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ひとり青い海でずっといたら面倒くさがりになった

「デジタル遠洋漁業」という言葉いかがでしょう?

 なんとなくライター業20年目を迎えている。初年度から中国アジアITライターが上手くいってしまった。

 パソコン雑誌に書きたかったけど、PCライターは既にいるのでアジアITライターになろうと思った。元SEだったので、西に進んでインドのバンガロールまで行ってなんかの縁でブリッジSEになれればよかったと思っていた。

 でもそういう縁はバンガロールいってもなくて、ピンとこなくて、もっと西に行こうとしたらイラク戦争が始まってしまって、沈没地があるところで知られ、東南アジアにすぐ行ける中国雲南省にいた。

 中国でも「雲南にいる人は珍しいですねー」とはよく言われるんだけど、雲南にいようと思った理由の1つは、北京上海だと中国に詳しい人と競合するということだった。ぬくぬく生きたいので競合のない雲南省でアジアITライターをはじめるという、当時誰が考えても勝てるはずのない人生ゲームを始めた

 が、レノボはIBMのThinkpadを買収し、百度やキングソフトは日本に上陸し、キングソフトの親分は小米のスマホを作り、シェアチャリやQRコードが街に氾濫したおかげで生き延びた。

 毎日書いたり散歩したり昼寝したり旅をしては記事を書いた。競合がいないしSNSで叩かれる時代でもなかったからひとり仕事をしていた。

 ねほりんぱほりんで、ジャーナリストになりたかったのに紆余曲折の末にいつの間にかこたつ記事のライターになってしまったという話をみたけど、攻め方が悪かったのかなーと思う。

 パソコン雑誌で連載をこなし、日本に戻った時に他のPCメディアに挨拶し、うまくいけば連載が新たにもらえ、連載を増やした体制で書いていった。で、それが積み重なると名前を覚えてもらえるようになり、執筆仕事の依頼が舞い込んで着たり、講演依頼やテレビ出演依頼が来るようになった。

 あと雲南にいて最初は暇だったので旅行ガイド本のお手伝いをした。旅行が好きだったのでいい仕事だった。たぶん北京上海にいたらこうはいかなかったと思う。タイも日本人が多いのでこうはいかなかった。

 なんとなく新しい土地で、とにかく情報発信して生き続けると、誰かの目にとまって仕事がもらえるようになります。 かといってベトナムやインドでできるかというと、発展が中国より遅かったし、中国韓国ほど日本人が身近に感じないし、中国と比べてニュースや写真を紹介しても文字が読めない問題もある。

 副作用としてそういう仕事をしてたので、競合がひどく嫌になった。長そうになる話し合いも嫌になってしまったし、趣味的なのはさておき社会的な人間付き合いは結構疲れてしまう。それを避けるために、モノカキにおいてブルーオーシャンを求める臭覚やレッドオーシャンを避ける回避力というか発想力といったものは磨きかかったように思う。

 あと人気のライターは別として、文章に「あるある」ネタというか「あるある」前提を散りばめないと読者に共感してもらえない。で、僕の記事は中国の信用スコアを日本語で最初に書き、ビットコインマイニングの話を相当初期に書いてるんだが、なんのこっちゃわからず後の記事に比べて読まれない。いいねもブクマもそれほどされない。(文章術もあるけれど、新しいことを書いている影響が大きいと思う)

 ビュー数を稼がなくても生かされてる。案外ブルーオーシャンはいい。そう考えるとマイナーな国で日本人がわからないネタを書き続けることも可能かもしれない。ライター感性がいい人を除けばビューを稼いで欲しいメディアとマッチングするよりも、得意な事を書かせてくれるメディアとマッチングするほうが幸せだと思う(ねほりんぱほりんこたつライター回)。

 ブルーオーシャンの結果、面倒くさがりになってしまった。そうなりませんか?

 

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