五木寛之『捨てない生きかた』マガジンハウス新書

「こんまりメソッド」とか、「断捨離ブーム」とか、暮らしの簡素化がはやっている。著者も「捨てる生き方」に憧れを抱いてきたというが、その一方で「捨てない生きかた」がないのかと考えたのが本書である。

著者は、ラジオ番組や、夕刊新聞の連載コラム、文学賞の選考委員を休まず続けてきた。とにかく捨てないで、愚直にそのことを続け、モノに囲まれて生きてきたという。モノをどうしても捨てられない気持ち、そして、モノを捨てない生きかたにも素敵な道理があるともいう。

「モノ」そのものと同時に、そこから導き出されてくるところの「記憶」というものがあり、これを「依代よりしろ」と呼び、「憑代よりしろ」とも書く。

著者自身の依代として、靴をあげる。日本の敗戦で平壌を脱出し、三十八度線を徒歩で越え、開城近くの難民キャンプにたどりついたときは、わずかの人数になっていたが、途中で脱落した人たちの多くは、ちゃんとした靴を履いていなかった。著者自身は旧軍隊の軍靴を履いていて、ブカブカであったが、革靴であるというプライドがあったという。

「絆」とは家畜が逃げ出さないように縛りつけておく縄を指す言葉である。3.11東日本大震災の後、絆を取り戻そうという声がしきりに起こったとき、時代が変わったと思ったという。絆を求めてという人は、おそらく自分には絆がないと感じている人たちなのでしょうという。肉親の絆、友情の絆など、切るに切れない絆と一緒に生きており、本来、重荷となり、なかなか簡単に切るに切れないものだと思うという。

私たちは本来的に孤独なのだということをしっかり自覚する必要があるという。著者は、それぞれ違う人格同士がひとつになろうということは望むべくもなく、好きな人とはあまり深く会わないようにするという。

モノとの関係も、たまたま著者のところにやってきて、ここにいるなという感じであり、モノを捨てないのは、そのガラクタたちを自分の所有物だと思っていないからだという。ガラクタとは対等の友人関係ともいう。

そんなに古い靴や鞄をとっておいてどうするんだ、と友人などに言われるが、その靴や鞄を手に取ると、それをはじめて履いたとき、手にしたときの記憶が生き生きと蘇るという。

日本には綿々と続く捨てるという伝統と、育み蓄えていくという文化の二つの流れがあり、人々は常に両方それぞれに憧れながら生きているものだと著者はいう。

著者がかつて住んだ金沢について、加賀藩以前は大名がいない町だったという。明治期の戦乱や、太平洋戦争の空襲も受けていないことから、古いままの家並みも、下町に残っているという。

岐阜県白川町の佐久良太さくらた神社境内の「乙女の碑」という慰霊碑のことをあげながら、戦争の体験にも触れ、大陸から「帰ってきた人間はみんな悪人である」と言い、著者もまたそのひとりであると言っている。記録を語り継いでいくのは、本来は人であり、しかし、人はいずれ亡くなることから、あとはモノしかないのではないかと思うという。

著者は、捨てることに反対しているわけではなく、人生の後半生を中心にして考える人生の指針、人生観として「捨てない生きかた」に大きなヒントが隠されているという。

記憶としての人生の証としてのモノに囲まれて過ごせるならば、豊かな人生になるという著者の意見には賛成できる。言葉だけでは伝えることが困難な記憶がモノによって伝わることがあるように思われた。



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