつも本を読んでいる。自分の世界に入り浸っている。
いつも本を読んでいるから、近寄りがたい人も多かったのかも。だけど僕は、その子が持つ優しい雰囲気に心を掴まれていた。
哲学の道という京都有数の桜の名所。桜が好きで、毎年ここにくる。写真を撮るとかはしなくて、この空間が好きって感じ。
この好きな空間で、偶然あの子と出会った。本を読んでいた。
「あれ、〇〇さんやん!久しぶりやね。」勇気を出して声をかけた。
その子と初めてゆっくり話した。やっぱりこの子好きだなって思った。
すごく賢いのに、ふわふわしてて、笑顔が素敵で、僕の話に真剣に耳を傾けてくれる。普段言わない自分の価値観も、結んだ糸をほどくように、話しちゃって。
それが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。この時間がずっと続いてほしい。今死んでもいいぐらい幸せだって。
でも、ふと我に帰った。
ほんとは、僕の話なんてつまんないって思ってるんじゃ。そもそも話し方も若干変だし。言ってることも、話し方もみんなと違うからね。
そんなことを言った。言ってしまった。
彼女は泣いた。
そんなこと言わないで。みんなと違うってそんなにだめかな。なんでみんなと同じじゃないといけないの。みんなと違うことも素敵だと思うよ。私は。
自分が「自分」でいることを認められた。
吃音症の症状は、このときからほとんど出なくなった。
その年の夏。花火大会。僕はその子と一緒に居た。
花火が上がる直前。想いを伝えた。
彼女に出会ってなければ、今の僕はいない。存在しているけど、全然違う自分がいたと思う。
本当にありがとうの気持ちが止まりません。僕を生かしてくれてありがとう。
周りの目ってすごくこわい。気にしすぎると、自分が自分でいられなくなると思う。怖さを抱えて、生きてしまう。かつての僕がそうだった。
その怖さを包み込むような思いやりを持てるような人間でありたいなあって心から思うし、彼女にもよくそう言う。
彼女は僕がそう言うと、笑ってこう返す。その言葉に救われて、また優しくなれる。
ありがとう。これからもよろしくね。
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