見出し画像

エマニュエル・トッド『老人支配国家日本の危機』文春新書

本書は、著者が2016年~2020年に文藝春秋に寄稿した論考と、日本の歴史学者との対談を収めたものである。書名となった論考は、2020年6月の文藝春秋に掲載され、原題が「犠牲になるのは若者か、老人か」である。今のパンデミック下の状況での考察である。とても刺激的な題名となっている。

著者は、このパンデミックを「グローバリズムに対する最後の審判」だと捉える。「付加価値の合計」であるGDPが、現実から乖離している。モノであれば、社会の存在する生産力をより忠実に反映するが、サービス分野では、現実から乖離した過大評価が往々にしてさなれる。

米国ではとにかく裁判が多い。弁護士が手にする膨大な報酬もGDPに含まれる。訴訟や弁護士が少ない日本のGDPの方が米国より少なく計上される。しかし、一体、どちらの方が生産的と言えるかという。

フランスは、グローバリズムのゲームのルールを忠実に実行してきた。その結果、今回、モノの生産では途上国であることがわかった。フランス人は、人工呼吸器もマスクも医薬品もつくれない自国の現実を突きつけられた。

今回注目すべきことは、「個人主義的」で「女性の地位が高い」国で、死亡率が高く、「権威主義的」で「女性の地位が低い」国で、死亡率が低くなっている。死亡率の低い後者のグループは、グローバル下でも、暗黙の「保護主義的傾向」が作用し、産業空洞化に歯止めがかかって、国内の生産基盤と医療資源がある程度、維持された。

自国産業が壊滅し、防御手段が何も残されていないフランスは、ロックダウンしか選択肢がなく、その結果、貧困層は都市の狭い住居に閉じ籠もるほかなく、ブルジョワは田舎の別荘に逃げていった。17世紀のペストと同じ光景が再現された。

こうして約2ヵ月もの「自宅隔離生活」を強いられたフランス人は、見たくもないのに、自宅のテレビで連日、見せられたのは政治家や、官僚たちの虚偽ばかりの発表や会見であった。

グローバリズムの恩恵を最も受けてきたのは、現在の高齢者、戦後のベビーブーマーの世代で、最も犠牲を強いられたのは、「先進国の若い世代」という。全人口にロックダウンを強制して、低リスクの「若者」と「現役世代」に犠牲を強いることで、高リスクの「高齢者」を守ったという。

政府と対照的に、十分な医療資源がないなかで、フランス国民は“規律”を示した。3分の2の国民が「政府を信用しない」なかで、「外出禁止令」を遵守し、医師、看護師、介護従事者、スーパー店員、トラック運転手といったエッセンシャル・ワーカーは困難な状況に耐えて踏ん張った。GDPでは測れない“文化的な力” “社会に内在する潜在力”のおかげである。

米国は、死者の絶対数は多くとも、10万人あたりの死者数は25.7で、フランスよりはるかに少ない。さらに注目すべきは、「州ごとの死亡率」で、テキサス州5、カリフォルニア州8、そして高齢者が多いフロリダ州でも9と、ドイツ並みか、それより低い州がある。

米国は「個人主義的」ではあるが、決して“アナーキー”ではなく、社会に一定の“規律”がある。「個人の自由」を守りながら、混乱に陥っているのではない。中国式の“監視管理”こそ最も有効だとの議論ばかり支配的であるが、今回のようなロックダウン、自宅隔離、リモートワークは、米国発祥のインターネットがあって初めて可能となった。

ここで改めて考えるべきは、「(GDPに計上すべき)生産的な労働」と「(GDPで過大評価すべきでない)非生産的な労働」の区別である。「サービス=非生産的労働」というわけでは必ずしもない。

フリードリッヒ・リストの「生産諸力の理論」によれば、「『豚を飼育する人々』はもちろん『生産的』だが、『子どもを育てる教師』はさらに高度に『生産的』である。前者は『交換価値』を生産し、後者は『生産諸力』(生産力を生産する諸条件)を生産するからだ。国民の繁栄は、『交換価値』の蓄積以上に、『生産諸力』の発展にかかっている。」

ただ、日本について気になるのは、「出生率の低さ」だという。老人を敬うのは良きモラルだとしても、“社会としての活力”すなわち“生産力”は、「老人の命を救う力」よりも、「次世代の子どもを産み育てる力」にこそ現れるという。

日本の唯一にして最大の危機は、「少子化」であるという。著者はかつて「日本の核武装」まで提案したが、少子化対策は、安全保障政策以上の最優先課題であるという。

著者は、少子化対策をおろそかにせずに、移民の拡大をすることを提案する。その場合、寛容な「同化主義」を採用し、特定の出身国、特に中国系に集中させないことも提言する。

米国の「核の傘」は存在しないと日本の核武装を説く著者に異論のある人は多いと思う。また、ロシアについての見込み違いがあると思われる。しかし、聞くべき主張も含まれているように感じる。それは、フランスではラディカル左翼と目され、平和を愛しながらも、世界の現実をしっかりと見ているからだと思う。こども政策の重要性にも気づかさせてくれる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?